津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■歴史は悲しい

2023-09-06 09:50:57 | 歴史

 何気に本棚を見回していたら渡辺京二氏の著「神風連とその時代」に何やら紙が挟まっている。
取り出してみると作家・小山寛ニの「哀愁の碑‐神風連の女たち」のB5判のコピー2枚である。
「日本談義」に掲載された記事だが、行方知れずの状態だった。
ああここに在ったかと思い、A4判に拡大コピーして別にファイルすることにした。

                               

 小山の母親の実家は八代龍峯の郷士・高田家で、男子がなく三人姉妹であったため、長姉が一族から婿養子を迎えた。
熊本の城下で神風連の一党が蜂起した時、その学統であった高田家の婿はこれに参加するではなく出奔した。
長姉は「ご同志の皆様に申し訳ない」と自刃して果てたという。その後高田家は次姉が林桜園の学統に連なる人を婿に迎えたが、この人は当時東京遊学中であった。小山はこの義伯父からいろいろ薫陶を受けたらしい。
この一文は、そんな小山の縁戚である高田家で起きた悲話からスタートしている。

神風連の挙は林桜園に連なる学統の絆が徒党を組んだが、その結末は自らの死に加えてその家族の身の上にも悲しく切ない悲話を生んだ。
小山はその一つとして、小林恒太郎の新妻の短い悲しい人生を取り上げている。
新婚四ヶ月での夫との別れ、望まぬ離縁、実家からの圧力による離縁・再婚・出産、さらなる離婚、小林家に対する悔悟、そして自刃と悲しい一生であった。
小山は最後に「かにかくに、わが火の国の神風連は、かぎりなく悲しい」と結んでいる。

これは封建時代の婦道感がもたらした一例にすぎず、神風連の挙はいかにも悲しい。
その後の当事者の家々の皆様の平安を願うばかりである。
ちなみに、小林家のご子孫にはご厚誼をいただいている。秀逸なWEBサイト小林党-小武士団の700年を主宰しておられる。

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■横井小楠・木下韡村往復書簡ーその(二)

2023-09-06 06:12:48 | 先祖附

    天保10年(1839)、藩命により江戸に遊学中の横井小楠(21歳)は、同年12月25日に藤田東湖が開いた忘年会に参加した帰り、さらに酒を飲み重ねた後、藩外の者と喧嘩になったことが咎められ、翌天保11年(1840)2月9日、藩の江戸留守居役から帰国の命令を下され、帰国後には70日間の逼塞に処された
その直後、また墨田川で酒をすごし過ぎて木下宇太郎と何やら口論となり、三度書簡のやり取りをしているが、どうやら喧嘩を仕掛けたものの筋違いの感がいなめず、上げた拳の治めどころがなく絶交を言い出したように思える。小楠先生の酒は相当癖が悪い。
文久2年(1862)12月19日「士道忘却事件」に至る22年前のことである。

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天保十一年二月二十五日
 ■木下宇太郎へ
   墨田川御同行以來御隔意無之候處私より御疑惑仕儀有之、只今通りの交にては氣遣敷有之御切磋等御

   互に仕不申方却て可然と一昨夜及御相談、昨日尚御取遣申候處疑惑可仕筋御存黨御座、其通に御心得
   被成旨御返書承知仕候。然處疑惑之節御承知無之と申ては私主意相立不申候間箇條相認差上申候。
                                  時習館訓導浅井廉次
   一 藤田虎之助方舊臘参候歸に私過酒に及候唱御座候て御耳に達し、浅井先生へは御咄有之、跡經候
     て東遊六ヶ敷に至り御來臨御尋被下候段交際無腹蔵打明被成候筋合に御座候哉、疑惑之一條にて
     御座候。
   一 名札遣候儀は無音晴しに向方に参候知之為にて、縁家朋友親敷間に可仕事柄にて無御座候。然處
     舊冬二度名札参り、よそよそ敷御仕方如何之思召にて御座候哉、疑惑之一條に御座候。
   一 東着以來一體御疎遠にて御座候處、墨田川御同行御咄合に及候後と申候ても彼是御往來等も不相
     替御疎遠に御座候。必竟私心得は兎角被打明候御様子に存不申候間、龍ノ口御屋敷へは追々参り
     御小屋まへ踏通候て遠慮仕切々御尋不申罷在申候。右之次第は親友之間には何程に御座候哉、此
     段為御承知如此御座候。已上。
         二月廿五日                  横井平四郎
           木下宇太郎様

 ■木下宇太郎より(返事)
   昨日御取遣之儀に就き尚又華墨被成下奉拝見、御疑惑之筋被仰下夫々承知仕候。強て御主意に戻候に
   ては無御座、一應鄙情相陳申候。
   一 舊臘藤田虎之助方御歸途御過酒に被及候唱私承浅井先生え咄候との儀、事宜に寄候ては左様之事
     も難斗候得ども此儀は御間違と奉存候。彼方御聞取之筋私え御咄に相成候儀は有之候。右之儀直
     に御噂に及不申、先日迄差控候は少し様子御座候て疎外之事にて無御座、ケ様之儀は申譯に一分
     之振舞斗仕候様に成候ては交際之本意にても無御座、前條之御間違無之候はゞ御不審之筋とも不
     奉存候。
   一 名札之儀は當地詰込之習し寒中年始回勤之節御留守にて両度程相用時候佳節之一禮を納候迄にて、
     平日御留守に参候節終に左様には致不申、餘所々々敷姿にも有御座間敷、白金當親敷中にも相互
     に同様に仕候事に御座候。
   一 御往來之儀當月に入候ても毎も御在宿に参合、舊冬より正月に懸候ては御閉に相成居候事多く、
     名札も納不申候へば御承知不被成は御尤に奉存候。其に付御疑に成行可申とは不奉存、日も記ふ
     申候へば跡以御噂にも及不申其姿には無之儀と奉存。私小屋え御尋被下候儀、少御座候とて、是
     迄御遠慮之筋とは氣付不申候。右之通に御座候間乍憚左様御聞取被成置可被下候。以上。
         二月廿五日                  木下宇太郎
           横井平四郎様
          
     

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