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陰をつくる語を齧ってみる

2020年03月07日 | 雑記帳
 昨日、歳時記を調べたとき「啓蟄や生きとし生きるものに影」(斎藤空華)という句を見つけた。これは、太陽の光が強くなってきた証を「影」に込めている良句だ。しかし、世間はなんとなく「」というイメージ。それを作り出している語が連日耳目に流れ込む。防げはしないけれど、がりっと齧ってみて、憂さ晴らし。


 「コロナ」とつくメーカーや商品は大変なのかな、とふと思う。コロナが「太陽大気の外層」を示すことは、中学か高校で習ったはずである。「光冠」は美しい光彩を表す。その名を冠したウィルスの画像を連日見ていると、似ているから付けられたけれど、反対の気持ちを抱いてしまうのは、私だけではないだろう。


 「自粛」は広辞苑に「自分で自分の行いをつつしむこと」と書いてある。確かにその通りだが、日本人には右倣えや長いものには巻かれろの精神が根付いているのか、どうも自粛というより遠慮といった方が実態に近い。それが美徳に当てはまるかどうか、判断を自分に迫る習慣はあまりないようだ。まずはそこから。


 「躊躇なく」…このところよく国会中継やインタビューで某氏が連発する言葉だ。躊躇とは「決心がつかず、ぐずぐずすること。ためらうこと」。スピード化の世の中に必須の態度だろうが、躊躇はまた、意味として「物事に動じないでゆったりしていること」も表す。判断、選択を即座に繰り返す胆力の有無やいかに。


 「マスク」に関わる話題に振り回されている。騒動が始まりだした頃「マスク無がったら、みんなメンコ(仮面の方言)付けだらいいべ」と軽口を叩いた。そもそも「面」の意味から「顔・容貌」まで広く表す語である。マスクを付ける科学的根拠が乏しく、または逆の心配もあるなら、そのままのマスクで暮らそう(笑)


 「クラスター」はclusterというスペル。「花・果実などの房。かたまり。群れ、一団」という意味だ。つまりは集まり。聞き覚えのある語としてクラスター爆弾がある。今の時期でなくともいい印象を持てない。端的に示す言葉として一端流布すると、イメージがついてしまう例と言える。言葉にも中身と外見があるか。