津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■国を去る人・帰る人

2023-09-10 08:51:17 | 歴史

 今日9月10日は、年は変われど日本の歴史上にその名を残した人たちの運命の日であった。

(1)その一人は、ガラシャ夫人のキリスト教への傾倒の橋懸りを作ったとされる高山右近で、慶長19年家康の
   キリシタン国外追放をうけてマニラに向け出国するに当たり、忠興に別れの書簡を送っている。
   教養ある武人のその心情を吐露する書簡の内容には心打たれる。
   マニラに於いては、スペイン総督の歓迎などを受けているが、失意と旅の疲れ等が重なりわずか二か月足
   らずで死去している。

            

                    近日出舟仕候
                    仍此呈一軸致進上候
                    誠誰ニカト存候志耳
                      帰ラシト思ヘハ兼テ
                      梓弓ナキ数ニイル
                      名ヲソ留ル
                    彼ハ向戦場命墜
                    名ヲ天下ニ挙 是ハ
                    南海ニ趣 命懸天名ヲ流 
                    如何六十年之苦
                    忽散申候 此中之御礼ハ
                    中々申上候/\
                    恐惶敬白
                            南坊
                      九月十日   等伯 花押
                     羽越中様
                      参る人々御中


(2)徳川家康の二男・結城秀康の子・松平忠直は大坂冬の陣で戦功をあげるものの論功行賞に不満を抱き、その
   後酒色に溺れ、家臣などを殺害するなどの乱行を重ねた。参勤さえも拒否するようになったため、元和9年
   豊後に配流となった。豊後に於いては人が変わたようになり穏やかな生活をつづけた。
   慶安3年9月10日に忠直は死去する。豊前で側室に二男一女が誕生し、忠直の死をうけて越前からの迎えによ
   りこの人たちが帰国している。次子(三男)永見長良は後に起こる越後騒動の渦中の人物として知られる。
              ■大分の松平忠直配流の賄領・・番外編 

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■事件に巻き込まれた人々

2023-09-10 06:12:41 | 歴史

 「神風連の志を自らの志」と言ってはばからない、荒木精之氏の著「近代への叛逆」を読んでいる。
「神風連の墓について」とこれに関連する記事が数十頁あるが、氏は神風連の乱で亡くなった方々のお墓を自ら歩き回ってそのすべて確認されている。終戦前の話である。
その情熱はこの著書にも現れていて、「熊本新聞」の当時の記事などもすべて書留め、この中に紹介されている。
それを見ると、意外な事件の内実が見えてくる。
パラパラ頁をめくっていたら、裁判を受けた人たちの判決の内容が記されている。
そんな中に「三渕永次郎」の名前を見付け、少々驚いてしまった。
石原醜男氏著の「神風連血涙史」は完璧にとはいかないが一応は目を通している中で、氏の名前は見かけなかったように思う。

細川家に近いご親族ともいえるご大身の家柄のお人が何事と思い記事を精読する。

                    第二大区九小区高橋町 士族 三渕永次郎
 其方儀太田伴雄ヨリ熊本鎮台ヲ襲撃セントノ談示ヲ受ルト雖モ同意セサルヲ以テ其罪ヲ問ハス

その他11名程が同様の処分を得たようだが、その中には神風連の人々に「脅迫されて参加」した人が半分ほどいる事が記されている。
「罪は問わず」とはいえ裁判を受けたのだから、一応容疑を掛けられたことは間違いないのだろう。
脅迫された人たちは、人を殺めることがあったならばそれ相当の罪を得ることに間違いない。
熊本には「郷党」の強いきずながあり、死した人の中にも止む無く参加して人もあるのではなかろうか。
荒木氏のこの資料の開示は大きな意味合いを持つ。

 

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