すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

一万に届く頃、エッ!!

2024年02月28日 | 雑記帳
 ふと自分が書いたものを人に読んで(見て)ほしいと思ったのはいつからだったか、と考えた。記憶にあるのは小学校4年生。白ノート!!に描いた漫画だった。貸本屋へ入り浸っていた頃だ。アンドロイドのヒーローの話を友達に見せた。他に上手な子がいて(そいつはAだ)自分は2,3番手だった(笑)ことも覚えている。


 次は中学校1年生の時に「卒業生を送る会」の出し物として劇の脚本を書いた。お笑いを入れたドタバタ劇である。地元の商品ネタ、学校の名物先生ネタを入れた。今思い出すとあまりにベタだけれど、当時はそれで笑いが起こった。その驚きは覚えている。だからか、シロウト脚本は断続的ながらずいぶんと書いてきた。




 印象深いのは高校2年生の時だ。いつぞやも書いた気のする「2Dノート」、それは教室内を回覧する自由帳だ。そこに物語を連載風に書きつけた。といっても駄洒落オンパレードのくっだらない展開だ。それでも70年初頭の高校生のノリでウケまくるのがたまらなかった。他人に読んでもらう快感を知った最初か。


 学校に勤めていた頃の通信活動は、言うまでもない。関心を持っている読み手(父母等)が確実に存在する学級通信、学年通信。人によって関心度は違うので工夫が必要な学校報。そして職員に向けても、研究・教務・教頭・校長とそれぞれの立場からの「発信」という形にし、読んでほしいという願いだけで書き続けた。


 教育実践とは異なる個人的な考えや思いをやや継続的に書きだしたのは、ブログが登場した頃だ。「すぷりんぐ+α」というサイトを2年ほど続けた。HPを開設していたので「+α」とした。Blog黎明期、コメントも続きそのコミュニケーションも楽しみだった。そして仕事や読書を意識したこのサイトを開き19年近い。


 数年前まで添えていた「陥穽から風穴をさがす」という心は未だに残ってはいるが、ずいぶんダラケタ中味になっちまったなあ。現役時代の結構鋭い文章も残るこのサイトを「老害の人」間近の駄文と混在させては、汚れますよ(何が?)。と迷いつつも、なんと5000件目の投稿となりました。1万に届く頃は推定90歳(爆笑)。