すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

子どもの悪さに意味がある

2025年01月16日 | 雑記帳
 久しぶりにバスに乗り、傍にいた小学生の他愛のないおしゃべりに耳を傾けると、子どもというのは本質的に昔も今も変わっていないのでは…という気がした。「しりしりをしよっ」と二人の男の子が始めたのは、無限?しりとりだった。「リンゴ⇒ゴリラ⇒ラッパ」と定番があって次が「パセリ」。それが「リンゴ」と続く…


 これを何度も繰り返し、通常ルールに逆らいながらリズムよく言い合う面白さを楽しんでいるのだと思う。また2時間近い乗車は、窓から見える景色や通過する道筋に変化を求めないと、どうにも退屈だ。そこで多くの子が目をつけるのはトンネル。それはどの時代でも同じかもしれない。ある男の子はこう言った。


トンネルに入ったら出るまで、息を止めるんだよ」。隣や後ろの子と一緒に「せいーの」…「ふうっ」とやっている。国道107号には短いトンネルが続く区間があり、最後にやや長いものもあり、変化が楽しめる。さしずめ「闇が来たら息をひそめろ」という訓練のようだ。大袈裟に言えば、それは人間の本能だ。



 以前だったら騒々しくなれば、引率者は注意しただろうが、今はそこまでボリュームは上がらない。これも世相というものか。昔、子どもの頃はよく「ワシラするなよ」と言われたことを、先日のあるイベントで思い出した。ワシラは沢山経験した方がいい。成長して待ち受けているのは「ホントッコ」の世界だから…。



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