
新・肥後細川藩侍帳【か】の部
■萱野宗拝は、御茶道・萱野家の関係者であると思われる。この萱野家は家祖・甚斎が古田織部の弟だと伝えられる。旧姓古田氏。
200石を領している処を見ると何代目かの当主とも考えられるが、この名前の人物は見受けられない。
(南東59-2 茶・鷹・馬)萱野宗保家の5代目で、分家司馬太の娘を奥方とする宗羽(養子 実・水足左助四男 甚斎)ではないかと推察される。
萱野正信 五才の時正勝養子となる。幼名庄助。安永三年古市宗円同席にて「極真ノ台子」を調ぶ。
安永九年家督。寛政六年御茶道頭。文政三年七月没。室・同氏司馬太女。家紋は「丸に丁子右二つ巴紋」である。
この人物であれば、下記分家の尚太郎とは室を通して義兄弟となる。
■萱野尚太郎は、(南東19-5)萱野司馬太家の3代謙堂のことである。の祖・甚斎の孫市平を初代とする分家であるが、
代々学問の家として知られる。
萱野謙堂 名は熈載字は汝庸、尚太郎と称し、謙堂又は英雪と号す。中村雄飛と共に肥藩の二哲と称せらる。最も詩書を善し、
射、槍、剣、調馬、體術及び茗理、歌道、蹴鞠、謡曲、挿花に至るまで其堂に入る。食禄二百五十石、大阪留守居役たり。
文化五年正月廿一日没す。享年五十。墓は大阪法雲寺にあり。家紋は「丁子右二つ巴紋」である。
■萱嶋英介は、(南東17-10)萱嶋儀十郎家の7代目の栄助だと思われる。八代御城付八代御番頭組 百石。
家紋は「隅立四つ目結紋」である。
■可児弁助は、【青龍寺以来】の家で(南東16-7)可児小七郎家の8代目弁次かと思われる。家紋は「子持ち角に左巴紋」である。
■可児次左衛門は、【青龍寺以来】 (南東16-9)可児清蔵家の6代目・兵内(次左衛門)である。上記・小七郎家との関係は良くわからず、家紋も「 」も全く異なる。
■垣屋弁之允は、(南東16-16)垣屋 保家の5代目「御備頭御留守居大頭組御小姓支配御奉行触御物頭列・御小姓支配定府・大広間御取次
百五十石」とある。代々定府の家か。家紋は「五つ木瓜紋」
■梶原太郎助は、(南東17-6)梶原源三家の代目・永吉(太郎助)御番方組脇・西山大衛組 三百石
家紋は「丸に切竹矢筈十字紋」「隅立角に八つ矢筈紋」。大河に登場している梶原景時の梶原一族の家紋も「丸に並び矢」関係性が伺える。
■甲田茂右衛門は、(南東17-3 この項)甲田 豊家の7代目。家紋・・不詳
■河添善大夫は、(南東61-17 一代御中小姓)河添波文家の6代目である。家紋は「隅切り角に違い鷹羽紋」である。
■甲斐伝右衛門は一代限りか?「細川藩家臣略歴」には名前が見付けられない。家紋は「松笠菱紋」である。
■香山俊助は、(南東17-5)香山三弥家の 4代目、文化元年頃~ 阿蘇南郷郡代、文化十二年四月~ 玉名郡郡代
文政八年十月~同十一年九月 高橋町奉行。家紋は「隅立角に釘抜き紋」
■香山庫蔵についても「細川藩家臣略歴」はヒントを残してくれていない。しかし「肥後人名辭書(全)」は次のように記す。
香山庫蔵 名は正房、調馬師たり。騎を其門に学ぶ者凡そ千余人に及ぶ。文化六年二月十二日歿す。年七十七
どうやら御馬方(南東59-12 茶・鷹・馬)香山新八家の一族であろうと思われる。家紋は「隅切り角に吉文字紋」
■菅 市之進は、(南東17-18)菅九十九家の5代目、新之允とも。家紋は「梅鉢紋」、今一つは「丸に桜紋」か?
■菅 十助は、(南東17-17)菅 十洲家の六代目、家紋は九十九家と同様か?
■門池弥五右衛門は、(南東17-14)門池群蔵家の7代目、家紋は「杏葉紋」もしくは「茗荷紋」。先祖は田中筑後守(吉政)の家来で、1,000石取りであったらしい。
先年、外人の旦那さんと来熊、先祖探しのお手伝いをした事を思い出した。
■門池亀之允は、同上分家(南東17-15)門池三七郎家の4代目、故に家紋も同じく「杏葉紋」
■角川喜三兵衛は、【丹後以来】以来の (南東17-2)門川大平家の7代目である。
家紋が面白い。「替り菊水紋」と仮にしておこう。
■蟹江寿右衛門は、(南東16-13)蠏江新次郎家の7代目で宇七郎・七大夫とも。加藤清正家臣・蟹江氏の末か。
蠏江観遊 名は昭明、字は伯融、壽右衛門と称し、観遊と号す。藩に仕へ穿鑿頭、時習館訓導を勤む。禄百石。
文久三年五月十七日没す。年九十三。墓は本妙寺中妙性院。家紋は「本文字紋」か?
■関 弥十郎については、「かん氏」「せき氏」共に同名の人物が特定できない。
まずは訂正とお詫びをしなければならない。この人物は 閌(こう)弥十郎氏である。
「新・肥後細川藩侍帳」において、「か」及び「こ」の項のいずれにも記載がないことが判明した。
但し出典である川口恭子氏の「細川家家臣略歴」にはちゃんと記載がある事を確認した。
偏に当方の手落ちである。現在原本のチェック・修正をしているので反映させたいと思っている。
但し、当サイトでの公開は少々時間を頂戴したい。 5月23日14:30修正
閌 弥十郎は、(南東17-26)閌(門構えに亢)半家の7代茂久(弥十郎・十郎助)のことである。
家紋は「丸に一つ茶の紋」