百醜千拙草

何とかやっています

北朝鮮への道

2023-06-20 | Weblog
以前の研究に関しての最終報告書の提出と頼まれた推薦状の提出をこの週末やっていました。報告書や推薦状そのものは数ページの作文で、それぞれ小一時間で書き終わり、気分よく週末のビールに突入する計画でしたが、これらを提出するのが大変でした。

最近は報告書も推薦状も全てオンラインでの提出で、提出者の本人確認というものが必要です。こうした多少なりとも機密性のある文書の情報管理面は以前から段々と強化されており、今回はまずは報告書を提出するためのポータルサイトに入ることからして困難を極めました。アカウントにアクセスするには2段階認証が必要で、2段階目の認証は電話のテキストメッセージを使っているのに、その電話番号が使えないという状況。e-mailで問い合わそうとすると、今度はe-mailのパスワードが期限切れで、それを変えるにも電話での認証が必要。こういう状況を"Catch 22"と呼ぶのだなと思いつつ、独創性を発揮して複数の障害を乗り越えてなんとかログインし、認証方法を変えることに成功しました。電話ではなく認証ソフトを使うやり方が幸い使えて助かりました。

こうしたやり方は家の泥棒対策と同じで、アカウントの持ち主にとっては不便でありますが、情報を安全に管理する必要性からは、やむを得ないことだとは思っています。結局、どんなシステムにも穴があり、ズルい連中はその穴を通ろうとするので、その都度、そうした穴に対処していく間に、手続きが煩雑化していくのでしょう。

抜け穴はどんなシステムにもあり、それを修繕せざる得ない場合は、できるだけその部分だけの改善で済むように、システムをモデュール化して、各々を独立管理していくのが、安全管理の上で賢いやり方だと思われます。異なる情報は独立したモデュール内で管理することで、不都合が起きた場合は、最悪、そのモデュールを切り離すだけでダメージを最小化できます。というわけで、同一人物であっても目的が異なるサイトであれば、異なる認証法を設けているのが普通です。それを統一しようとはしません。違うカードには異なる暗証番号が推奨されます。それと同じで、さまざまな個人情報を含む情報は用途別に独立させて管理しないとリスクが高く、システムに不都合が生じた時のダメージが大きすぎるのでしょう。

然るに、世界のこの情報管理の趨勢に逆らって、「便利だから」とか「ポイントが貰えるから」と言って、個人情報を一つのマイナンバー カードに紐づけさせようとするのは、もはや詐欺師の手口です。個人情報には価値があり、その情報を資産状況まで含めて政府が一括管理しようとするのには不純な動機しか思い浮かびません。

加えて、このカードの規定を見てみれば、このカードによっていくら不都合が起きても政府は責任を一切取らないことが明言されています。すでに少なからぬ人々の個人情報が危険に晒され、不利益を被ってきており、その担当大臣はいつもの傲慢、無責任ぶり全開。

私の場合、カードを作らないのは危険さもさることながら、何より、この担当大臣と自民党政権が信用できないからです。外見や人種をもとに人を嫌い差別してはならないと私は思います。そうした属性はその本人が如何ともし難い部分があるからですが、言動や行動に基づいて他人を評価し、その上で「生理的に受け付けないほどに、人間性に問題がある」と判断するのは正当な権利であります。その上で、公人であれば批判を謙虚に聞くのは当然の職務です。

この「生理的にムリ」な担当大臣の悪口を言うのは自分の人生の時間の無駄遣いではありますが、その地位に相応しくない人間を批判するのは民主主義国家の国民の義務だと思うので、言うだけ言って終わりにします。この担当大臣は自分に都合の悪いツイートされるのが嫌で片っ端から批判的ツイートをするアカウントをブロックするので有名です。公人でありながら、国民からの批判を恐れその声に耳を塞ぎ都合の悪い質問は無視すると言う、重症の心臓縮小症と肛門狭窄症の持ち主です。ま、聞きたくない国民の声をブロックし、批判する相手をバカにするという点では、立民の「左様ならおじさん」も同じですが。批判的な意見を聞きたくないと言うのは誰でもそうですし、批判はそれがどんなに的外れなものであっても、地味にダメージ受けます。しかし、公人である以上は批判を受けても平静を装えるぐらいの余裕と打たれ強さが必要でしょう。彼らは結局、山本太郎が言うところの「貴族」であって、国民のことよりも自分のバッジや立場が第一で、単に死ぬまでの間「先生」と呼ばれて、チヤホヤされたいだけなのでしょう。そうでなければ援交がバレたぐらいで公職を辞任しないでしょう。

さて、この担当大臣は、「生理的にムリ」なのが多い歴代の自民党の大臣の中で最高に「ムリ」な部類です。大臣の椅子のために、それまで大掛かりに展開してきた「脱原発」の主張を一切、ウェッブサイトから消し去って無かったことにするような人間を誰が信用できるでしょう?自分に不都合なツイートをする国民を片っ端からブロックし、人の意見を聞くということができないナルシシストを誰が信用するでしょう?親の七光の世襲で議員になれただけなのに、国会や記者会見では都合の悪い質問は無視し、誰も聞いていない自説を喚き立てるような傲慢で鼻持ちならない人間を誰が尊敬するでしょう?「ムリ」です。以上。

と言うわけで、このように国民にとって何一つメリットがない上にvulnerableなマイナンバー カード。政府がゴリ押しする理由は三つはあると思われます。一つに、利権でしか動かない自民党、票の見返りに事業業者に税金を流し中抜きさせること、第二に年貢の取りたてを効率化すること、そしてこれが最大の目的と思いますけど、国民の資産を含めた個人情報を政府が一括で管理し「国民管理」に使うこと、です。独裁政権にとって潰すべきは国民の自由と団結であり、国民の個人情報を一括で手にいれることは、反政府分子を潰していく強力な武器となります。不景気に増税を繰り返し、インボイスによって小規模事業を根絶やしにしようとする国民貧乏化政策も、国民管理の一環と考えられます。国の農業を潰し、田舎の公共サービスを削り、都会に持たざる人間を集め、個人事業主を廃業させて「囲い込む」、その目的は都会で企業に雇用されることでしか生きられなくなった人々を安い労働力として組織票のもとになっている経団連企業に供給するためでしょう。追い詰められた国民は、目の前にちょいと飴を置いてやれば、何でもするようになります。会社に言われて自分の意思も権利も売り渡し、自民党に投票するようになる、そんな組織票が自民党を支えています。そして、政府の権限をますます高める一方で国民の権利をどんどん削り、生活が苦しいのを中国のせいにして、軍事費を増大し全体主義を煽り、国民生活を圧迫することで戦前の政治に戻す、それが与党と維新、国民の自民補完勢力の目指すところでしょう。彼らが目指す理想の国はすなわち「北朝鮮」でしょう。
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匙は投げられた

2023-06-13 | Weblog
ちょっと長くなってしまいましたが、週末はこの事件でツイッターは怒りのツイートに溢れたもので。すでに言い尽くされたような感もありますが、私も述べておきたいと思ったので。この事件で私が心から情けないと思ったのは、人権意識皆無の与党や維新以上に立民の対応でした。

先週末の法的根拠でさえ失ったにも関わらず、与党と「ゆ党」によって強行採決された入管法改悪法案。非人道的対応を続けた入管によって「殺された」と言っても過言ではないウィシュマ・サンダマリさんの事件があったため、流石に二年前は廃案にせざるを得なかった法案でしたが、ほとんど何も変えないまま、与党は今期国会に出してきて、強行採決。与党補完勢力の「ゆ党」、維新と国民も賛成。
 日本は難民条約に批准していながら、難民に対する人権意識が極端に低く、条約の精神を無視し難民を門前払い、強制送還によって彼らを生命の危険にさらし続け、入管施設では収容外国人に多勢で暴力行為、挙句にウィシュマさんのように死亡者を出す始末。難民保護国とは建前ばかり、しかも、ヘタに難民条約批准している体裁をとっているから余計悪質です。困って縋ってきた人に親切な顔をしながら冷酷に切り捨てる。
 アジア人種でありながら、アメリカにコテンパンにやられてから宗主国の主流人種である白人しか外国人に人権を認めないかのような歪んだ人種主義国でもあるようです。明治以来、やられっぱなしの欧米白人には媚びを売り、文化的歴史的恩恵を受けたアジア諸国の同人種は蔑ろ。肌の色や顔体つき、カネや地位で態度を変え、立場の弱い人間には強権的に振る舞い集団でいじめる、日本の最も卑しくも醜い恥部が現れているのが元与党であり入管です。

この人権意識の全く欠如した改悪入管法をそもそもなぜ、与党と「ゆ党」は通そうとするのか、全く理解に苦しみます。統一教会でしょうか?

今回、野党、特に共産党は、この人権意識ゼロの法案に大きく反対し、委員長の不信任案提出して抵抗しました。対して、立民のぬるま湯的対応は酷かった。次の選挙で公認が欲しい与党議員は如何におかしい法案であっても政権の方針に反対するわけもなく、結果、強行採決が決行され、世界が非難する中、成立。
 そして、強行採決を阻止しようとした山本太郎が委員長に近寄ろうと揉み合いになった時に「暴力」を振るったと難癖をつけられ、参議院の秩序を著しく乱したとして、懲罰動議が参議院に提出されるということがありました。採決を強行しようとする委員長の周りに与党議員で石垣を作る「人間かまくら」それを乗り越えようとすると「暴力」だと非難する、これはよく警察などが目的の市民を逮捕するのにやる「当たり屋」「転び公妨」と同類です。自民党が当たりもしていないのに「暴力」を振るったと一方的に相手に非をなすりつけるのには驚きませんが、今回の(そして前回の)立民の対応には、呆れ返利ました。

れいわ国会議員の懲罰同義に関しては、しばらく前「与党も野党も茶番」というプラカードを掲げたとして、衆院の同党の共同代表、櫛渕氏が十日間登院停止という懲罰を受けました。この時、山本太郎は、プラカードを掲げるというようなことはこれまで自民党も含めて議会では皆がさんざんやってきたことであって、それに対して登院停止という重い罰を加えたということに異論を唱えた上で、この懲罰動議に立民が加わったことに強い懸念を示しました。また、国会でのも揉み合いなど大昔から日常茶飯事でこれまで、揉み合いの一方だけを多数派議員によって懲罰にかけるというようなことはなかったのです。それは議会での懲罰というものは多数によって少数の言論を抑制する性質のものであるということをかつての議員は理解していたからです。小泉政権あたりから党執行部は非常に強権的になり、平気で弱いものいじめをするようになりました。所属議員も暴力団のチンピラのように振る舞って恥じなくなった。多勢に与して弱きを切り捨てることに抵抗がなくなった、そんな「いじめの文化」が議会に蔓延ってしまったようです。

法案反対の立場で採決を阻止しようとした山本氏への今回の懲罰動議に与党とゆ党が提出するのは分からないではないです。結局、権力闘争であり、れいわは少数政党ながら史上、唯一の市民政党という革命的存在だからです。れいわを恐れる気持ちはわかる。しかし、前回に続いて今回も、同じく法案に反対する立場であるはずの立民が、懲罰同義に加わっています。立民、単に頭が悪いのか、あるいは根性が卑しいのか、いずれにしても野党支持者に愛想を尽かされるに十分な行動でした。

しばらく前、参議院では当選以來一度も登院しなかったN党のガーシー議員に懲罰動議が出され、れいわを除く参議院議員の多数の賛成によって、除名されるという事件がありました。この懲罰動議に賛同せず、強い懸念を表明したのはれいわだけでした。つまり、参議院議員としてマトモに活動しているとは思えないこの議員であっても、その後ろにはこの人に投票した国民がいて、彼はその代表であるという民主主義の視点が、その懲罰動議に賛成した議員には欠けているのです。彼をケシカランと思うのは誰でもそうでしょう。しかし、議員という立場の人間がケシカランからと言って同じ議員に懲罰を与えてよいと考えるのは民主主義の精神を理解していないと言えましょう。つまり、彼を参議院から除名するということは、その支持者の権利を切り捨てるということであるということです。ゆえに民主主義の何たるかを理解している議員であれば、議員の懲罰に対して慎重に行動するはずで、それが良識というものです。そんな理屈を考えなくても、議会での懲罰行為を安易に行うということは、その気になれば多数の人間の恣意的な判断で少数意見を抹殺し議会を骨抜きにすることが可能になってしまうということに理解が至らないのであれば、議員としての見識に欠けると言わざるを得ません。

ガーシー議員の懲罰においても、同じ参議院議員が懲罰動議に加わることの影響を、野党全体、議会政治というスケールの視点から考えていたのは、残念ながら山本太郎だけであったということです。立民はともかく共産党でさえ、その視点を持ち得なかった。思えば、ロシア-ウクライナ戦争に対する態度もそうでした。全面的にウクライナ支援、ロシア非難を表明する中で、この戦争の落とし所を考えた場合に、第三国の日本が戦争当事者の一方だけに肩入れすることの負の影響を深く考えていたのはれいわだけだったようでした。

野党第一党である立民の政治センスの無さ、志の低さ、行動力と思考力のなさに政権交代を望んだ多くの人々が愛想を尽かしつつあります。それでも与党や維新よりはマシだと思って支えてきた人が匙を投げ出しました。弱小政党への懲罰動議というのは多数で少数の意見を強引に封じ込める一種の「いじめ」であり、少数意見への言論封鎖です。もうこの党は立憲とか民主とかいう言葉を党名からはずしたほうがいいのではないでしょうかね。

勘ぐるに立民の動機は下世話で浅薄なものでしょう。前回の国政選挙、れいわと共産党の選挙協力で議席を得た立民でしたが、れいわが次回の選挙では独自でやる方針を明らかにしたものだから、れいわは立民と議席を争う敵にな利ました。それで、れいわ潰し。れいわは立民の票を奪うというXXの穴の小さい戦略ではなく、投票率を上げてこれまでの棄権者の票を掘り起こすことで大きくなってきた市民政党で、立民は従来の連合などの組織票で支えられてきた組織。発想が貧弱なのでしょう。れいわが伸びれば立民が縮むとでも思っているのでしょうな。そんな針小のXXの穴政党が大きなビジョンを描けるはずもありません。目指すところはあくまで野党という小さなサル山のボス猿なのでしょう。サル山の外に本当の社会が広がっているのだから、サル山のサルに社会を変えることなどできません。立民の支持が広がらず低下傾向なのはまさにその見識と志の低さのせいでしょう。野党でありながら、わざわざ少数弱小党の懲罰に加担するということは、野党である自らの手足を自分で縛りにいっているようなものなのに、その自覚があるようには見えません。ま、政権を取りに行くつもりもなく、ずっと野党席から批判だけしていればよいという気楽な立場が好きなのでしょう。

しかし、心ある立民議員がいないわけではなく、若手や一部の人々に望みはあります。彼らは早いうちにマトモな人同士で固まって旗印を鮮明にして活動してもらいたいものです。

今回の山本太郎への懲罰動議に関して、最近、憲法委員会をめぐって愚かな立民執行部に背後から撃たれた小西議員、ツイッター述べた意見が的を得ていると思うので、貼り付けておきたいと思います。野党政党が弱小政党への懲罰に加担することの愚かさが解説されていると思います。

(下ツイートより引用)、、、つまり、懲罰制度とはいざ多数派が濫用する気になれば、あっという間に邪魔な国会議員の身分を奪い取り、恐怖政治で国会を支配することを可能にするものなのです。 そうすると、野党議員は常に「こういう発言や行為をすれば懲罰にならないか」と怯えながら、委員会での質疑や討論などを行うことになります(議場でのヤジも懲罰事犯として狙われるでしょう)。 特に、最初の懲罰の濫用が「戒告」などで止まっても、「今度、懲罰事犯を起こしたら即除名だ」となりますから、一度でも懲罰を受けたら終わりという緊張感でずっと縛られることになります。 つまり、懲罰制度とは議会制民主主義を殺す力のある恐ろしい制度なのです。、、、、それが故に、これまでの乱闘国会や強行採決では殆ど懲罰動議は実施されていなかったのです。 自民党もこうした良識のもとに懲罰の運用は極めて抑制的でありました。、、、、特に、今回の山本議員の事例は以下の観点などからもなおさら慎重であるべきと考えます。 ①人の生死が懸かった法案、しかも立法事実が崩壊するなどの異常な法案(=違憲立法)の強行採決であったこと ②暴力そのものが行為の目的ではないと思われ本人もそのように述べていること ③これまでの強行採決の例と明らかにバランスを欠くこと ④立法事実が無い法案を採決した委員長やそれに賛成した議員、その採決を助力した委員外議員(怪我をした二名の議員も委員外議員です)は不問であること(やろうと思えば制度上は懲罰可能です)、、、、、

また鮫島さんはこの事件を取り上げた記事の中で次のように述べています。
、、、
山本代表は、自公与党に徹底抗戦せず、波静かな国会運営を続ける立憲を厳しく批判してきた。立憲が粛々と採決を容認する結果、国会審議は注目されず、世論の関心も高まらず、重要問題法案が多くの国民が気づかないままに次々に成立しているという指摘はその通りであろう。
衆院議員3人・参院議員5人の少数政党であるれいわ新選組が国会で体を張って徹底抗戦し、問題法案によって人権をないがしろにされる少数者たちに寄り添い、少しでも世論の関心を高めようとする努力は、15倍以上の国会議員を有しながら「提案型野党」などと言って迫力を欠く立憲の不甲斐なさと比較して、涙ぐましいものがある。、、、
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今日の聖書 出エジプト記

2023-06-06 | Weblog
知らないうちに冬も春も過ぎ、気がつけば梅雨入り。Duolingoで始めたフランス語も今日で、1,000日目となりました。システマティックに学んでいるわけではないので効率は悪いですが、幼児向けの本ぐらいなら読めるようになりました。聞き取りは3割わかればいい方で、話す方は全然です。

という感じで、毎日それなりに楽しく過ごしていますが、最近、職場でブラブラ歩いていると、無意識に両手を後ろに組んでいることに気づきました。運転する時は曇りの日でもサングラスがないと辛くなりました。いつの間にか、くしゃみの音も大きくなり、立ち上がる時は膝に手をかけて掛け声まで発している時もあります。どうも進行性の病態、Ossanninattans Gravis Progressivaの兆候のようです。年月が過ぎるのは速いです。

と言うことで、この疾患の進行抑制のため、フランス語以外には、ピアノ練習と聖書の読書という日々のノルマを課しています。聖書の方は旧約の最初から順番にぼちぼち読んでますけど、東洋人に生まれ現代社会で育った私には理解できないようなエピソードばかりで、聖書の「神」はロクでもない奴だなとつい思ってしまいます。

しかし、その凡人には理解困難な「神」の振る舞いを、「神は絶対的存在である」という前提のもとに、どのように解釈し、そこから何を学ぶか、というのがおそらく聖書を読む意味なのでしょう。

私は聖書を単なる物語として読んでおるわけですが、それでも不可解な神の言葉や行動について考えてしまうことはしばしばあります。その極端な例がヨブ記に記されている神のヨブへの仕打ちでしょう。神がサタンと賭けをして、信仰厚いヨブに数々の苦難を与えてヨブの信仰を試すという話で、普通に読むと神のクズさ加減に辟易とします。これはキリスト教実践者の中でも最も解釈が難しいと言われている話だそうです。この古い物語の一つ一つのエピソードに隠されている意味を考えていく材料として聖書があるのだと思えば、聖書を読むことは中国仏教での禅問答に触れることに近いものなのかも知れません。

さて、読書の方は、ようやく創世記のあとの出エジプト記を半ばまで来たところです。出エジプト記は、モーゼがエジプトで奴隷となっていたヘブライ人を率いて、エジプトを脱出し、シナイ山で神の降臨とともに十戒を授けられるという旧約での山場の章です。歌舞伎で言えば「勧進帳」のようなものでしょうか。

聖書には神が戒律を与えた時に、戒律を破った場合のことをいろいろな場合に分けてしつこく記載されているのですけど、その中心の考えはこの章の10-23辺りに示されている、「命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足、、、、によって償われなければならない」という言葉に代表される「罪と罰」の関係ではないかと思います。神は、神とヘブライ人との間の取り決めにも同様に義務を強制しそれに反した場合の罰を定めています。そして、シナイ山に入る前、モーゼは祭壇を設け、雄牛を捧げて、その血を鉢に取り祭壇と人々に注ぎかけ「これは主があなたがたと結ばれる契約の血である」と言うのです。つまりこの「神」は人間を創造し、絶対的権力を持つものではあるが、人間は神とはあくまで独立した存在であり、神の権力と人間の権利の行使は「契約」に基づいているのです。

これは東洋人の私にとっては、非常に違和感を覚えざるを得ないところで、ここでの神とヘブライ人の関係は、喩えて言うならブラック個人企業のワンマン社長と社員のような関係ではないかと感じます。社長は数々の厳しい業務と制約を社員に一方的に課すわけですが、言いつけ通りに仕事をすれば社員には給料は支払われます。

ここに記されている神の言葉が現代の社会でも意味を成す比喩的表現であるとすると、例えば下のような言葉はどう解釈すればいいのでしょうか?

あなたは子やぎを、その母の乳で煮てはならない (出エジプト記 23-19)

あなたの豊かな穀物とあふれる酒とを捧げるにためらってはならない。あなたのういごを私にささげなければならない (出エジプト記 23-26)

そんなことを考えながら週末はビール飲んでます。
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歯医者とドラマと政府

2023-05-30 | Weblog
引っ越しに伴って新しい歯医者を探す必要があり、評判の良さそうなところに予約をとって行ってきました。幸い、三週間待ちで予約が取れました。
当日は、前日に打ったModernaのワクチンのおかげで体調は最悪でした。これまではずっとファイザーのワクチンでほとんど副反応はなかったのですが。ワクチンは同じメーカーでもバッチ差がかなりあるらしいですし、私も一年ぶりで原因はよくわかりませんが、フラフラしながら、歯科に到着。

待合室に入ると、棚に同じ作者のハードカバーの小説がずらりと並んでいるのが目に入りました。作家の苗字がこの歯科医院と同じだったので、調べたら、どうも院長のお姉さんは小説家だったようです。案内された歯科椅子に座ると目の前の壁には、TVドラマのポスターが飾られていて、その小説の一つが最近ドラマ化されたようでした。

このドラマになった小説は、昔、神戸に存在した総合商社の話で、この商店については、かつて城山三郎が50年前に書いた小説があって、私も文庫で読んだのを覚えていました。城山三郎の小説はこの商社の興亡をその転落のきっかけとなった焼き討ち事件を一つの収束点にして、事実上の経営責任者であった番頭を中心に据えて書いたものでしたが、思うに、この女流作家は、この話を城山作品では脇役であった女主人の視点から描いてみようと思ったのではないでしょうか。

栄枯必衰が常の世の中で、上を極めたとしても一瞬のことです。かつて世界を制したこの総合商社の華々しい発展とその後の破滅はその事実を突きつけます。それでも人は落ちる時が来ることを知りつつ上を目指し、死ぬと分かっていて生きるもので、それがドラマなのでしょう。

この歯科医院では、歯科衛生士の人も先生も丁寧で、なるほど人気になるのも理解できると思いました。前の歯科ではクリーニングもスケーラーでガリガリやるので、いつも血まみれになっていましたが、ここでは手作業でカリカリと快適でした。8ヶ月ぶりのクリーニングで、歯石が出来始めたところもあってブラッシングを指導されました。詰め物の不調も見つかり、しばらく治療に通うことになりそうですが、よい歯医者を見つけることができてよかったです。

受付の横には「マイナンバーカードで初診料が安くなります」との表示がありました。マイナンバーカード、すでに種々様々なトラブルが続き、実害も出ています。システム設計の欠陥に加えて、担当大臣からして責任とか信頼という言葉から最も遠い男、日本政府がこの制度を安全に運用できる能力がないのは最初から懸念されていました。さすが無能さでは期待を裏切らない日本政府。

国民の個人情報をシステムに集約させるという情報管理上のリスクが大き過ぎて先進国ではどの国もやっていないようなことを情報管理の杜撰さでは定評のある日本政府がやり始めたわけで、システムの廃止に至るような取り返しのつかない事態に陥るのは時間の問題でしょう。そして、そうなった時に政府がどういう対応をするのかは火を見るようにあきらかです。古くはインパール作戦、関東軍の潰走、近年では、消えた年金問題や福島原発事故被害者への対応に見られるように、政府の無責任で浅慮な政策によって生み出された被害者の立場は弱く、結局、泣き寝入りさせられることになります。今の日本、公助は期待できず、国民自身の身は自分で守らねばならない状況にあって、しかも、その最大の敵が政府というのだから、ディストピアはすでにこの国に具現化していると言えるでしょう。
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没落の理由

2023-05-23 | Weblog
長年所属していた学会の秋の大会の演題審査を頼まれました。私はもうこの学会に行くつもりはないですけど、最近の研究の動向にも多少興味があったので、引き受けました。20題ほどの抄録を評価して点数をつけるのですが、そのうちで面白いと思ったのは4題ほど。あとは、すでにわかっていることを別の方法でやり直したとか、とりあえずシングルセル解析やってみた、みたいなYoutuber的なノリのやつとか、結論がパッとしないので厚化粧になったら重みで崩れてしまったのとか、そんな感じです。「成果」だけで評価すれば、つまり8割の研究は(現時点では)大きな意義は明らかでないものです。予想された通りで、いつも変わらぬ風景に安心半分、落胆半分。

この学会は五、六十年前の黎明期に数人の同好の志が集まって始めた研究会を中心に発展し、一時は5000人を超える学会参加者を数えたこともあります。その間、学会の規模は拡大し、そして縮小してきましたが、面白い演題とそうでない演題の比率は変わりません。ですので、面白い演題の絶対数は、学会の規模が大きくなると増え、規模が小さくなると減ります。

投資において、2割の投資対象が利益の8割を生み出しているという観察から導き出された80-20の法則は、投資以外のいろいろな状況にも適用可能なユニバーサルな法則のようで、研究業界でも例外なく当てはまるように思います。面白い研究は2割、それが全体の8割のインパクトをもっているようです。

つまりそのハイパフォーマンスな2割の集団は、成果だけで判断すれば、残りの8割の平均の16倍の効率を持っているという計算になります。これだけ見れば、使えるリソースをこの2割だけに集中投下すれば現在の4倍の効率で成果が得られるはずだ、と単純に推論する人もいるでしょう。もちろん、そうしたナイーブな考えに基づくやり方は、通常は長期的には失敗することは繰り返し示されており、ゆえに分散投資が勧められております。

研究という活動も一種の投資であります。うまくいくかどうかはやってみないとわからないし、リターンを予測することもできません。研究成果の価値の評価さえ直ちにできない類のものもあります。そして、そもそも研究の優れた成果とは、いろいろな分野に分散投資した結果として、2割の確率で出てくるという話にすぎません。その2割の成果が現れるためには、その他の多くの一見ぱっとしないような多彩な研究が必要であることもしばしばです。現在パッとしなくても将来に大化けする研究もでてきますし、地道な意味のよくわからないような研究データが大発見をもたらす鍵になることもあります。捨て石があるからこそ急所に石を打つことができ、地道な積み重ねがあるからこそ、それを踏み台として高いレベルに手が届くというものです。

この分散投資をした「結果」としての2割を、成果の単独の原因と考えて、残りの8割をあたかもムダであるかのように扱ってきたのが日本政府の大学、研究政策でしょう。残りの8割は山で言えば裾野であり、氷山で言えば海面下の部分です。そこを削れば山は崩壊し、表面に出ている氷山部分は小さくなります。その8割に割くリソースを削って、結果として成功した2割に注ぎ込んで起こると予想されることは自明でしょう。加えて、80-20の法則はその2割の集団にも作用し、そのハイパフォーマー集団の8割はmediocre集団になっていくと予想されます。

さて、日本の教育研究政策をこの観点からみていますと、違和感を感じざるをえません。東大出で計算が早く優秀なはずの文科省官僚が、なぜこのように、研究や学問の裾野を狭め、人材育成を妨害し、多大な国益の損失につながるような政策を取るのか、私はずっと不思議に思っていました。東大官僚がバカになったというわけではないでしょう。また、日本がどんどん貧乏になって没落していき、国民生活のレベルが下がり少子化が進んでいるときに、単純で有効な解決策があるのにも関わらず自民党政権は、それをやらずに、逆に悪くするような政策を次々に打ち出しては、この30年間、ますます状況を悪化させてきました。いくら自民党議員だといっても、小学生でも理解できる理屈が理解できないはずはありません。

こう考えると、利権でしか動かない自民党政権を見ていて、疑念から確信に変わったことは、この政権は単に無能なのではなく、不誠実で邪悪でさえあるということです。つまり、自民党政権はこの「国民いじめ」を意図してやっているということです。増税し、福祉を削り、国民から教育機会と財力を奪い、非正規労働を増やし、農村を潰して、都会に持たざる人間を集めて管理する「囲い込み」を行う大きな理由は、安い労働力でしょう。組織票を持つ資本家の手先となって一般国民を貧乏にし、安価な労働力に変えることによって自民党は自らの権力を維持しようとしている。加えて、組織票と引き換えに、日本国民を朝鮮民族の奴隷とすることを教義とする反日カルト宗教と手を結び、多くの日本人被害者を出してきました。つまり、この党は、日本に優れた人材を育てて住みやすい豊かな社会を実現することを望んでいないばかりか、日本をもっと貧しくして切羽詰まった人間を増やすことで、国全体を安い賃金でよく働く労働者のタコ部屋にしたいと望んでいるのです。そう解釈すると、すべてが腑に落ちます。これは多分、当たらずとも遠からずでしょう。自民党が、先進国では義務化を廃止した国民総背番号制のマイナンバーをわざわざ導入して、個人情報を一括管理しようとし、改憲を通じて、独裁政権の安定化と国民管理の強化を目論むのは、「国民いじめ」の結果として、将来起こりうる市民革命や一揆のような運動を予測しており、それを抑え込むためであろうと想像できます。

数々の物的証拠が示す通り、自民党議員が国民の代表だというのは建前としても正しくありません。彼らは利権団体の代弁者、宗主国の植民地管理者、韓国カルト宗教の手先であり、端的に言えば国民の敵であると認識されるべきであります。
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2023-05-16 | Weblog
週末は法事でした。この一年に複数の身内が相次いで亡くなり、通夜、葬儀、四十九日、初盆、一周忌とこの一年以内に何度もほぼ同じメンバーで会食することになりました。残された人々が故人を偲び、思い出を分かちあう機会として、法事というのは悪くない制度だと思います。しかし、単なる儀式となってしまった日本ならではの葬式仏教そのものは仏教の実践とは無縁のもので、そこには違和感を感じずにはおれません。

お坊さんがほとんど意味不明のお経を唱えるのを聞いていると、いかに目を開けたまま眠ることができるか、という神経生理学上の難題に無意識に意識が集中されるのが意識されるという一種のトランス状態に入っている自分を客観的に観察している自分という存在が意識されるのでした。これはいわゆるヴィパサナー瞑想に近いのではないかと思いつつ、南無阿弥陀仏を聞きながら壇場の飾り物や蝋燭の火を見て見ました。

法事の後、午後の用事を済ませてから、義理の兄と居酒屋で晩飯。居酒屋のあとは、その近所の飲み屋に二十年ぶりに立ち寄りました。カウンターが10席ほどの狭い店で、バーテンのマスターは無口、まっすぐ家に帰りたくない中年親父が一人で立ち寄って、黙ってウイスキーをショットで飲んで帰っていくというタイプの店で、昨日は他に客もいたのに二人でダラダラと喋ってしまい雰囲気をぶち壊したので、酔いが醒めてからちょっと後悔したのでした。話題はいつもの話。今後、子育てが終わり中年が過ぎ老年期になったらどう人生を過ごすかという哲学的かつ現実的難題。

この店は、カウンターに置かれた樽に入っている特別にブレンドしたウイスキーが名物ですけど、数十年を経ても同じ位置に同じ樽がありました。ついでにその横にあったダイヤル式の黒電話も昔のまま健在でした。多分50年以上前に製造されたものでしょうがちゃんと機能します。

そのまろやかなウイスキーを完全に透明な氷と一緒にロックで一杯。昔は松の実がつまみでしたが、今回はナッツとカマンベール風のソフトチーズ。二杯目はマティーニ。三杯目は、目の前にラムのボトルがあったので、ラムベースのカクテルをと注文したらキュラソーとレモンジュースで作るXYZというのが定番ということで、それ。無駄のない動きで作って注いでくれるマティーニをこちらも帽子とスーツが似合う渋い中年男性になったつもりで啜ります。この瞬間、ホストと客の間に無言のコミュニケーションが行われるわけですが、それは「形式」に依存しているということがふと実感されたのでした。バーでマティーニを飲むということは、一連の形式を踏まえた儀式であり、ゆえに人は自宅の台所でコップにジンを注いで呷るかわりにわざわざバーに足を運ぶのでしょう。

すなわち、ショートグラスは液体を入れる部分だけをあらかじめ氷水で十分に冷やされる必要があり、それは冷蔵庫に入れておいたグラスを取り出して使うというのではダメなのです。マティーニはステアで正確に合わせたものを客の目の前で注がれる必要があり、ステアグラスの中の全量の液体を注ぎ切った時に水面がグラスの縁から5ミリ以内に収まらなければなりません。グラスに入れられるものは適度に塩抜きしたオリーブでなければならず、最後に控えめな「の」の字の腕の運動でオレンジ皮かレモン皮からの雫の霧が客の目の前でグラスの上に回しかけられなければなりません。

これは、茶席の茶と同じですし、法事でお坊さんが鐘を鳴らし香を焚いてお経を唱え、出席者が焼香するのと相似であります。重要なのは形式であり、それが人間同士の関係の安定性を確保しているのだとあらためて感じたのでした。お坊さんが袈裟を着て剃髪するのも、医者が白衣に聴診器をぶら下げるのも、実験をしなくなっても研究者がピペットマンを握って写真を撮りたがるのも、そういうことなのでしょう。
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ゴールデンウィークが終わって

2023-05-09 | Weblog
休日出勤のせいで、いつもよりも忙しかったゴールデンウィークが知らぬ間に終わっていました。しばらく祝日はなさそうなのが残念ですが、ゴールデンウィークだからといって何か特別なことをする計画もなかったので、ヒマを持て余して昼間からビール飲んでるよりはよかったかなとは思います。

5月3日は憲法記念日、憲法の精神に立ちかえり、国のコア バリューを再確認する日のはずが、権力側の連中が手前に都合の良いように憲法を改悪しようと、平和憲法に言いがかりをつけて戦争の脅威を煽り、それをメディアが垂れ流す。自民党、公明党、国民民主に維新、所謂、反社会集団、その手先のNHK、そして政府広報の金欲しさに政権与党にゴマをするTVメディアに新聞社。厚かましすぎる。日本は立憲君主制の国、まずは政権与党の人間が率先して憲法遵守を宣言するのが本来のあるべき姿です。

立憲君主制と言えば、イギリス。五月六日には戴冠式、先代のエリザベス女王の70年に渡る王位の後、ようやく75歳にしてキングに昇格。どの分野でも高齢化は世界のトレンドのようです。遠からず代替わりになるのでしょうが、次にキングとなるウィリアム王子は、新約聖書の最後にあるヨハネの黙示録の中で預言されている7つ首の獣の「666」という数字で示される人間、アンチ キリストであると解釈されているそうで、ハルマゲドンも近いのかも知れません。

ゴールデンウィーク中、普段の休みと違うことをしたのは、トイレと洗面所の壁を漆喰風に塗ったことです。壁をペンキで塗ったことは何度かありますけど、漆喰風塗料はペンキの5倍以上は大変でした。仕上がりもちょっと不満、おまけに無理な姿勢での作業での筋肉痛と腰痛で、もう2度とDIYはやるまいと心に誓いました。ちなみに、今回で学んだうまくやるコツは、計画と下準備を綿密にやることです。下地の処理とマスキングを丁寧、正確にやること、道具を揃えてその使い方に習熟しておくこと、でしょうか。(当たり前のことですが)

これは実験でも同じで、まず、全てのステップを思考上で細部までシミュレーションしてみて、各工程で準備を確認し、注意点を洗い出し、できるならその予備実験を行ってから、本実験に臨むのが、結局は近道です。そうした面倒な準備や細かい作業をするとき、思い出すようにしているいくつかの言葉があります。「安全第一」、「急がば回れ」、それから、昔、Robert Fulghumのエッセイで学んだ英語表現、”Anything not worth doing is not worth doing well"。これは"Anything worth doing is worth doing well"をもじったもので、これらの言葉は、研究者時代の私の仕事上の原則でした。やる価値のあることはベストを尽くしてやる価値があります。また逆に、やる価値がないことには時間と労力を使わない。この趣意は、まず「やる価値があるかどうか」を見定めよ、ということだと思います。また、初めてやることに関しては「明らかに悪い結果が予想されない限りは、どんなことでも一回はやってみる価値がある」と私は考えるようにしております。
結局、漆喰塗りは初めてにも関わらず、これらの原則を軽んじたことが原因で、満足のいかない結果となってしまいました。でも初めての経験で学んだこともあったので、やってみる価値はあったと思います。

それ以外は特記すべき出来事もない連休でした。多少有意義だったのは、教育系Youtubeでフランス語を少し、それから、左心耳の存在意義についての蘊蓄を少し学んだこと。左心耳は3つぐらいの生理的役割があるようですけど、ないと困るというものではなさそうで、大人ではむしろ無いほうが病気の予防には良さそうです。発生学的な意義があるのかも知れません。

そして、ゴールデンウイーク最後の日曜日は雨で昼間から飲んでダラダラしました。アメリカの大学では、卒業式が始まる季節。日本は「卒業式」ですけど、アメリカでは「開始式」。過去を振り返れば長い学生生活の終わりだが、今後を考えれば新しい社会的役割の始まりということで、視点を置く位置が違うのですね。若い時は未来を見ており、年を取ると昔を懐かしむ。私の人生、その間に色々あったはずですけど、今だに大学を出た頃のことを昨日のように思い出します。
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今日の聖書

2023-05-02 | Weblog
拘束時間はあるものの時間的に比較的余裕のある職場に移って二ヶ月、暇な時間は調べ物をしたりツイッターを覗いたりして過ごしています。
前の職場では、コロナ前は昼間に抜け出してジムで三十分ほど走っていましたが、コロナ後行かなくなり、その後病気もしたので、体を動かす習慣はなくなってしまいました。また水泳でも始めようと思っています。体同様、年々、悪くなる頭に対しても多少は負荷を加えねばならないと思って、2年半ぐらい前からの一日10分のフランス語と週末のピアノ練習をしています。しかし、いずれもマンネリ化してしまい、始めた頃の楽しさはすっかりなくなってしまいました。何かを成し遂げるのは「やる気」ではなく続ける「習慣」だともいいますから、歯磨きするのと同じように、一応、坦々と続けています。フランス語の進歩は初級のまま、後退していないだけましというレベル。ピアノもご同様。それで、何かもう少し楽しい毎日のプロジェクトをと思って思いついたのが、実家にあった聖書を読んでみることでした。妹が通っていたキリスト教系の学校で買わされて、卒業後、実家に放置されていたものようで、日本聖書協会が発行した1955年度改訳版です。

実は、聖書を読もうと思ったことは若いころにも一度あって、その時は英語の練習も兼ねて英語版を買いました。思えば、それが失敗でした。日本語で読んでもしばしば理解困難なのに"Thou shalt not steal" みたいな英語で、加えて、当時はその他にもいろいろ忙しかったので、数ページ読んだあと積読になって、そのうち本そのものもどこかに行ってしまいました。

しかし、この「世界的ロングベストセラー 」を読まずに一生を終えるのはマズいのではないかという気持ちはずっとありましたし、この中東での物語が、なぜこれほどまでにヨーロッパの文化に入り込んで、音楽や文学をはじめとして数々の芸術作品のモチーフとなったのか、そして、この物語が繰り返し繰り返し語られるようになった後、2000年たってもその代わりとなるような新しい物語が生み出されないのはなぜか、それを知りたいとも感じました。

キリスト教がヨーロッパに広まったことは、近代に生きるわれわれのライフスタイルに大きな影響を及ぼしています。ヨーロッパに代わって世界の中心的役割を担うようになったアメリカ合衆国もキリスト教国家として始まりました。欧米の文化が世界中に広がるにつれて、東洋の我が国でも、キリスト教由来の文化が定着し、クリスマスは国民的行事となり、教会で結婚式をするのもスタンダードになりました。この調子だとそのうち復活祭も始まるでしょう。

キリスト教がヨーロッパの精神に組み込まれたことは、芸術や文化の面でも数々の素晴らしいものを生み出すことになりました。おかげで、我々はヨーロッパの美しく圧倒されるような大聖堂など宗教的建造物の数々や絵画や彫刻やバッハのミサ曲やクリスマス オラトリオを楽しむことができます。もし、キリスト教ではなくワビとかサビとかヨーロッパで流行っていたなら、欧米が世界の覇権を取ることはなかったでしょうし、キルケゴールもニーチェも生まれることなく、おそらく「科学」という学問も生まれていなかったであろうと想像されます。近代の世界を作り出したヨーロッパとイスラム世界の精神の原点が聖書の中にあると思えば、やはり聖書は読んでおくべきだろうと思いました。

この聖書は一ページが二段で、旧約が1300ページほど、新約が400ページほどなので、一日に一ページ読めば5年ぐらいで読み終えることになります。それぐらいのペースで読むことにしました。

現在、旧約の最初の創世記の前半を読んだところです。神が世界と人間を作ってから、とりあえず、おこったことは、虚言に謀略、裏切り、差別にエコ贔屓、嫉妬に怨嗟、兄弟殺しに子殺し未遂、強姦に近親相姦、といったところです。
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終わりの予感 統一地方選後半戦

2023-04-26 | Weblog
統一地方選の後半戦が終わりました。一緒に行われた二人の安倍一族欠員に伴う山口での衆院補選は結果としては残念なことになりましたが、中身をみれば、安倍後継候補、岸の世襲候補ともに僅差で当選したに過ぎません。いずれの候補も対立候補に比べて圧倒的に実力不足。岸にいたっては誇れるものは血筋のみ。縁故票とおそらく「壺票」という組織票で当選したにすぎません。これで次回の選挙で安倍家は消滅することになります。自民党の他派閥候補によって安倍系が駆逐されるというシナリオに加え、壺票が何らかの事情で失われれば野党候補が勝つという可能性も見えてきたように思います。

地方議会に目を向けてみると、たとえば48議席の杉並区議会では、自民党候補は議席を減らし、与野党の比はむしろ野党が優勢なぐらいです。小選挙区制の国政選挙よりは、地方議会での議員の構成が、全体として国民の民意をよりよく反映しているのだはないかと思います。とすると、自民党や公明党が強いというのは、国政の話であって、それは、思うに「壺票」や創価票などの組織票、メディアへの恫喝コントロール、Dappiに象徴されるように雇われツイッター工作員による野党へのネガティブキャンペーン、などの汚い手口に頼っているからではないかと考えられます。先進国ではありえないほどの低投票率の中では、壺票は無視できない数なのだと思います。だからアベは自ら壺票の割り当て権を握ることによって党内で一強といわれるほどの権力を維持できたのでしょう。

これが、だんだんと変わりつつあります。自らの権力維持と引き換えに、日本を政治の中枢を通じて支配しようとした韓国のカルト宗教団体の手先になり、教団の広告塔として日本国民を欺き、山上氏のような多くの被害者を作り出してきた売国奴、それがアベ政権の正体でした。今回の統一地方選挙の結果を詳しく見れば、水面化で大きく国が動きつつあることをを感じさせるものでした。壺を排除すれば自民党の議席は半減する可能性もあると感じます。

腐敗と悪政のツケは自民党に回ってきつつあります。自民党は外から見えるほど国民の支持を集めているわけでも、しっかりした基盤があるわけでもなく、内部から朽ち果てつつあるように感じます。しかし、そんな自民党にすり寄る「ゆ党」や寄らば大樹で集まってくる連中は後を絶ちません。

今回の衆院補選でアベの選挙区から出た統一教会問題の専門家でもある有田芳生さん。選挙演説での「下関は統一教会にとっての聖地」という発言を曲解し、下関を侮辱した、とツイートした芸人ツイートが炎上。意図的な選挙妨害も疑われましたが、これに輪をかけて悪質なのが、とある元おニャン子のツイート。的外れの批判を有田さんに浴びせた上、「軽蔑する、考えなし、軽率、お花畑」と揶揄したのが問題となって、選挙妨害、名誉毀損で訴訟になりかねないとの話。この人、有田さんを「ヨシフさん」と呼んでいました。有田さんをヨシフさんと呼ぶのは、もともとその筋の人だという指摘もありましたから、この元おニャン子おばさんも実は壺系なのかも知れません。

この的外れで無礼極なツイートを選挙前に行った理由について、ネットでは、意図的な炎上商法との見方が優勢です。元おニャン子といえば、前回の参院選で強行採決の数あわせ要因としてかつぎだされて東京比例区で当選した人を思い出します。選挙前の政策表明などがあまりにデタラメだったので大バッシングを受けた人です。しかし、そんな恥や外聞を気にしなければ参議院議員となれば六年間の任期の間、強行採決の時の賛成票を入れるだけで、年間数千万円の議員報酬を受け取れます。日本の議員報酬は他の先進国に比べてもよすぎるのです。

この元おニャン子おばさんもその二匹目のドジョウを狙っているのだろう、と人々は勘ぐっており、そうこうするうちに自民党が早速候補リストに入れたという話まで聞こえてきました。自民党執行部にアピールする目的で、わざと炎上狙いでツイートしたのではないでしょうかね。ところが、名誉毀損で訴えられる可能性が出てきてから突然、トーンダウンしたあたりがなんとも。

民党に群がって甘い汁を吸おうとする者は当分続くでしょうが、自民党の党勢は下り坂と思います。ともあれ、自民党が終わる日も遠くないと思わせられた統一地方選でした。
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人生の目的

2023-04-21 | Weblog
研究室を閉めて、今の職場に移って、約一月半、ストレスフリーの日々を送っております。いろいろ新しいことを覚えたり学んだりする機会も増えて、思いのほか大変ですが楽しい日々です。

アカデミアでの研究という活動は基本的に個人的で孤独な活動で、いろいろ考えて仮説をたててテストするということを繰り返し何らかの新規の知見を得るという作業です。個人的であるゆえに個人の裁量が大きく、それはそれで楽しいのですけど、その自由さには多くの代償が必要でもあります。

一方、今の職場は共通の目的のもとに複数の役割分担した人々が共同で日々の作業にあたるわけで、基本的にチームプレーです。自分の好きなようにはできません。あくまでニーズにあったサービスを提供し対価を受け取るという普通のビジネス活動です。しかし、チームで動くので基本的に自分の役割だけに集中していれば全体として仕事は回っていくし、実務的なことはあとのスタッフが助けてくれるので精神的にラクです。

研究者時代は、研究室運営のためのグラント獲得の競争、カネの計算、人員管理、論文出版プレッシャー、などなど、研究以外の諸々雑多の事柄がとても重荷でした。しかも、それらの失敗の責任は最終的に自分に返ってくるのに自分では何ともしがたい事柄に大きく左右されるのです。

研究活動をするのに必要な研究室運営のための雑用に研究時間の大部分を費やさざるを得なかった生活から解放された今、振り返れば長かった研究生活を離れて寂しく思うよりは、清々しい気持ちの方が優っています。

大学院時代は、恥ずかしいぐらいに野心的でした。日本社会で生きていくのには何らかの組織に属してその一部分として制約の多い中で働きながら、一方で自己実現を目指していかねばなりません。野心的であればあるほど、それは困難に思えました。そして、自分が置かれた社会の枠から自由になるのに研究というのは魅力的な手段に思えました。また、研究活動というものが「わかっていないことを革新的アプローチで解明していく」ことだと思えば、未知の世界を探検する冒険者が抱くと同じワクワク感に満ちているように思えました。実際、チマチマと手を動かして何らかのデータを出してあれこれ考えるということは大変楽しかったです。

しかしながら、現実は厳しく、期待は常に大きすぎ、いつの間にか野心は「保身」程度に小さくなり、夢は見るものではなく忘れるものとなりました。結局、人は現実を直視し、理想と現実の折り合いをつけながら生きていくほかはありません。そう言い聞かせながらのこの五年ほどでした。

いまは野心というのはないわけではありませんけど、とても個人的なものとなったのでそれが実現してもしなくても心が大きく動かされることはなさそうです。今後は現実の方により注意を向けて対処していくことになりそうです。

それで、これから私を待ち受ける現実ですが、間違いなく起こるであろうことははっきりしていて、それは、肉体的、精神的、社会的な衰えです。まもなく、体のあちこちにガタが出始めて、肉体的に苦しいことが増えます。膝や腰が痛み、夜間のトイレが増え、少し歩くと息切れがし、眩暈に立ちくらみ、物忘れが激しくなり、一人で出歩けなくなります。家族も子供はすっかり独立して交流が減り、仕事はいずれできなくなって毎日話をする人もいなくなり、ウチで一人暮らしとなり、そのうち自宅で突発的な病気で死ぬことになるのではないかな、と想像しています。その間に、病気や怪我の二つや三つにあたるかも知れず、病気の本を眺めると、悪性腫瘍に感染症、神経変性疾患に腎不全、糖尿病に動脈硬化、呼吸不全に心不全、免疫疾患に血液病、食中毒に交通事故、と数え切れぬほどの好ましくない状況が述べられていて、それらの状況に自分自身が落ち込まない可能性の方が低いと思わざるを得ません。

それで、まもなくやってくるそうした日々をどう過ごすかということを考え始めました。たまたま家にあった五木寛之氏が20年ほど前に書いた「人生の目的」という本をパラパラしているところです。
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ランダム ニュース

2023-04-14 | Weblog
ランダム ニュース ツイッターから。

ドイツ、明日で脱原発完了。 「ドイツは原子力という技術が結局、危険なものであると判断したから決めたのです。福島で起こった原発事故や津波が一つの大きな論拠になりました」

他国の原発事故から学ぶ国、自国の世界未曾有の規模の事故からも学ぼう年ない国。どちらに未来があるでしょう?

「ワクチン業務100人のはずが33人 パソナが10億円過大請求(2月発覚)」

これだけデタラメやっても政権とべったりだと逮捕もされません。

15億円 岸田内閣の官房機密費 領収書不要97% “使途秘匿金”が増加

アベ、スガ時代よりも悪質。使い道はリアルタイムでなくても公開されなければならないと思いますね。いつものように選挙の買収に使ったのだろうと勘繰られるのが嫌なら公開すればよい。ま、図星だからできないでしょうが。

2023年3月27日、GLP-1受容体作動薬のセマグルチド(遺伝子組換え)が抗肥満薬として製造販売が承認された。

これ、本当に効くのでしょうかね?

Scienceの記事。冬眠中のクマで寡動による深部静脈血栓が起きないのは、血小板凝集を促進するHSP47の発現量が冬季に減少するから。

冬眠中の野生のクマを見つけ季節性に変化する分子を検索した研究。こういった研究ができることはいろいろな意味で社会が「豊か」である証拠です。

日本人、過去最大の75万人減

一年で福井県が無くなるぐらいの人口減。人口減が悪いことではないが、もうちょっと緩やかにやらないと。民主党政権時を除いて、この三十年、政府はまともに対処してこなかった上にキシダの対策は異次元のショボさ。今後も少子化は加速し、若い人は国外に逃げる、その悪循環の中で日本は貧乏のうちに滅びの道をまっしぐらでしょう。

「後期高齢者」医療制度の保険料引き上げの法案を自民公明、国民民主が賛成し衆院で可決。出産育児一時金の一部を負担させるといい、75歳以上の4割、年金収入153万円以上が負担増に。

これだけやられても、まだ自民党と自民の二軍政党(公明、国民、維新)に投票する日本人。マゾなのでしょうな。

キリがないのでこの辺で。


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忖度するGPT-4

2023-04-10 | Weblog
統一地方選の結果は、半ば予想されたものとは言え、残念なものとなりました。歴史的な低投票率、それだけ人々は政治に対する不信感が大きく、政治に期待もしていないということでしょう。
自民党や公明党が勝つのは組織票で、自民党も統一教会票がなければ議席は維持できません。すでにこれが政教分離の原則に反しているワケですが、「勝てば官軍」を地で行く連中に原則とか高潔さとかを求めても無駄です。というわけで今回もGPT-4に訊いてみました。GPT-4の返答は、まるで国会での官僚答弁のようです。

「統一地方選挙で自民党票に占める統一教会票は何割ぐらいですか」
GPT-4:  統一教会の支持者がどの程度自民党に投票しているかについては、正確なデータが公開されていないため、一般的な割合を提供することはできません。
しかしながら、過去の報道や分析から、一部の地域や選挙区では、統一教会の支持者が自民党に比較的多く投票していることが報じられています。一方で、他の地域や選挙区では、統一教会の支持者が別の政党に投票することが多い場合もあるようです。
ただし、政治的中立性を保つため、特定の政治的意図を持つ質問に対しては回答を避ける方針をとっていますので、ご了承ください。

という意味の乏しい回答。

いずれにせよ、統一教会票が大きな基盤となっている自民党は、解散命令など出すつもりも縁を切るつもりも全くなさそうです。次に、なぜ安倍氏が統一教会被害者の山上容疑者に殺害されたのか、を訊いてみました。その驚きの回答が下。

「2022年に、安倍晋三氏が奈良市での演説中に山上容疑者によって殺害されましたが、その理由は何ですか?」

GPT-4:  そのような事件は実際には発生していないため、そのような理由は存在しません。安倍晋三氏は、2020年に健康上の理由で首相を辞任し、政界から引退しましたが、2022年に殺害されたという事実はありません。
偽情報やデマが拡散されることがありますが、真偽を確かめることが大切です。安倍晋三氏は、日本の政治家として長年にわたって活躍し、日本や世界の情勢に大きな影響を与えたことが評価されています。

「それでは安倍晋三氏は誰に殺害されたのですか」
GPT-4:  安倍晋三氏は、2020年9月に自然死亡されました。具体的な死因は公表されていませんが、報道によれば腸閉塞という症状があったとされています。安倍晋三氏が統一教会の被害者の山上氏に殺害されたという主張は、根拠がなく、誤った情報です。

はて、国葬された人は誰でしたっけ?

闇ですな。自民党の歴史修正部隊が暗躍しているのかも知れません。
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GPT-4

2023-04-07 | Weblog
最近、プライベートではあまりストレスがないので、書きたいことがありません。一応、生存確認的意味合いもあってブログは定期的に書くようにしているのですけど、書けないなら、これは、昨年ぐらいから話題になっているChat GPTに書いて貰おうと思いつきました。Chat GPTはバージョンアップして、GPT-4となり、司法試験に上位10%で合格できるぐらい賢くなったとのことで、試しに遊んでみました。

まずは、「日本の統一地方選挙で野党は勝てるか」というお題で二百字以内でGPT-4に作文してもらいました。

GPT-4: 統一地方選挙では、野党が勝つ可能性はあるものの、地域の事情や候補者の人気などによって結果が変わるため、必ずしも勝てるとは言えません。有権者が求める政策や課題に対して、具体的な提言や解決策を提示することが重要となります。

次に、「最近の小西議員のサル発言に対する立憲民主党の処分についての評価」について。

GPT-4:  立憲民主党が小西議員のサル発言に対して、党からの離党勧告を行ったことは、問題行動に対して明確な処分が行われたと評価されます。しかし、一方で党内からは処分が適切でないとの意見も出ており、党の統一性に影響を与える可能性もあります。今後は、党内での議論が続く中で、より適切な処分が求められるでしょう。

「高市氏は責任をとって議員辞職すべきか」

GPT-4:  高市早苗氏が東京オリンピック・パラリンピック担当大臣を務めていた際に、大会組織委員会の不適切な発言を報じられ、その責任を問われています。そのため、議員辞職すべきか否かは議論が分かれますが、政治家としての責任を果たすため、適切な処分が必要とされます。具体的には、自身の不適切な行動に対する謝罪や反省を示すとともに、議員としての信頼を回復するために、適切な措置を取ることが求められます。

その問題ではなく、「総務大臣時代の放送法解釈捻じ曲げメディア圧力問題」と断って、もう一度。

GPT-4: 高市早苗氏が総務大臣時代に行った放送法解釈捻じ曲げメディア圧力問題について、責任をとって議員辞職すべきか否かは議論が分かれます。一方で、政治家としての責任を果たすため、この問題については適切な説明責任を果たす必要があります。具体的には、不適切な行為があった場合は、謝罪や反省を示し、再発防止策の提示などを行うことが求められます。議員辞職が必要かどうかは、国民や選挙区の支持者などが判断することとされます。

ま、もとになっているデータはネットでしょうから、こんなところでしょうか。もう少し具体的で設問を絞った問いかけをすれば、もっとよい解答が引き出せるはずで、解答がパッとしないのは訊き方が悪いせいです。

因みに、ちょっと知りたいことなどに関しては、ネットにある情報から、疑問に対してすばやく解答が得ることができます。例えば、こんな質問にも10秒で解答できます。

「二型糖尿病の薬物療法で第一選択とされる頻度の高いものは何ですか」

GPT-4: 
2型糖尿病の薬物療法で、第一選択とされる頻度の高いものは以下の3種類です。
  1. メトホルミン:インスリン抵抗性を改善する薬で、グルカゴンの分泌を抑制する効果もあります。
  2. スルホニルウレア薬:インスリン分泌を促進する薬で、食後の血糖値を下げる効果があります。
  3. DPP-4阻害薬:インクレチンホルモンの分解を阻害することで、インスリン分泌を促進する薬です。また、グルカゴンの分泌を抑制する効果もあります。
ただし、糖尿病患者の個人差や合併症の有無などによって最適な治療法は異なります。治療法の選択には医師との相談が必要です。

これは近年においては必ずしも正しくないでしょうね。質問の仕方が悪いのです。時間を区切って2020年以降の治療法としてやると、こうなります。

GPT-4: 
  1. メトホルミン:依然として2型糖尿病治療における第一選択薬として広く使われています。COVID-19感染症との関連から、メトホルミンの抗炎症作用に注目が集まっています。
  2. GLP-1受容体作動薬:血糖値を下げるとともに、食欲抑制や体重減少の効果もあることから注目を集めています。
  3. SGLT2阻害薬:尿糖排泄を促進することで、血糖値を下げる効果があります。また、心血管イベントのリスクを低減する効果も報告されています。
すばらしい。いろいろ遊べそうです。次のブログ記事も書いてもらいましょう。

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愚かさの理由

2023-04-04 | Weblog
昨日、今日は坂本龍一さん死去の話題一色でした。昔、梅田にあったローランド ショールームを遊び場にしていたころ、電線を繋いで音を作るタイプのアナログシンセサイザーが展示してあって、よくわからぬままカッコいいなあと思っていたときに、YMOはステージで実際に電線を繋ぎながら演奏していたのでした。冨田勲のスタジオ音楽としての電子音楽をYMOはライブに変えて、テクノポップというジャンルを作り出しました。

そうした影響力のある音楽家であることに加えて、近年、坂本さんは、脱原発、環境保護アクティビストとして活躍されてきました。数日前には、歴史ある樹木を切り倒す神宮外苑再開発に反対した書簡を知事と政府に送ったことでもニュースにもなりました。音楽や芸術はもっとも人間らしい営みであって、その目的とすることは最終的には人類と地上に生きるものの幸福でしょう。そうした音楽の「大義」に沿えば、一部の人間の金儲けのために、人間や地上の生き物の幸福が犠牲になることを阻止し、環境と地球を守ることは音楽家の究極の使命であると坂本さんは考えていたのかも知れません。

一方で、百年以上も生きて人々に安らぎの場を作ってきた貴重な樹木を目先の票とカネのために破壊するのが「今だけ、カネだけ、自分だけ」の小池都政と自民党政権。樹齢百年の樹木を育てるには100年かかるのです。次の選挙で票をくれる企業や団体の短期利益のために、それらの100年の天然資産を破壊するカネと力に目がくらんだ愚か者の集まりです。何千年と続いた豊かな海を放射能まみれにして福島沖の魚を食べれなくしてしまったのも一瞬の原発事故。目先の利益のために専門家の意見を抑圧して、結果として史上最大の原発事故を起こしたのがアベと東電。しかもこれは木と違って、元に戻す方法がありません。現在も放射性物質はガンガンとメルトダウンした原発から漏れだし、いまだにただの1グラムの燃料も取り出せていない状況。

この未曾有の終息不能な事故に際しても、政府は変わりません。原発事故であろうが、世界が滅亡しようが、いつものやってるフリでやりすごす、日本の未来は仮定の話だから思考停止、そんな愚か者の集団が政権政党の平和すぎる国、ニッポン。

「今だけ、カネだけ、自分だけ」の自民党政権ですが、なぜキシダがこうも民意を踏み躙り、人々の神経を逆撫でするのか。必勝しゃもじにG7まんじゅう、何を書くにも小さすぎる手帳を振りかざし、愚かとしかいいようがない振る舞いを重ねるのはなぜか。内田樹の研究室、「岸田政権は何をしようとしているのか」に解説がありました。

ある媒体からインタビューのオファーがあった。岸田政権の新年度予算成立を受けて、「なぜ政権はこれほど性急に防衛予算の拡大に進むのか」について訊かれたので、次のように答えた。     
 今回の防衛費増額の背景にあるのは岸田政権の支持基盤の弱さだと思う。
 彼にとって喫緊の課題は二つだけである。一つは国内の自民党の鉄板の支持層の期待を裏切らないこと。一つは米国に徹底的に追随すること。日本の将来についての自前のビジョンは彼にはない。
 今回の防衛予算や防衛費をGDP比2%に積み上げるのも、米国が北大西洋条約機構(NATO)に求める水準に足並みをそろえるためであって、日本の発意ではない。、、、
 岸田首相の党内の政権基盤は決して堅牢なものではない。だから、長期政権をめざすなら、米国からの「承認」がその政治権力の生命線となる。、、、
 岸田政権にはとりわけ実現したい政策があるわけではない。最優先するのは「政権の延命」だけである。、、、
 今回の防衛予算の積み上げも、まず米国からの要求があり、それに合うように予算が組まれ、さらにその予算枠に合うように、「中国や北朝鮮の脅威」なる「現実」が想定されている。
 ふつうの国なら、まず現実認識があり、それに基づいて国防戦略が立てられ、それに基づいて必要経費が計上されるのだが、今の日本はみごとにそれが逆立しているのである。
 、、、米国には軍産複合体という巨大な圧力団体があって、国防戦略に強い影響を及ぼしている。兵器産業にいま大量の在庫が残されている以上、それを処理しなければならない。だから、それを日本に売りつけるのである。、、、
 不良在庫を言い値で買ってくれるのだから、米国にしてみたら日本の自公連立政権ほど「使い勝手のよい」政権はない。、、、
 日本国民は属国身分にすっかり慣れ切っているので、自国の政権の正統性の根拠を第一に「米国から承認されていること」だと思い込んでいる。「国民のための政治を行っていること」ではないのである。、、、
 だから、岸田政権が防衛増税を進めても、インボイス制度やマイナンバーカードなどで、国民の負担を増大させても、国民はデモもストライキもしない。、、、
「政府はアメリカと、国内の鉄板支持層の方を向いて、彼らの利益を計るために政治をしている」ということを国民は知っている。でも、「政治というのは、そういうものだ」と諦めている。そうやって政府に対する国民の期待を下げれば下げるほど、棄権率は高まり、結果的に20%の鉄板支持層を持つ自民党が選挙には勝ち続けることができる。、、、
 問題は「政治はこれからもまったく変わらない」という諦念が広がると、国民の中から、このシステムを主権国家としてのあるべき姿に生き返らせることよりも、この不出来なシステムをどう利用するかをまず考える人たちが出てくることである。、、、
 彼らはシステムを「ハック(hack)」する。死にかけた獣に食らいつくハイエナのように。彼らはこの獣がまた甦って立ち上がることを全く望んでいない。できるだけ長く死にかけたままでいることが彼らの利益を最大化するからである。今の日本では、そういう人たちが政権周りに集まり、メディアで世論を導いている。
 、、、そして、ここには、「システムの内側に踏みとどまって、システムをよりよきものに補正する」という選択肢だけが欠落している。

今回の高市事件においても、政権側に立って、権力を持たない野党の方をひたすらディスるツイッターアカウントを見ます。どうみても無理筋のツイートをみると、これはDappiのように、自民党にカネで雇われてわざとやっているとしか思えません。とすると、自公政権に与して、自分の首を自分で絞めるようなことをしてでも目先のわずかなカネが欲しいぐらいに彼らは困窮しているのでしょう。そう思うとバカだなあと思う前に気の毒になってきます。
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平和な国

2023-03-31 | Weblog
下のようなツイートを見つけました。


これはどうもオーストリアの右翼政党が、ゼレンスキーのスピーチがオーストリアの中立の原則に反するためにとった行動のようです。つまり、ウクライナの国民とロシアの兵士の生活と命を犠牲にして、アメリカ軍産ビジネスとNATOの勢力拡大を図るための行為に加担するゼレンスキーに対し、オーストリアの政治家は抗議の意を表明したということです。先に侵攻したのはプーチンのロシアではありますが、そこに追い込んだのは冷戦終結時の約束を破って、どんどんNATO加盟国を増やし東側へ勢力を増やしていった西側、つまりアメリカです。ちょうど太平洋戦争で、日本の真珠湾への先制攻撃を誘ったやり口と似ています。アメリカはこの戦争によって大恐慌を脱し経済復興を成し遂げました。そうして10年に一度の割合で世界を戦争を仕掛けて軍需産業を中心に経済を回してきたアメリカという国は、EU経済圏入りを望むウクライナに目をつけたのでしょう。知ってか知らずか、なんらかの取引があったのかなかったのか、ゼレンスキーは露骨にそのアメリカの思惑に乗りました。単にナイーブな善意の大統領だったのか、確信犯なのかはわかりませんが、結果的に大勢のウクライナの人民の命と生活を奪った責任者の一人です。

日本で、この戦争の本質を見抜いて同様の行動をとった政党は「れいわ」だけでした。あの秀才揃いの共産党でさえ、他の政党と一緒になって、ロシアを非難すると同時に対ロシアのウクライナ戦争を支援すると足並みを揃えたぐらいです。これがイデオロギー政党である共産党の限界であり、アメリカの言うことには無批判で追従する自民党の限界であります。しかしながら、この見識の差というのは悲しいばかりです。ま、オーストリアにとっては戦場はほぼ真横にありますから戦争への心配はより強いでしょう。日本の多くの政治家は対岸の火事とでも思っているのか、ウクライナ戦争の意味を考え、どういう立ち位置をとるかを深く考えて行動を決めたのは「れいわ」だけであった、という日本の政治のお粗末さ。

オーストリアの中立原則を守って、ゼレンスキーとアメリカに抗議したオーストリアの政治家と、戦争放棄を世界に類なき平和憲法で謳っている国の首相でありながら、必勝しゃもじにG7まんじゅう、のキシダ。そんな平和な脳みその持ち主を総理に戴くわがニッポン。情けなさも極まりますな。
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