明治36年、池部義象・池田末雄氏編集による細川家12代当主齊護の
陽春集から、道の記をご紹介する。
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今年、天保三の年の卯月に、
君より御いとまたまはりて、國へ歸り侍るとて、五月朔日といふに、
龍の口の館を立ち出んとするをりしも、そらさへうち曇りて、人/\
にわかれむることは、志ばしとおもへど、かなしくて
せきあへでおつる涙をとゞめかねまだ露わけぬ袖ぞぬれける
午のはじめごろ、門出しはべるとて、
旅衣けふたちいづるあずま路の名残はてなきむさし野のはら
ほどなく、志ろかねの御館につきて、御二所の君に、御いとま申し侍
れば、おほみき給りて、とりどり御名残は盡きせぬものから、門出の
ならひ、こゝろいそがれて、志ろかねの御館を立いでぬ。品川のむま
やもすぎ、大森てふ處に志ばしやすらひけるほどに、永田町より、御
はなむけとて御便あり、いろ/\の菓子ともたまはりぬ。
かしこしな深き恵のかゝるよりなほ露そふるたびのころもで
このあたり、むかし荒■がさきといひけるよし聞えければ、
志ら波のあらゐがさきを越えきつゝむかしをとへば松風の聲
日もかたぶくころ、河崎のやどりにつきぬ。
けさまでは思ふことのは川崎を旅のわかれのはじめとやせむ
こゝまでは、志ろかね龍の口の人もまゐりつどひて賑しければ、み
きくみかはして、ふしどに入りぬ。
二日
きのふにおなじく、そら曇りぬ。川崎のむまやを立出で、程が谷もう
ちすぎ、境木てふ處に志ばしやすみけるに、このところは、武蔵と相
模との境なるよし聞えければ、
名残あれや馴し武蔵も行つくしけふ相模路へかゝると思へば
ほどなく、戸塚のやどりにつきぬ。
三日
夜明けて戸塚のやど立出づるに、けふもきのふにおなじく、そら曇
りて、小雨ふりぬ。藤澤のむまやも行きすぎて、江の島の道あり、十年
あまりのむかし、この神やしろにまうでしこと思ひ出して
昔我まうでしこともおもひ出ていのる心は神ぞしるらむ
馬入川うちわたり、平塚のむまやもすぎ、花水橋といふにかいたりぬ
るに、杜若の花の咲きしを見て、
なほこゝに春をとゞめてかきつばた色ぞうつろふ花水のはし
志ばし、このところにやすらひて、大磯をとほりしに、鴫立澤とて、か
すかなる堂のうちに、西行の像を安置せり
いまも猶むかしの跡や志のばれむ志ぎたつ澤の秋はいかにと
酒匂川うちわたりて、申すぐるころ、小田原のやとりにつきぬ。
四日
けふは箱根山をこゆとて、夜をこめて小田原のむまや立出しに、す
こし雨ふりて、明行くそらも、ほのぐらく見えぬ。
あかつきの人の八聲の鳥ともろともにけさ立いづる小田原のやど
夜明けて雨やみぬれど、猶曇りて晴れやらず、山路を一里ばかりのぼ
り、湯本てふ處の前に、たにがわの音高く清く流るゝをみて、
志らなみはせゞの岩間にくだけつゝおともすゞしき谷川のみづ
けふは東の方も雲にへだゝりて見えず、いとゞおもひやりて、
かへりみり武蔵の方をこゝろなく幾重はだつる雲もうらめし
猶登りてゆくに、雲も志だいに晴れぬ、折ふし時鳥の鳴くを聞て、
あづまより語らひきつゝ箱根山なれも旅とや鳴くほとゝぎす
ほどなく、関にいたりぬれば
四方の國治まる御代の志るしとて関もとざゝでけふぞ越しける
はこねのむまやにやすむ、そこに廣橋どのゝ歌とて、主の額になし
てかけぬるを見るに、仰山鑑水といふことを、
山をあふぎ水をかゞみに動きなく心くもらずやどにすむらし
となんありつる。またそのかたはらの額に、はこね一の本陣にて、父
子相つゞき勅使にてふじをみることも、君恩かしこまりて
君の恵あけくれあふぐ箱根山かそのとまりとおなじやどりは
箱根山ちゝのもとみし一の夜にふたゝびわれもめづるふじのね
となんある、げにこのところは、向ふにふじもみえ、前に湖水ありて、
ながめいとよし。けさは曇りてみえず。志ばしやすらふほどに、雲も
やゝ晴れて、冨士もすこし見えぬるに、うれしくて
我もまた君の恵のかゝらずばけふこのやどにふじをみましや
この山路は名たゝるけはしき道なるに、夜べの雨にて、岩かどなめ
らかに、ひちりこふかくして、ゆきなやみぬ。日のいるころ、からうじ
て、三島のやどりにつきぬ、このむまやは、三島の神の御社、かみさび
ていとたふとく、かしこければ
いのるぞよまたこむ春に立ちかへり猶もみしまの神のめぐみを
ほとゝぎすを聞て、
もろともに山路や越えし草枕かたらひがほに鳴くほとゝぎす
陽春集から、道の記をご紹介する。
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今年、天保三の年の卯月に、
君より御いとまたまはりて、國へ歸り侍るとて、五月朔日といふに、
龍の口の館を立ち出んとするをりしも、そらさへうち曇りて、人/\
にわかれむることは、志ばしとおもへど、かなしくて
せきあへでおつる涙をとゞめかねまだ露わけぬ袖ぞぬれける
午のはじめごろ、門出しはべるとて、
旅衣けふたちいづるあずま路の名残はてなきむさし野のはら
ほどなく、志ろかねの御館につきて、御二所の君に、御いとま申し侍
れば、おほみき給りて、とりどり御名残は盡きせぬものから、門出の
ならひ、こゝろいそがれて、志ろかねの御館を立いでぬ。品川のむま
やもすぎ、大森てふ處に志ばしやすらひけるほどに、永田町より、御
はなむけとて御便あり、いろ/\の菓子ともたまはりぬ。
かしこしな深き恵のかゝるよりなほ露そふるたびのころもで
このあたり、むかし荒■がさきといひけるよし聞えければ、
志ら波のあらゐがさきを越えきつゝむかしをとへば松風の聲
日もかたぶくころ、河崎のやどりにつきぬ。
けさまでは思ふことのは川崎を旅のわかれのはじめとやせむ
こゝまでは、志ろかね龍の口の人もまゐりつどひて賑しければ、み
きくみかはして、ふしどに入りぬ。
二日
きのふにおなじく、そら曇りぬ。川崎のむまやを立出で、程が谷もう
ちすぎ、境木てふ處に志ばしやすみけるに、このところは、武蔵と相
模との境なるよし聞えければ、
名残あれや馴し武蔵も行つくしけふ相模路へかゝると思へば
ほどなく、戸塚のやどりにつきぬ。
三日
夜明けて戸塚のやど立出づるに、けふもきのふにおなじく、そら曇
りて、小雨ふりぬ。藤澤のむまやも行きすぎて、江の島の道あり、十年
あまりのむかし、この神やしろにまうでしこと思ひ出して
昔我まうでしこともおもひ出ていのる心は神ぞしるらむ
馬入川うちわたり、平塚のむまやもすぎ、花水橋といふにかいたりぬ
るに、杜若の花の咲きしを見て、
なほこゝに春をとゞめてかきつばた色ぞうつろふ花水のはし
志ばし、このところにやすらひて、大磯をとほりしに、鴫立澤とて、か
すかなる堂のうちに、西行の像を安置せり
いまも猶むかしの跡や志のばれむ志ぎたつ澤の秋はいかにと
酒匂川うちわたりて、申すぐるころ、小田原のやとりにつきぬ。
四日
けふは箱根山をこゆとて、夜をこめて小田原のむまや立出しに、す
こし雨ふりて、明行くそらも、ほのぐらく見えぬ。
あかつきの人の八聲の鳥ともろともにけさ立いづる小田原のやど
夜明けて雨やみぬれど、猶曇りて晴れやらず、山路を一里ばかりのぼ
り、湯本てふ處の前に、たにがわの音高く清く流るゝをみて、
志らなみはせゞの岩間にくだけつゝおともすゞしき谷川のみづ
けふは東の方も雲にへだゝりて見えず、いとゞおもひやりて、
かへりみり武蔵の方をこゝろなく幾重はだつる雲もうらめし
猶登りてゆくに、雲も志だいに晴れぬ、折ふし時鳥の鳴くを聞て、
あづまより語らひきつゝ箱根山なれも旅とや鳴くほとゝぎす
ほどなく、関にいたりぬれば
四方の國治まる御代の志るしとて関もとざゝでけふぞ越しける
はこねのむまやにやすむ、そこに廣橋どのゝ歌とて、主の額になし
てかけぬるを見るに、仰山鑑水といふことを、
山をあふぎ水をかゞみに動きなく心くもらずやどにすむらし
となんありつる。またそのかたはらの額に、はこね一の本陣にて、父
子相つゞき勅使にてふじをみることも、君恩かしこまりて
君の恵あけくれあふぐ箱根山かそのとまりとおなじやどりは
箱根山ちゝのもとみし一の夜にふたゝびわれもめづるふじのね
となんある、げにこのところは、向ふにふじもみえ、前に湖水ありて、
ながめいとよし。けさは曇りてみえず。志ばしやすらふほどに、雲も
やゝ晴れて、冨士もすこし見えぬるに、うれしくて
我もまた君の恵のかゝらずばけふこのやどにふじをみましや
この山路は名たゝるけはしき道なるに、夜べの雨にて、岩かどなめ
らかに、ひちりこふかくして、ゆきなやみぬ。日のいるころ、からうじ
て、三島のやどりにつきぬ、このむまやは、三島の神の御社、かみさび
ていとたふとく、かしこければ
いのるぞよまたこむ春に立ちかへり猶もみしまの神のめぐみを
ほとゝぎすを聞て、
もろともに山路や越えし草枕かたらひがほに鳴くほとゝぎす