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捨てられない「捨」問題

2024年02月04日 | 雑記帳
 何度目かの「断捨離」に気が向いてきたので、書棚にあった某誌の該当記事を読み直した。確認したのは目的が「離」にあり、そのために「断」と「捨」があること。現状「断」は書籍以外あまり気にしなくていい。これが年をとることなのだろう。物欲はあっても、もはや生活必需品以外は積極的に手が伸びない。




 従って、まあいつものごとく「捨」が問題となる。それでも「断っている」のだから古くなるモノはあり、徐々に廃棄はしている。あとはやはり本かあ…と思いつつ、先日もまたネット書店などをみて、唯一購読しているミシマ社の雑誌『ちゃぶ台(12)』を注文した。ところが、その特集名は…「捨てない、できるだけ」。


 半年に1回発刊のこの雑誌は1980円。「生活者のための総合雑誌」を謳いながら高い価格だが、新たな視点が必ずどこかで示されている。特に歴史学者の藤原辰史氏の言葉に教えられる。今回、彼は言った。「地球全体の自然破壊の度合いは『九回の裏』です。試合決着直前で圧倒的に突き放されている厳しい状況だ


 環境問題で妥当な認識かどうかはわからない。ただその切羽詰まった状況の中でどうするかを、「『捨てる』という行為から考えていくしかない」と表現した。この考えはおそらくミシマ社の姿勢とも共通するのだろう。徳島の「上勝町ゼロウェイストセンター」や「本づくりのゴミ」という記事は非常に興味深かった。


 さて、自分の「捨」である。身の回りの整理整頓も環境問題に結びついていることは明らか。具体的には分別、再利用、廃棄方法等になろうが、まず意識するのは「物の命を全うさせる」だ。しかし意外と難しいぞ、これは。見渡す限りの物、モノ、もの…ティッシュ1枚、納豆一粒から気を遣うしかないと諦念する。