津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■寛永九年、江戸上屋敷の類焼

2022-05-06 14:41:23 | 歴史

 細川忠利がが肥後国にに入ったのは、寛永九年十二月九日の事である。(辰の上刻=午前7時過ぎ頃)
役目を負って先発で入国する者や、小倉からの道筋での宿割や、忠利に随伴するもの、またそれぞれに家族を引き連れてくるなど、入国の様態も様々である。飛ぶ鳥跡を濁さずで、小倉の城を跡に入国する小笠原氏の為に準備の者などは引継ぎの為に、小倉や中津に残り、入国はその年いっぱいであったかもしれない。

                                 

 そんな中、江戸上屋敷が貰い火で焼失した。歳も迫った廿九日の事である。
年が改まると元旦には国許ではお国入り後初の御礼の御規式があり、二日には御謡初めの式など、いつもと変わらぬように執り行われた。
正月十日大坂町奉行久貝因幡守より上屋敷類焼の急報が入った。火元は松平新太郎殿とあるから、岡山藩主・池田光政の江戸上屋敷である。和田倉門に近く細川家と同様大名小路を正面玄関とする屋敷と向屋敷があった。(松平内蔵頭・家紋岡山藩家紋)の表示あり。細川家の三軒隣にあたる。
江戸屋敷からの報はまだ入っていないことを伝えて、その日のうちに早々のお礼の使者を立てている。

 この人がそのまま江戸へ下ったのかもしれない。
急遽、屋敷周りに塀をめぐらすように指示がなされた。
細川家は三斎の時代、將軍の御成りを申し上げたらどうかと幕府要人から進められている。
秀忠の時代だと思われるが、三斎は婉曲に断っている。
忠利は、いずれは御成りを受けなければならないだろうと考えて居たらしく、そのためには辰口の上屋敷が手狭であるとして、隣に在ったとされる延寿寺とか松平大和の屋敷などの下賜を懇願している。
多くの大工が江戸へ下され材木が運ばれたりしている。
忠利は入国後すぐに加藤家の事業を引き継ぐように、白川の土木事業などに着工している。
熊本城は、加藤忠廣代は手入れなどもままならなかったらしく、幕府に対して修繕の申請をしているが、一方資金不足で5,000両という金策を依頼している。
「荒川」という女性に対しての書状案が残されているが、私は、忠利の妹・萬姫(烏丸光賢簾中)付の老女ではなかろうかと考えて居る。利息とも二年で返すとしている。
忠利は熊本城の大きさに驚き「ニ三年我慢すれば、大金持ちになる」と息・光貞(光尚)に書き送っているが、江戸屋敷の再建など予定外の惨事であり、細川家の財政事情はすでにこの時期から悪化し始めたのだろう。

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■綿考輯録が記す「熊本城の歴史」

2022-05-06 06:36:34 | 史料

 綿考輯録の編者・小野武次郎が熊本城の歴史について一項をたてて解説している。
現在においてのいろんな歴史学者の研究が見られるが、大方は武次郎が語りつくしているように思える。


熊本城は菊池四代藤原経宗の姪出田経信より十四代の孫出田秀信、始而築之居城 代々年数未考、一ニ秀信を菊池十四代とも有之、其後鹿子木三河守親員入道寂心四十年程在城といへり、又城越前守親冬・其子同親賢・其子十郎太郎久基、是等四十年ほど居城せしと也、天正十五年秀吉公征西、佐々陸奥守成政ニ賜り、成政切腹以後緑川を限、北を加藤清正ニ賜り、同十六年六月廿七日入城、此時ハ今の古ル城なりしを、後ロに在茶臼山を引ならし、新に居城を被築候、追手西の方正面也、寛永九年迄四十五年、加藤氏二代熊本居城也、

  その他「考ニ、清正新城初而御入の年月未不詳」として諸説を紹介している

   ・一説ニ、半国の時業を初め、一国拝領の後成就と云、いふかし
   ・又説、慶長六年八月中旬鍬初といふハ猶信用しかたし、半国を領するの時創業七ヶ年を経て成就、于時肥後一国
    領地とも有、是も不詳、三斎君之御咄ニも半国の時之城と有之
   ・一書、河内の海道より金峯山嶋崎村足かゝりよく候、此方を専ニ防く心持に御縄張有之と云々
   ・又或覚書ニ、敵祇園山に押上り候ハゝ其儘御仕縣可被成候、諸手の不助に可追立也、あはれ祇園山ニのほれかし
    と清正被仰候由也、奥意有て被仰候か
   ・又鈴録と云書ニ、熊本の城ハ加藤清正縄張なり、門の数殊之外多き故、細川三斎ニ至りて門を塞て少くしたり、
    是固ク防戦堅固の心なれとも、両人の了簡各別也ト可知と云々、相違勿論也
  又、
    御本丸所々御繕無之候而ハ御住居難被成候ニ付、翌十年二月十九日御花畑ニ御移被成、同年九月御参勤、十一年
    八月十三日御下国、十五日御城御移徏被成候、然処御不自由ニ御座候故、一両年いたし候而又御花畑ニ御引移被
    成候年月不分明、

 

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