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腐らせないは腐らない

2023年08月05日 | 雑記帳
 先月残したナンシー関の名言「ちゃんとした生活、それはものを腐らせない暮らしだ」から、いろいろ想いを巡らしていたら、『21世紀の楕円幻想論』(平川克美)の後半部で、あまりにフィットする考え方と出会ってしまった。実はこの本のキーワードの一つは「貨幣」なのだが、それは「腐らない」ことが特性だった。


 確かに人類の歴史において、貨幣の登場は「非同期的交換を可能にした」点で画期的だった。つまり「劣化しない価値の担い手」。その交換が人々の価値観を大きく転換させた。先日、図書館イベントでの「なぞなぞ」の定番にもあった。「新しくとも古くとも…」「キレイでも汚れていても値段の変わらないもの、なあに」





 と、ここまで書いて、「腐る」をキーワードに二つの方向が見えてくる。一つは、なんだかこの頃、現実として貨幣も腐ってきているのではないか…。まだ銀行などへの「預金」が利子を生み出していた時代とは明らかに違っている。これを比喩的に腐ると表現してもいいだろう。もう一つは物質の腐りに伴う人の腐りだ。


 それは死体でもない限りは、擬人的な用法だ。いわば精神が腐ること。この事態は身の回りと明らかに連動する。食べ物を腐らせてしまう生活を送ることは単に不注意もあるかもしれない。しかし突き詰めてみれば、どこか黒ずみが発生している。食糧以外でも、動かない活用されないモノがあれば要注意ではないか。


 人的環境もそうではないか。周囲を腐らせていないか。時々考える。知らずにそういう事態だとすると当事者は既に腐敗菌をまき散らしていると言えないか。人は冷凍保存も出来ないし、生き生きとした活動によって新鮮さが保たれる。…いや、腐敗でなく発酵にすれば…と声もするが、それには相応の技がいるだろう。