津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■智照院(細川尚房)一族の墓地

2022-05-03 15:07:02 | 史料

 熊本史談会の友人中村君が管理するDr高田先生の膨大な写真コレクションの中から、智照院月江義心 (尚房)のお墓の写真を送ってくれた。感謝。
九州新幹線工事に伴い、妙解寺の一部が影響を受けることから、2008年1月12日から3月4日にかけて調査が行われ、「智照院細川家墓所」として調査報告書がまとめられている。せっかくだからその一族墓所の様子を引用させていただき、共に写真もご紹介する。

                           ⇩ 
           Dr高田写真コレクション(中村裕樹氏管理)から

               

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■智照院一族

2022-05-03 06:52:30 | 歴史

 過日、宝光院を取り上げたので、今回はその隣にある「智照院」を取り上げる。
智照院とは細川光尚の次弟・尚房の号である。光尚は父・忠利の正室の子だが、尚房は側室額田氏(永寿院)の子であり光尚より18歳若い。
兄光尚から、20,000石を拝領した。
宝光院の院主にして妙解寺の住持宗玄は二歳年上の兄であり、末弟・元知は四歳年下で南条家の養嗣子となった。
豊臣秀頼の女とも噂される霊樹院(竹)は五か月ばかり年上の姉に当たる。それぞれが異腹である。
ここに示した絵図は妙解寺の全体図でで示したのが、尚房一族為の塔頭・「智照院」である。(右手が宝光院)
智照院の後ろに墓地が見えるが、ここに一族のお墓があった。
裏手の崖つきに肩を寄せ合うように尚房と生母、室、長男とその室、二男、長女・二女の八名のお墓が並んでいるが、この家は長男尚方(20歳で没)
の代に絶家している。

 2006/10/6日の熊本日々新聞は、新幹線工事に伴う「細川尚房一族の墓」の発掘調査が行われた事を報じていた。
新聞の表現を借りると、「尚房のお墓は生母永壽院のそれよりお粗末」とされているが、発掘調査報告書をみるとそうでもない。
処が永寿院については綿考輯録には違う情報が記されている。草葉町の法然寺にお墓があるとしている。
側室のお墓だから当然だと思われるが、しかし発掘調査では遺骨が発見されているから、いつの事かわからないがこちらへ移されたのであろう。
そして、新幹線工事に伴い妙解寺の山手に移されたという。(未見)

 この場所は先に書いた■昨日の新聞から「不自然カーブ史跡を守る」の宝光院とは隣同士、「旅館・花岡荘」があった場所である。
宝光院は妙解寺の住持・宗玄(尚房の二歳年上)が生母を偲んで建てたものである。幼くしての死別であったのか?。
一方尚房の生母は尚房死去の前年に亡くなっている。弟の子を育てて、後細川家家臣となさしめて500石の高禄取りとした。おねだり側室である。
この絵図を見ると、よく似たプランの建物がそれぞれに建てられていることが判る。

            

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