本妙寺参道の両側に並ぶ塔頭の左側の奥に位置して「雲晴院」がある。
ここに「神風連の挙」に参加して果てた小篠(おざさ)四兄弟の墓地があるが、脇に四男・源三が愛した「虎」が埋葬されている。
桜山神社には「義犬虎」という碑が建立されている。明治九年十一月廿ニ日出版の熊本新聞・第百卅号には次のように記している。
哀れにも又珍らしき一話あり、第一大区三小区高麗門士族小篠某は兄弟四人共凶徒の内なりしが、某
末弟小篠源三幼少の時肥前嶋原へ渡海せし折一疋の狗児を見て遂に連れ帰り、やゝ成長に従ひ、一家
挙つて是を愛し殊に兄弟四人の内若他行すればいつも行衛を尋ぬる有様なりしが、本月初に至り兄弟
の人々自尽せし折柄此狗魚類の料理捨を喰わんとするを、家僕が戯れに狗に向ひ、斯迄汝を愛せられ
し主兄弟共に死に就給ひしに今此魚肉を食うに忍ひんやと云を聞、狗は忽ち首を垂れて退きしが、其
後行衛しれされば一家不思議におもひ一両日を過ぎて兄弟の墓所なる寺へ参詣したるに、犬(ママ)
数日食を断たる有様にて痩せ衰え、彼の墳墓を守り居たり、皆々涙にくれて呼へとも更に応せず、拠
なく縄を付屋敷へ曳帰り、門を出さる様気を付ありしか夕暮に至り猶行衛を失ひ、方々捜索すれ共知
れす、一家心を痛めしか翌日に至り屋敷の隅なる大樹の本に此狗自ら舌を喰切り斃れ居たりと云。旧
藩の昔忠利公のお鷹二羽は火葬の火に飛入、重賢公の御寵犬は犬牽の津崎五助と共に殉死を遂たりし
は、本県の人口に膾炙する処なるか小篠氏の犬(ママ)も亦比類なるへし。
四人兄弟が想いを一にして志の為に若い命を捧げたこと自体に涙に誘われるが、「虎」のこの逸話はさらに悲しさを増幅させる。
神風連資料館・収蔵品図録には「餓死」とあるが、此の記事では「舌を喰い切った」とあり、これはどうやら脚色くさい。
花園に住んでいたころ、本妙寺を散策するとお寺の角の低い塀越しに四兄弟のお墓が望むことが出来たので手を合わせたことだが、「虎」のお墓には気付かなかった。
仁王門下の参道の道路環境が随分変わったと聞く。ぜひとも本妙寺周辺を掃苔したいと思っている。