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情報を見た者も歴史の一部

2024年02月19日 | 雑記帳
 「秋田犬に、70代男性ももを噛まれる」…このニュース見出しをみて、何か引っ掛かりが心に生じた。詳しい中味は報道されていない。おそらくは放されていた犬が何らかの理由で近づいた人に傷を負わせたということだろう。先週「四国犬が…」というニュースがあり、類似的にピックアップされたのかもしれない。


 引っかかりを覚えたわけは、昔こんなことを耳にした(もしくは読んだ)記憶があるからだと気づいた。「犬が人に噛みついてもニュースにはならないが、人が犬に噛みついたらニュースになる」。まだ野良犬があちらこちらにいた時代だったろうか。「ニュースになるのは普通じゃないことである」と言いたいのだろう。





 話題性、ニュースバリューという言い方もある。現代では犬が飼われるとき、路上ではリードによって人に伴われて行動するのが普通であり。負傷者がいるので問題なしとは言えないが、管理上の不手際だけで、さほどの大事とはいえない。ただ、こうした事故が頻発しないような歯止め、予防の役割は果たすのか。


 ところで、昨秋だったか高校の教師らが校地内で喫煙したことがニュースとして取り上げられていた。もちろん現在の規制については知っている(個人的には行き過ぎだと考えている)が、こんなことまで…と思う。30年ほどまえだったら、タバコを吸った子どもを教師が呼びつけて説諭したが、今は先生が曝される。


 一つの「見せしめ」のようなものか。煙草を吸わないのが普通、吸っても公共の場では駄目、極めて限定された空間のみで許可される…健康被害という語の範囲を疑わざるを得ない。と言い始めてもきりがない。ただ、単純に流れていく情報にも歴史があり、黙認、容認も歴史の一部に組み込まれていくと自覚したい。