ガラシャ夫人に殉死した金津助十郎の二男家(十郎家)の現当主は、私のまた従兄弟にあたる。
私の祖父の三弟の長女が金津氏に嫁いだ。
実は私は金津氏には御目に罹ったことはないと思うが、金津氏が私のブログを御覧になっていて、これがきっかけで交流が始まった。
80年近い年月は簡単に埋まってしまった。
そしていろいろお話を伺う中で、家紋である「と駒紋」についてもご説明をいただいていた。
処が先の■御侍帳・家紋から考える(19)の中でミスをしてしまい、ご指摘の手紙を頂戴していた。
それはこの家紋は「又十郎の拝領紋」であるという事である。
「御侍帳(家紋入り)」を確認すると、どうやらこちらが間違っているようだ。
ちなみに「肥陽諸士鑑」をみてみると、こちらでは「と駒紋」は紹介されていない。
何はともあれ、間違いを明らかにしておかなければならない。(19)の該当項を訂正させていただいた。