知り合いの息子さんが突然死したというお知らせが回ってきました。詳細はわかりませんけど、その辛さは察するに余りあります。知り合いであるご本人も難病でこの数年、苦しんでおられました。随分前に、自宅のパーティーに伺った時は、典型的な幸せ一家でした。陽気で人気者の旦那さんに美人の奥さん、広い庭の大きな家にかわいい子供。ああ、あの時の男の子か、とぼんやりと思い出しました。きっと立派な青年になっていたはずです。その知り合いの人は、それからしばらくして別の部署に移動になって疎遠になったのですが、難病を患ってその部署から辞してからまた時折顔を見るようになりました。陽気で気さくだったのに、陰りがちで病気もあって笑顔も減りました。つい最近はその病気が原因とおもわれる転倒事故で骨折して入院したところだったのです。
数年前にも、うちの子供の親友のお兄さんが突然死したことがありました。うちの子も可愛がってもらっていて人柄もよい若者でした。若くして子供ができたが、奥さんが家庭も子供も顧みない人でまもなく離婚し、両親に協力してもらいながら乳児を育てていましたが、ある朝、起きてこなかったそうです。善き人は逝くという言葉はありますけど、通夜での両親の落胆ぶりは目を覆うばかりでした。
善人に悪いことが起こる時、われわれはその解釈に悩みます。善人も悪人も良いことも悪いこともなく、世の中のできごとはニュートラルなのだという考え方もありますけど、人間として生まれた以上は意味を求めるもので、辛いできごとには、なんらかの納得できる解釈をしなければ先に進めません。
昨日は家内がかつての仕事上の知り合いの人と久しぶりに食事に行ったそうです。聞いてみるとカウンセリングからの帰りだったようでした。この方は小規模ビジネスのオーナーでいろいろと問題のある従業員に悩まされていた話は以前から聞いていました。私生活では、一度目の結婚と離婚を経験し、その後のボーイフレンドは薬物濫用が見つかってゴタゴタの末に別れ、二人目のボーイフレンドは、新居に引っ越して同居を初めて数ヶ月で、単独事故で亡くすという目にあっており、どうもそのショックからまだ立ち直れていないようで、カウンセリングに通っているとのこと。
これらの話に別に結論はありません。誰にでも思いがけぬ辛いことが起こります。当事者がそれぞれの人生の困難をそれぞれに解釈して乗り越えるしかありませんけど、現実は一つしかない以上、「今現実に起こっていることが最善のことである」という仮定からできごとを解釈するのが実際的なのだろうと私は思っています。そうすれば、ポジティブな未来を予想せざるを得なくなりますし。ま、自己暗示のようなものですが。