津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■内藤濯と竜北のわらべ唄

2023-09-13 15:55:25 | 先祖附

 サン・テグジュベリの「星の王子様」の翻訳者・内藤濯は、横井小楠に薫陶を受けた医師・内藤泰吉の三男である。妹が一人いた。
その妹は八代郡話鹿島村(1954年竜北町になる、現在八代市)の素封家・内田家に嫁いだ。
濯は晩年、この妹が歌っていたという「わらべ歌」を諳んじていて、「私の読書遍歴」にその歌詞を紹介している。竜北の方々でご存知の方が居られるだろうか。

    向えのザボンは梅の花 朝はしぼんで昼ひらく 晩はしおれて門にたつ
      門に立つのは千松か万松か まぁだ七つにならんさき お馬の上から飛びおりて
        具足の袂に矢をうけて 姉からもらった笙の笛 弟からもろうた小刀(むしゃがたな)
     姉御のお部屋においたれば まま母さんから探されて おお腹立ちや腹立ちや
       そのよにお腹が立つならば 紙と硯を引きよせて 思う事を書きつけて
         紫川に泳がしてみれば 浮いては沈み浮いては沈み アラ面白の浮き草やぁ浮き草やぁ

このわらべ歌にどのような曲が付けられていたのだろうか?
その地方独特の俗謡が次第に失われていく。内藤濯の没年は昭和52年(1977)だから録音などの資料が存在しているのかもしれない。

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■吉田傳太復仇現聞録(3)

2023-09-13 06:05:28 | 史料

時二堤坐ニアリ進ミ出テ身分不肖ナリト雖モ幣藩ヨリ出タル横井小楠ヲ斬殺戮スル何ゾ他藩ノ人ノ手ヲ借ランヤ吾請フ 先ツ往テ横井ヲ刺ン諸子ハ余ガ後ユヨリ来リ援セヨト云 堤ノ決心顔色ニ顕ル 一座皆其議ニ賛同ス 堤即夜登上ス 安田外長土之浪士ノ数名ト同行昼夜兼行東京ニ着シ日夜横井ノ動静ヲ窺フ時ニ黒瀬市郎助外様之足軽東京留守居ノ書記吉田平之助附属也 モ同ク尊王攘夷ノ志ヲ有スル同志ノ者也 故ニ黒瀬ヨリ前ノ横井ヲ初メ吉田・都築ノ者共或夜酒楼ニ登リ愉快ヲ尽ス事我既ニ探知スト 此ノ事ヲ堤ニ密告ス 堤聞テ時至レリト歓躍シ彼日ヲ待テ三名ト共ニ彼ノ酒楼ニ駆ケ来リ前陳ノ通リ退散シタリト 初メヨリ都築・吉田ハ殺害スル存念ハナカリシモ横井上座ニ連席スルガ為メ二如斯次第ニ立至リタリト 時二戸外ニ應援ニ来リ居タル長土ノ内浪士等堤等ノ出来タルヲ見テ事遂ケタルヤ如何ト尋ネタルニ堤云フ 余過リテ残念ニモ横井ハ足早クモ逃去リト 長土人云今前キニ手拭ヲ肩二掛テ手ヲ下ケ腰ヲ屈メ声ヲ低メ御免下ダサレト云テ通リ行キシハ真ノ町人ト思イシニ彼者ガ横井ナルカ僕等早クモ横井ナルヿヲ覺ラバ逃サシモノヲ彼等ガ運命盡ズト云 堤ハ横井ヲ討洩ンタルヿヲ悔恨シ安田・黒瀬ニ向テ云フニ余何ノ面目アリテ長土ノ同志者ヲ見ンヤ 従是西京南禅寺山中二赴キ割腹シ死謝セント 安田・黒瀬ノ両人君死セハ倶ニ死ヲ同セント 堤ハ両人ヲ止メテ君等必後日大志ヲ遂ケヨトテ堤又云 我自謂フニ横井ハ實ニ国賊ト云ト雖モ世禄之士也 吉田モ亦同シ 我卑賎ノ身分ヲ以テ不憚上殺害ニ及ビタル其罪亦輕カラザルナリ 今也上ニ 上トハ正四位韶邦公ナリ 上京南禅寺ニ在陣マシマス 同所ニ赴キ遥拝萬謝屠腹死謝セハ罪少シク補フ處アラント云 訣別シテ去リ馳セ行キテ同寺観音堂ニ至リ辞世一首ヲ詠 其歌失念 遥ニ君公ヲ三拝九拝シ畢テ従容刀ヲ抜キテ咽ヲ刺ス 殊エズ堂上ヨリ土上ニ轉落シ流血淋■ニ溢レ惣身血ニ塗ミレ倒レ居タルヲ南禅寺在陣番士隊ノ家僕等ガ山中二採薪ノ路上ニ此形況ヲ見て驚愕シ帰リテ番士等ニ告グ 皆疾歩シテ往テ之ヲ見レバ現ニ家僕ノ告ク処ノ如ク満身血ニ浸リ顔色容貌異形立テ正視スル能ハズト 後長州ノ人士ナラント然ル二後考ルニ前キニ堤ノ横井ヲ殺害スル時應援ニ来リシ長州人某ガ堤ガ自裁シタル事ヲ聞テ来タリ見シニ果シテ言フ処ニ違ハザルヲ憐ミ感シテ斯ク埋葬シタルト 必スヤ然ラン 今ヤ安田・黒瀬ノ両人ノ居処ヲ知ラズト云 穿鑿役具ニ健太郎ノ申出タル始末趣ニ聞取り之ヲ政府ニ達ス 政府ヨリモ又傳太ニ内報ス 此二至リテ初テ吉田傳太モ父ノ讐ハ全ク安田・黒瀬タルヿヲ確知シ益以テ切歯扼腕一日モ早ク復仇シ本望ヲ遂ケント八方探索セシモ時運等未到来セズ徒ニ怨ヲ含テ空ク光陰ヲ送ル数年
                 (つづく)

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