天保十一年二月二十六日
■木下宇太郎へ
昨日は再御返事之趣承知仕候
一 藤田方歸り及過酒候一件は従來浅井先生より御聞に相成候旨に付、私不束にて聞取違仕候筋に御
座候へば了簡仕候。右聞取違は御挨拶仕候。
一 名札之儀御當地詰込之習に被任寒中年始御廻勤之節に御遣に相成、時候佳節之一體御述被成候迄
之由。然處私方に御名札見へ候て疑惑仕候儀は舊冬之事にて、一度は寒中と覺へ一度は平日無何
事時節に御座候。被仰下候通り年頭時候等に御座候へば私疑惑可仕子細無御座、御返書之趣と相
違仕候。
一 御往來之儀年明候ては御互に両度づゝとかし候様に覺申候。尤私は一度は御他行御留守に参上、
其後御紙面取遣之節に御留守に参上仕候儀は被仰向仕候。舊冬より年明迄切々御來臨被成下、毎
度私外出にて於御手許は墨田川以來少も御心を被遣候儀無御座、私外出多候處より失敬に及び切
て疑惑仕候旨に罷成、甚以赤面之至に御座候。乍然交際は用向述候迄にて無御座、互に出違等に
て久敷逢不申候へば必ず紙面にても申合出會述舊事候儀は熊本にて左様に仕申候。まして旅中に
て御座候へば一シラの事に候。既に白金連朋友抔は月に一両度は必ず申合出會仕事に御座候。然
し私より御うち合御出會不仕儀は前條疑惑仕候より是迄の通に罷在申候。右の次第尚御返書仕候。
已上。
二月廿六日 横井平四郎
木下宇太郎様
■木下宇太郎より(返書)
御手簡又々薰讀、被仰下儀拝承仕候。御聞取違之事御挨拶被成下痛入奉存候。名札之儀は一度は如仰
寒中一度は正月二日朝回勤之節に御座候。乍去兩舊冬御見當被成候と被仰下候へば如何之折にて御座
候哉頓斗覺不申、因是御不審と御座候ては當惑之仕合無念に奉存候。御往來之儀用向迄に無御座、出
違抔にて暫唔盡不仕候へば紙面にて申合出會述舊候等之儀は誰も樂候事にて私とても別儀は無御座候
得ども、御見通も被下候通此節に限不申聊不自由にも有之藝業之形も付不申平生憫■只々物事に届兼、
於御國も追々後に陪候事も御座候へども私より起會話之御約束等は少く實に疎き様に有之、此元にて
も存外諸用之外出も多、白金當振懸娯談仕候外前以之約束等月に度々は扨置、用事御座候てさへ押移
候事多、御小屋え出申候も序勝之事にて、被仰下通に御座候へば何方にも申譯無御座候へども稽古等
に怠も不致候はゝ私身分には御恕察も可被成下と兼て相恃居申候。思召に違候迄は因是疎遠之御疑惑
御尤に奉存候。早速相改可申と御断可申上筋にも可有御座候得ども、跡以届兼又は嬌飾に出申候半も
難斗、是迄不束之至御推量被下、公面之御交迄被江候はゝ難有奉存候。度々煩來鴻是又恐懼不少、右
奉答如此御座候。已上。
二月廿六日 宇太郎
横井平四郎様
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「横井小楠遺稿」に天保十一年の横井平四郎(小楠)・木下宇太郎(韡村)の往復書簡として往復三度六通が紹介され
ているが、最末尾に「小楠は木下の行動に友情身が乏しいとの不平で義絶を申込み、木下も色々弁解の末それを容認し
ている。」と解説してある。
読んでみると、文体も丁寧でそのようには感じは見受けられないように思えるが、小楠の「酒過」を通しての記憶の齟
齬があるように思われ、意思の疎通に木下が困惑している様が見て取れる。
結果として「義絶」したのであろうが、まるで痴話喧嘩の様にも思えるが、小楠21歳の若気の至りのような気がしてな
らない。「お酒慎みなさりまっせ」