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桜と絵本と豆乳と

参参参(三十)酷暑の読書は

2023年08月27日 | 読書
 ちょっと異常だな…と天気のことでいうのは珍しくないけれど、これだけ続くと「ちょっと異常だな」。そのレベルはあがっていく一方だ。
 想像力で凌げ!!


『ばにらさま』(山本文緒  文藝春秋)

 「無人島の二人」の中に記されていた発刊へ向けて編集していたのがこの著だと、読了後に後付けに目を留め想った。つまり、死を覚悟しながら編集に携わった最後の本だった。けして好んで読むタイプの作家ではないが、「自転しながら公転する」を読んでからちょっと気にかかり、「無人島~」にたどり着いた者としては、著者がある意味訥々と語る「生」の実感は、きっと首都圏(笑)に住む者にとってごく近いのではないかと想像できる。それは、かなりな田舎に居る自分でも想像できて、この国の病んでいる症状を的確に描いている。「自転~」のPRで知った「明日死んでも、百年生きても」が凄い捨て台詞のように迫ってくる。




『鳥肌が』(穗村 弘  PHP文芸文庫)

 単行本は講談社エッセイ賞を受賞している。文芸文庫に収められているから、文芸性が高い?のだろう。穗村のエッセイはお気に入りだが、つまりは、自らあとがきに記すように「私の人生を四文字で表わすならびくびく」が起点になっている。そして、その中心にあるのは「他人という存在」にある「眩しいほどの未知性」、さらにそれから想起される自分に潜む未知性ではないか。若い人たちが、最近「コワイコワイ」という語をよく発する。まだ園児である孫も口にするのを聞いたことがある。日常生活にある「怖さ」の深度を掘り下げていく探検家のような存在だろうか。進む足元の震え具合が面白いのである。



『野良猫を尊敬した日』(穗村弘  講談社文庫)

 2010年から16年頃まで北海道新聞に掲載されたエッセイが主となって編集されている。上の著よりこちらの方が物語性もあって、描写として面白かった。解説は雪舟えまという作家だが「二種類の幸福」というテーマを掲げていた。穗村が描く幸福は、いわゆる達成や向上などとは異質の、名づけてはいないが「没頭、忘我、陶酔」系の内容と結びつくと読んでいる。価値観と置き換えてもいいが、それが才能と相まって穗村ワールドを形づくるか。個人的に惹かれた表現がある。「『わけもわからず書いてしまったもの』が、未知の世界の扉を開くことがあるんじゃないか」。現役教員の頃、とにかく書き始めていた自分が懐かしく思い出される。