一般の皆様のご参加も自由ですので、ご興味のお有りの方はどうぞご参加くださいませ。
尚今月は当会の令和4年度総会を開催いたしますので、入場は9:
場所:熊本市民会館 第7会議室
講師:加藤神社名誉宮司・(財)熊本城顕彰会会長
湯 田 榮 広 氏
参加費 500円を(資料代を含む)申し受けます。
資料準備のため事前にご連絡をお願いします。電話( 090‐9494‐3190 眞藤)
尚、開会前に当会総会を催しますため、入場は9:
又、
ヤフオクを眺めていたら「菊池勤皇史」が出ていた。私が注目したのは書籍ではなく、出品物の写真に在った右の「ハガキ」である。
購入すべき本の中に入っているものだから、何か感想でも書いて貰おうとでもいうものだろうか。
この本は昭和16年、細川家家政所の発行であるから、私の祖父が現役で勤めていたころである。そして私はここにあった役宅で生まれた。
私は17年生まれだが、家政所は侯爵邸内にあった(現・永青文庫‐小石川區高田老松町)と理解していた。
ところがこのハガキを見ると、関口臺町26番地とある。侯爵邸があった老松町とは胸突き坂を挟んでの隣町だが、こんなところに家政所があったなんて知らなかったので驚いている。
現在のどの場所なのか、名残はあるのか大変興味深い。もっとも細川家の財政や財産管理をする部門と、記録の管理や研究・書籍発行等の部門は分れていたのかもしれないが・・・・
まさかこんな処で新発見するとは思わなかった。永青文庫にお聞きしてみようかしら・・・
追記:
随分以前、東京在住のS様から昭和21年5月発行の「小石川區明細圖」なるB4判ほどの地図を頂戴したことを思い出した。
誠に小さい地図で胸突き坂を見付てその周辺をよく観察すると、「何という事でしょうか・・・??」
細川邸の胸突き坂側は関口臺町となっている。そしてなんと26番地だった。
つまりかっての家政所(現永青文庫)は、まさに関口臺町に存在していたのだ。
椿山荘や芭蕉庵は関口町、胸突き坂の入り口左にある水神社の裏手迄関口臺町が広がっていた。
ヤフオクの品物に添付されていたハガキから、思いがけないことを知ることが出来た。
関係者の方々に感謝しなければならない。
朱線が胸突き坂 左手の広い敷地が旧・細川侯爵邸