津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■開館時間を間違える

2022-05-18 12:41:03 | 徒然

 図書館に借りた本を返却するするために、涼しいうちにと朝から出かける。
8時半開館と思い込んで出かけたら、9時半開館という事で30分待ち、時間つぶしに江津湖畔を暫くサイクリング・・・。
そして緑陰にしばし時間つぶし・・・
今日はコピー目的もあって郷土コーナーで36枚のコピーをする。

   (1)・鈴木喬著「肥後宗氏一族の盛衰」 著作権の関係で半分だけ(後日後半部をコピー予定)
   (2)・史叢・第11号の内、松野国策著「熊本城築城地搗音頭(一)」
   (3)・史叢・第12号の内、松野国策著「熊本城築城地搗音頭(二)」

(1)の「肥後宗氏一族の盛衰」は著者の鈴木先生から頂戴して所蔵していたが現況行方不明、25枚をコピーする。
(2)及び(3)は、熊本城築城当時の地搗音頭「えいとう(永棟)節」を知りたいと思ってのコピー11枚である。
  著者、松野国策先生の長年にわたる収集活動の成果である。今となっては本当に貴重な資料となった。
  そして、築城時の風景が見えるような、ひょうきんで豊かな歌詞が貴重に思える。
  いずれご紹介したいと思う。

傘寿爺様のサイクリングも、足元のおぼつかないこと凄まじく、大いに限界を感じながらも帰宅する。疲れた・・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■御大工棟梁善蔵が語る、清正の熊本城築城

2022-05-18 06:23:05 | 史料

 「御大工棟梁善蔵ゟ聞覺控」を注意深く読むと、清正の築城までの行動が見て取れる。
清正は天正16年閏5月、肥後の国に於いて194,916石を拝領して、肥後半國の領主となった。佐々成政の失政・切腹に伴う秀吉の判断である。
清正は、入国後当然ながら隈本古城に入城したであろう。
上記「聞覺控」によると、清正は「お国入りのずっと後」に巡見して、城に適した場所を見て廻っている。
  ・「初めは杉島に目をつけなされた・・」が「摂津守の方向」だからお止めになったとある。
   杉島とは現在の南区富合町杉島だが、かっては加瀬川と緑川に挟まれて中の島状をなしていた。
   加瀬川の対岸は河尻、加藤時代・細川時代を通じての湊町である。
   大渡の渡しは急流の激しいところであったらしい。小西行長の宇土城までは直線距離で7㌔弱である。
  ・また、「府中(国府があった二本木地区)が狭い」ので、隈本古城に近い現古町地区に町を移している。
   そこで新城築城の場所は「とどの最後の場所が茶臼山だった」とする。隈本古城を整備するという雰囲気は見て取れない。
  ・清正は善蔵に「安土城」「大阪城」などの調査を命じる。そのためこの聞覺控の編者・善三郎の父を帯同している。
   案内役は清正の懐刀で納戸方(財政・出納役)の元公家の下津棒庵である。
   尚、善蔵と善三郎の父は、高麗陣にも出陣して、地元の城をつぶさに調査して「図引き」をしている。
  ・町の図引きは下津棒庵、お城の図引きは岩野の武家岩野嶽道祖城主)宗久隆が担当した。
   これらの図を清正・飯田覚兵衛・森本儀太夫らが検討した。
  ・お城の場所が茶臼山に決まると、「山の地均し」が始まった。
  ・慶長3年からお城の「建て方」が始まった。今日ではこの資料から、熊本城の築城開始は慶長3年だとする研究者が多い。
   但し「建て方」とは、土台の取り付けから棟上げ迄の一連の大工工事を指す。

   一方元の城(古城)から「引き直し」なされた。古城の天守を曳き家したのではないか?
   小天守か?
  ・慶長4年正室清浄院(清正養女)を娶る。慶長5年、石田三成の人質としての大阪入城を避けるために大坂を脱出。
  ・慶長5年、関ケ原の戦い。清正は隈本に在って宇土城攻め・石垣原の戦いの援助などを行う。東軍勝利。
   尚、黒田如水を熊本城に招くために天守の完成を急がせている。ー天守の一応の完成か

  ・「摂津(小西行長)が上方で死んで宇土迄行って天守を解き或いは御門も解き・・・」とある。
   行長の死は慶長5年10月1日であり、清正は慶長6年2月頃肥後一國と豊後三郡、都合54万石の太守となる。
   宇土城天守は宇土櫓?、御門は禅定寺山門となったと言われる(現在は懐れて存在しない)

              かっての禅定寺山門(Dr高田撮影)

 ・一方善蔵は、「高麗門」「三丁目御門」の建設に携わった


  その他、材木や石材の調達地、井戸の話、えいとう節や真言宗僧侶による着工式、また昭君の間の抜け道や天守からの抜け道、
  その通路(不浄門から小豆坂)などに就いて詳しく語っている。
  残念ながら白川大蛇行についての記述が見受けられないのが残念である。
        

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする