百醜千拙草

何とかやっています

デトロイト空港

2023-01-10 | Weblog
この間、久しぶりにデトロイトの空港を利用しました。
初めてアメリカ(本土)に来た時は、ノース ウエスト航空という飛行機会社を使いました。日系の航空会社を除くと太平洋航路が強い航空会社は当時はノース ウエストで、そのハブになっていたのがデトロイト空港でした。なので、当時はアメリカの東海岸に行こうとすると、デトロイトでの乗り換えることが多かったのでしたが、ノース ウエストは2010年にデルタ航空に吸収合併され、消滅しました。その後デルタは利用客の減少、空港利用上の問題などで、日米間の便数を減らし、大韓航空との共同事業を機に、アジアのハブを東京から仁川に移したこともあって、私も、デルタ(旧ノース ウエスト路線)を使うことはなくなくなりました。代わりにユナイテッド航空やアメリカン航空、JALなどを使うようになったので、乗り換え空港も、ニューヨークやシカゴなどといろいろとなり、デトロイトを使うことはなくなりました。

今回は久しぶりのデルタで、デトロイト空港を利用したのは多分10年以上ぶりです。この空港ターミナルは横に長く広々としており、ターミナル内を電車が走っています。かつては日本とアメリカ東海岸をつなぐポータルであったこともあって、日本語の表示や日本名のレストランなどが多く残り、豊かだった頃の日本を思い出させます。コロナ後ということもあるのでしょうが、今は、店もいくつかは閉まっていて、多少寂しい感じを受けます。昔の賑わいを思い出しながら、Nostalgicな気分になって乗り換えの飛行機を待っていると、時の流れと無常さををひしひしと感じます。

思えば、私が子供の頃、世界の空を制していたのはPan Amでした。飛行機旅行がまだまだとても贅沢な時代、Pan Amで旅行することはステータスで、旅行するともらえる青いパンナム バッグはそのシンボルでした。しかし、その殿様商売が仇をなし、90年代に入るまでに旅客航路としてのPan Amはほぼ消滅、太平洋路線はユナイテッドに引き継がれました。

どれほどの栄華を誇っても、結局は一時のものにしか過ぎません。このデトロイトの空港も、20年前には大勢の日本人旅行者でごった返していたのだと思います。それも今は昔。綺麗にメインテナンスはされているものの、この広い空港の少し寂れた感じは私は嫌いではありません。

同じく、私にも若く、エネルギーあふれ、野心と希望に満ちた時代がありました。同時にそれは、失望と挫折と苦しみの日々でもありました。その生きる苦しみを、日々の些末時で紛らわせている間に、そんな青春の日々はあっという間に時間の砂漠に埋もれ去り、今やどこにいってしまったのか、よく思い出せません。ちょっと寂しい気もしますが、同時にホッともしています。

若い頃、この空港は、希望とチャンスに満ちた新大陸への玄関口でしたが、今はそのころを懐かしく思い出すだけの場所となりました。花に嵐の喩えのように、さよならだけが人生で、散った花弁を愛しむ、そんな穏やかな日々です。
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帝国の亡霊

2023-01-06 | Weblog
今年の元旦、立憲の党首は、軍国主義を象徴する乃木神社に参拝したことを写真付きでツイートし、批判の嵐にあったあげく、その批判に対して開き直って逆ギレし、さらに炎上するという事件がありました。

この事件に関して、鮫島さんは1/5付けの記事の中で、次のように述べています。

「正月早々の「泉騒動」は、野党第一党の党首でさえ歴史的認識が浅薄で『軍国主義』や『戦前復古』への抵抗感が薄れているという恐ろしい永田町の現実に加えて、立憲民主党が共産党やれいわ新選組との野党共闘に立ち戻るつもりがさらさらなく、外交・安全保障政策で自公政権との対立点を極力なくして自公政権との連携を探る『ゆ党(野党と与党の中間)』になったことを如実に示すものである」

立憲民主党が立憲でも民主でもない怪しい党になって久しく、その迷走ぶりは今にはじまったことではないとはいうものの、呆れてばかりいる場合でもなく、共産、れいわ、社民を除く政党がどんどん右傾化を強めていく様子を見ると、危機感しかありません。

一方、海上自衛隊広報部は正月のツイートで、背中にそろって「正義」と書いた服を着た隊員立ちが、旭日旗のたなびく前でポーズをとっている写真を堂々と上げた上に、それに「カッコいい」とか「日本を守ってください」とかいうコメントがついて「バズってる」とリツイート、もう末期感しかありません。自衛隊が「正義」と「軍旗」を振り回し、野党第一党の党首が元旦から「乃木神社に参拝しました!」みたいなツイートをすることに何の躊躇もない、日本はいよいよ「良識」と「思慮深さ」と「反省」の欠如した国になりつつあると解釈せざるを得ません。

キシダ政権の軍事費をGDPの2%に引き上げるという方針は、アメリカの指示によるもので、それを閣議決定だけで拙速に決めたのは、一週間後におこなわれるバイデンとの会談に間に合わせるためでしょう。軍事増強への根拠を何も示さず、財源の議論もなく、国会も通さずに行われたという事実を鑑みれば、そのやましさは明らかです。国会審議にでもなれば、「アメリカ政府に命令されたから」と答えるわけにもいかず、すべての都合の悪い答弁では「しっかりと聞く」とか「しっかり考える」とか言うのが精一杯のキシダは、さすがにパンチドランカーのスガほどではないにせよ、立ち往生するのが目に見えていることを自覚しているのでしょう。

それでは、ここに来てアメリカが日本の軍事強化を推し進めようとするのはなぜかということです。私はアメリカの戦争ビジネスと自民の保身だろうと一義的に考えていたわけですが、もう少し広い視点で議論されている記事を見つけました。

このブログ記事は、(おそらく)ニュージーランドの親日家の筆によるもので、2015の記事を再掲したものです。外国人がここまで深く、しかも7年も前に、考察をしていたことに、私は感嘆しました。下の会談での周恩来が引いた諺のように、外から見る方がよく見えるのかも知れません。

大日本帝国の長い影について (ガメ・オベールの日本語練習帳)

この記事の中で著者は、「アメリカが日本に大兵力を常駐させているのは、もともと、 世界で最も好戦的な民族であると何度も分析されている日本人を再び他国への侵略に乗り出させないためであることは、アメリカ政府の要人がたびたび言明している。」と述べており、記事には50年前のニクソン訪中に先立って行われた周恩来とキッシンジャーとの会談の様子を筆記したアメリカ機密文書がリンクされています。(アメリカの機密文書は30年で機密期限が切れ、公開されます)そこでの会話をみると、周恩来はアジアからの米軍の撤退を要求するとともに、日本の急激な発展の先にある軍拡を懸念している様子が伺えます。それに応えて、キッシンジャーは、日本は経済発展とともに急激に軍事力を増して再び周辺諸国を侵攻する可能性があるという懸念に同意を示した上で、在日米軍の軍事力は日本の潜在的軍事力には比すべくもないが、在日米軍は日本が軍拡を追求することを阻止する役割を果たしている、と述べています。日本が再武装すると、30年代と同じ誤りを繰り返す可能性が高く、それは米中双方にとっての不利益であり、アメリカは日本を中国に対立させるために使用するつもりはない、と述べています。(p44 あたり)

これを踏まえて、このブログの著者は次のように結論しています。

「ここに来て、アメリカが安倍政権に対して「戦争する国になってもいいよ」と言い出したのは、日本が再び歴史を通じての本来の国の姿、戦争屋としてアジアの平和を破壊するリスクと、中国のリスクを秤にかけて、中国のリスクのほうが、いまの不透明で操作的な市場では必ず起きると考えられている1929年のような経済崩壊によって人民解放軍の発言権が増す予測を踏まえて、中国が予定よりも早く東アジア全体を支配するリスクのほうがおおきいと判断しているからだと観測されている。」

また、アメリカの戦法の変化によって、「多分、5万人程度の事実上はアメリカ軍配下の兵力を日本人によって新たに作り出すことが必要になっている、、、日本を外交的軍事的に御していく自信があれば、今度は自分の手でなく敵の手をかませるのに使えばよい、と思っている。」と述べています。

一人一人は礼儀ただしく、十分に知的で思いやり深い日本人が、集団になると、阿波踊りの阿呆状態で踊り出し、理性のタガが外れて収拾がつかなくなる危険な民族である、という評価に私は同意せざるを得ません。声の大きい人間の号令で一斉に右を向く日本人です。流されやすく付和雷同する日本人が、アメリカの指示とはいえ、軍備増強していくのを最も懸念しているのは、中国やかつて日本の帝国主義によって深い傷を負わされたアジア諸国、それから実際に戦争を経験した世代のアメリカでしょう。

歴史を知り戦争の現実の悲惨さを想像できる日本人が政治やメディアの中枢に少なくなってきた今、「日本軍」がアメリカの思惑を越えて、馬鹿な真似を始める可能性を否定するのは難しい、と私は感じています。第二次大戦の日本の戦い方を見て、アメリカは日本人はクレイジーだと恐怖したでしょう。もちろん、悪い意味での「クレイジー」です。だからこそ、アメリカは日本を徹底的に破壊し、戦後はA級戦犯を使って傀儡政権をつくり、戦争を放棄させ、二度と立ち上がれないようにしたのでしょう。上の1971年のキッシンジャー、周恩来の会談には、日本人の理解し難い気質への恐れというものが読み取れます。日本人は一つ間違えば、制御不能となる狂犬の集団だとでも考えていたのだろうと思います。

しかし、アメリカは、小泉政権あたりから自衛隊を米軍のアジアにおける下部組織として活用していく方向に転換し、その傾向はアベ政権から加速しました。もし現在のアメリカ政府が日本人は容易に制御できると思っているとしたら、戦後80年弱、おそらく日本人の集団ヒステリー気質が幸いして、あまりに上手くいきすぎた間接統治の成功体験によって油断しているのではないかと危惧します。日本人は集団化することで容易に「クレイジー」になって手がつけれなくなる可能性があります。そういう集団がアメリカ産の兵器で武装を強化していくのです。一つ間違えば、なんとかに刃物、を地で行くことになりかねないと私は思います。

だからこそ、「国を守る」とか「正義」がどうとかという建前を安易に口にする連中を警戒しないといけないし、正月から乃木神社に参拝するような野党党首や靖国への公人の参拝といった行動は、その都度、批判していく必要があると思います。
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新しい戦前

2023-01-03 | Weblog
2023年となりました。
百年前の1923年は、関東大震災の年で、第一次世界大戦が終わって5年後、日清、日露戦争からの流れで日本はアジアでの帝国主義を進め、8年後に満州事変、5.15事件が起こり、13年後は2.26事件、14年後に日中戦争勃発、15年後に国家総動員法施行、16年後、ドイツのポーランド侵攻で第二次大戦が始まり、18年後、インドシナ侵攻、そして18年後、1941年の真珠湾攻撃と続いていきました。大敗戦を喫した第二次大戦、戦後の世界統治形態が現在に至るまで続き、日本は戦勝国で作る国連からは執行猶予付きの戦争犯罪国家といまだにみなされております。そんな中での対米隷属、アメリカの植民地であり続けることは戦後の日本の委託統治を任された自民党の党是でした。

昨年末には、徹子の部屋でタモリさんが「来年はどんな年になるでしょう」と聞かれて「新しい戦前」と答えたことが話題になりました。それだけ多くの人が同じように感じているということだと思います。

自民党の改憲案、全体主義国家化、防衛費の巨額増大、戦争放棄の放棄、メディアの北朝鮮や中国の脅威への煽り方、国民生活の破壊、こういったものを見ていれば、キナ臭さを感じない方が難しく、ちょうど100年ほど前から20年かけて段階的に醸成された戦争への準備を思わせます。日本も第二次アベ政権あたりから急速に全体主義、排他的傾向を強め、政権の権力を最大化する方向へと法整備を進めてきました。その政権発足から10年、このままだと後数年で、日本は戦争に突入するかも知れません。

利権でしか動かない自民党ですから、防衛費の増大も他国への軍事費援助も、「カネ」と「力」が目的です。つまり、対米隷属によって権力を保ってきた自民党が、バイデン政権が求めるままに防衛費を倍増させてアメリカと日本の軍需産業が作った兵器の在庫を言い値で買い取って儲けさせることが目的でしょう。防衛だけに限りません、アベが外交という名目で60兆円というカネを外国にバラ撒いてきたのも同じ、各国での事業を日本の利権企業に請け負わせ、票にして環流させるのが主目的。キシダ自民の他の政策も同じです。赤旗は今回のキシダ内閣の原発推進政策に、原子力ムラから相当な献金があったことを報じています。

カネと力のためには国を売り、国民に危険を背負わせて、生活と命を破壊することを、屁とも思わない自民党の刹那主義が日本と世界にとって、極めて有害で危険きわまりないことは論を待ちません。子供の火遊びが火事を引き起こすように、戦争を知らない世代の世襲議員が金儲けのネタに戦争を弄ぶことの危うさを、少しでも思考能力がある人間なら感じずにはいられないと思います。

先の敗戦で子供の頃から戦争の悲惨さを繰り返し聞かされて育ってきた人々は、戦後の高度成長期に子供時代を過ごしてバブル前に社会に出た比較的幸運な世代です。彼らは、平和によって享受してきたものの大きさ、戦争の有害無益さを実感しています。しかし、その後の世代、不条理な苦しみを耐えてきたロストジェネレーション世代の人々、それから政府の棄民政策に生活を脅かされている人々は、むしろ戦争のような劇的な変化に希望を見出すしかないというような気分に追い込まれている人も少なくないのではないかと想像します。むしろ、政府は、増税と福祉のカット、自己責任論を通じて、人々を追い詰め、戦争に希望を求めるような気分になるように彼らを誘導していると私は感じます。

かつての中国の反日政策にみられるように、国民の不満を外に向けることによって政府への批判を躱そうとするのは、どこの政府もやってきたことです。しかし、日本政府がメディアを通じて北朝鮮や中国の脅威を煽り、密かに全体主義メッセージを流してきたことは、そうした国民の不満を逸らすためだけではありません。

経済政策の失敗によって貧しくなった唯一の先進国、日本はそう評価されていますが、実は経済政策の「失敗」ではなく、自公政権は意図的に国民生活の困窮化を目指し、意図的に日本を貧しくしてきたのだと私は確信しています。

独裁政権において、権力を維持するためには、百姓は生かさぬよう殺さぬような状態に置いておくのが望ましいのです。日本は形式上は民主主義国家ですが、実態は自民党の独裁政権であり、かつてアベがうっかり「税収というのは国民から吸い上げるもの」と答弁してバッシングを受けた通り、政府与党は自らは支配者であって、国民を封建時代の百姓と同様に考えています。この二十年、自民党はますます独裁性を増し、日本は半世紀前、軍事増強ばかりを優先して急速に没落していった独裁政権下のソ連と同じ経過を辿っているように思えます。いまのロシアは遠くない未来の日本かもしれません。

それでは、自公政権がなぜ、日本を戦争をできる体制にして、おそらく実際に戦争を企てているのかという理由ですけど、先に述べた通り、これは基本的に自民党のカネと権力維持のためではあると考えられます。つまり、日米軍産、自民党、それから財務省の思惑がうまく重なり合っているからでしょう。

しかし、そこに圧倒的に欠けているのは未来に対する想像力と思考力です。対米隷属を党是とする自民党が、先制攻撃をできるように法整備し、自衛隊の戦力を増強して、やろうとしてことは、自腹を切って自衛隊をアメリカの軍事戦略の鉄砲玉として差出すことでしょう。日本はアメリカに大量の武器を買わされ、それで武装した自衛隊はアメリカ軍のかわりに次の戦地へ行かされて捨て駒にされた上、日本が戦争責任の一端を負わされるということです。かつて小泉政権のときに自衛隊のイラク派遣が大問題となりましたが、そうしたことがもっと大規模に堂々と行われることになるということです。つまり、自衛隊は日本の防衛ではなく、本来日本とは無関係の他国でのアメリカの戦争ビジネスと自民党の権力維持のために利用されて殺される、ということです。自民党とは票のためには、韓国の反日カルトと癒着して日本人信者から資産を吸い上げる霊感商法の片棒を担ぐのを隠そうともしない連中です。権力のために日本国民の安全と生活を売り渡すことを屁とも思っていないでしょう。

今年は「新しい戦前」と間違いなくなっていくでしょう。100年前を思えば、10年以内に、「新しい開戦」を日本は始めることになる可能性は高いと思われます。中国共産党が台湾併合に意欲的になった時、アメリカが言うがままに戦争に突入し、日本はちょうど今のウクライナのような状況に置かれるかも知れません。沖縄、そして本土の自衛隊駐屯場を中心に本土戦になるかも知れません。

今回はすでにかなり長くなったので、続きはまた次回にでも。
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借りを返す

2022-12-29 | Weblog
色々、たくさんのことがあった1週間でした。感傷的な気分がまだ残っています。
昔の中国では死ぬことを「借を返す」といったらしいという話を聞いた覚えがあります。90年近い歴史を刻んだ白い骨を見ながら、そんなことを思いました。

90年ほど前、ちょうど今の日本に流れていると同様の不穏な空気が社会に流れていました。日本は、アジアの覇権国を目指し大陸に侵攻した挙句に、思い上がって、勝ち目のない戦争へと誘われるままに突入し、結果は完膚なきまでの敗戦。そして大勢の国民が困窮し死にました。人が住む平野は焼夷弾によって焼け野原となり、広島や長崎では何万人という一般市民が、原爆によって一瞬にして大量に虐殺されました。そしてGHQによる統治を経て、独立国という体裁をもつアメリカの植民地という屈辱的立場を受け入れさせられました。一方で、日本人はがむしゃらに働いて復興、脅威の経済成長を遂げ、80年代にはそのアメリカに経済戦争で勝利さえしました。しかしその栄華も続かず、実質経済がピークに達した後は、バブル化、必然的にバブルは終焉し、不況へと突入し、そのタイミングで愚かにも消費税導入を行ったことをきっかけに、以後ただただ下り坂の日々が30年続いて今に至ります。

その日本の激しい浮き沈みの時代をくぐってきた人の一生の間に起こったであろう様々なことに思い巡らせると、その漠洋さに打ちのめされるような気持ちになります。一生のうちに、人は数え切れぬぐらいの様々な経験をし、様々なことを思い、夢を見、失望し、その間、心臓は何十億回と休むことなく鼓動をうち続け、血液は休むことなく巡り、骨は体を支えつづけました。そして、ある日、それらは止まり、命と体を返して地上を去り、元の処に戻って行きました。中身を失った肉体は「亡骸」となり、やがて白いカルシウムの塊となりました。

これまで数々の人の死に接してきましたが、それは多少の時間を共にすごした人との別れであって、私は常に地上に残される側でした。今回は、その死という別れが、そう遠くない未来に自分自身が地上を去る立場なってやってくるのだということが強く実感されたのでした。まもなく、私が借りているこの体は動くのを止め、木の箱に入れられて焼かれて灰になるということを全く違和感なく、自然と細部まで心に思い描かれたのでした。全ての生まれた人は死んでいき、それには一人の例外もありません。送る側にいる人間も最後には送られる側におかれる、その当たり前のことを、実感したのでした。
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人生劇場

2022-12-18 | Weblog
ふと気がつけば、髪には白いものが混じり、顔には皺が増えています。視力が落ち、タイプミスが増えました。もの忘れが多くなり、体を動かすたびにどこかが痛むようになりました。こうした変化が1日1日とゆっくりと進むので、今日の自分が昨日の自分と変わったようには感じないのですけど、ある日、ふと昔を思い出したりした時、鏡の自分を見て、「ああ、年をとったものだ」と実感します。

しかし、年をとって、できないことが増え、背が丸くなり、歩くのが遅くなっていっても、そういうものだと深く考えることもなく、日々の現実を受け入れて皆が生きております。そうして、いつか誰もが死ぬということを知っていながら、それは常に先のこととして、日々の些末時に一喜一憂しながら時を過ごしております。

タクシーの50代ぐらいの男性運転手の人の帽子から出た髪にも白いものが混じっています。この人も遠からず、筋力も反射神経も判断力も弱り、車から降りることになるのでしょう。タクシーは繁華街の一部を抜けていきます。信号待ちの間に、さまざまな年齢の婦人がレストランの前に行列を作っているのが見えます。このレストランの人気メニューを食べる喜びを味わうために、この寒い中で待っているのでしょう。待っている間にも、楽しい食事の時間の間にも、彼女らには「老い」が刻まれていき、そこにいる人々も世界中の人々も一人残らず、それぞれの生の終わりに向けて平等にゆっくりと移動しているのでした。

百年後、それまでには、おそらく私も含めてこの世界に、現在、存在する人々はほぼ全員が地上から去ってしまっていると考えられます。誰もが泣きながら生まれ、多かれ少なかれ苦しい生を生き、老い、病にかかって死んでいく、そうして一生を勤め上げて舞台を降りる運命です。「熱海殺人事件」のように、人間はその現実そのもののような人生という芝居を、人生劇場というリアルな舞台で演じ、そして、一幕の作品を作り上げて去っていく、そう思えば、人間というものは尊い存在なのだという感に打たれます。

われわれが病院に向う理由を察して抜け道を急ぐタクシーの運転手の白髪混じりの髪を見ながら、急ぐことに何の意味があるのだろうか、とぼんやり考えていました。遠からず皆が同じところに行くことになるのに。しかし、すぐに、この運転手も、われわれと彼自身の舞台に立つ役者なら、急ぐのは当然であった、と思い直しました。そして、私は、急いで頂いてありがとう、と礼を言ってタクシーを降りました。

我々はゆっくりと老い、毎日変わらぬ日常生活を送りながら、なだらかに坂を下ります。そして、ある日、いつもの道を曲がった先が崖になっていることを発見して狼狽するのです。坂はいずれ歩けなくなると台本に書いてあることは最初からわかっていたのに。
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クリスマス ランチと旅の終わり

2022-12-13 | Weblog
ストックホルムでは、昔の知り合いがホテルに出迎えてくれて、金曜の午前中は彼女の研究室を訪れ、ゲノムシークエンスセンターをツアー。ガラス張りの綺麗な研究所の中にNova seqが4台に加えて、Nanopore、PacBioのマシンが稼働中とのこと。すぐ隣にはつい数日前にノーベル賞レクチャーが行われた講堂が建っております。

クリスマス ランチは、そこから徒歩15分ほどの湖のほとりにある歴史あるホテルの離れの会場を予約してくれました。この湖の向こう側に王家の墓とプリンセスの宮殿があるそうです。プリンセスと言っても45歳の中年女性、夫は一般人とのこと。夫は王にはなれないのでずっと義理のプリンス。プリンス マスオ。

彼女夫妻、それからヨーテボリの知り合い夫妻と我々の6人でクリスマス ランチ。スウェーデンは肉、魚の料理が豊富で、このビュッフェ スタイルのランチでは多分100種類以上の料理が並べられていました。

まずは食前に暖かい薬草酒のようなものを飲むのが伝統らしく、酸味の少ない赤ワインのような飲み物の中にアーモンドとレーズンを入れて嗜みます。お屠蘇のようなものでしょうか。

食前酒とアーモンドとレーズン

魚料理はサーモンを色々に調理したものが主でしたが、ニシンもよく食べられる食材でニシンのマリネが10種類ほど。肉料理はお馴染みのミートボールの他、ハム、プロシュート、サラミなどの普通のコールドカット、それから、ラム、猪、の他にオオカミの肉。猪やオオカミなどの野生動物は数のコントロールのために一定量駆除されて食肉となるそうです。

クリスマス用の黒ビールとビュッフェ プレート第一ラウンド。
上から右回りにスモーク サーモン、ミニきゅうりとビーツのピクルス、ニシンのクリーム漬け、ハム、卵と小エビのパテ、真ん中のポテトの左側にあるのがオオカミの肉。これは足先の肉を潰して成形したものらしく、パテ状の肉の中にコリっとした肉片が混在し独特の食感と風味があります。一度食べればもう十分。
これを3ラウンドやったあと、食後のデザートとコーヒー。どうもこの国ではアーモンドは幸運のシンボルのようで、クリスマスのデザートはアーモンドを使ったものが多いです。それからクラウドベリージャムのタルトとムース。スウェーデンといえばリンゴンベリー が有名ですけど、クラウドベリーは収穫量の関係か高級食品として扱われているようです。味は普通。スウェーデンでのコーヒーは日本サイズで他のヨーロッパ諸国のようにエスプレッソではありません。

大変楽しいひと時を過ごして、ホテルに帰ったら、日本の家族が急病で容態が悪いとの知らせで、急遽、残りの予定をキャンセルして帰国することにしました。翌日の午後発の飛行機を予約。今は祈る以外に何もできることもないので、翌日の朝は出発までの時間、ガムラスタンまで散歩しました。零下6度でしたが風が穏やかだったので、そう寒いという感じはありません。ガムラスタンも週末の朝のオフシーズンということで観光客もパラパラ、店もほとんど空いていません。前回の三年前の秋は観光客でごった返していたガムラスタンの小道も静かなものです。夏の間はオープンテラスのレストランで賑わう島の中央にある広場では、今の時期は開店前のクリスマス マーケットの屋台が並んでいます。

人気もまばらなガムラスタンの商店街

ガムラスタンの冬の王宮


中央の広場には、クリスマスマーケットが設営。開店前の茶色い屋台


先週はノーベル賞ウィーク。広場にあるノーベル賞博物館の入り口には今年の受賞者の名前。


残念ながら三年ぶりのヨーロッパは、思いがけない形で終わりとなってしまいました。スウェーデンでの任務は果たしましたし、数人の知り合いにも会うことができましたから、目的の半分は達成できました。ベルギーとパリの知人にあえないのは残念でした。前回見れなかったルーブルのモナリザを見るという今回の旅の大目的は達成できず、ローマもケルンの大聖堂も見ずしてヨーロッパを離れることになりました。

ストックホルムの空港について、本来はその日に乗るはずだったローマ行きの飛行機の搭乗口を横目で見ながら、羽田行きへ乗り継ぐべくヘルシンキ行きの飛行機へと向かいました。
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二度目のストックホルム

2022-12-09 | Weblog
ヨーテボリの3日目は雪になりました。外が明るくなるのは八時半、暗くなるのが四時前で、大学に行く前の時間を利用して外を散歩します。気温は0度弱で川には氷が張り始めていますが、風が穏やかなので寒さはそう強く感じません。

そして、ヨーテボリでの2日にわたる任務を無事に終え、最後の夜は知り合いがHaga地区にあるシーフード バーに連れて行ってくれました。ムール貝、生牡蠣、エビの前菜に、シーフード のスープ、地元のビール( IPA)で夕食。メインのスープというのはブイヤベースを濃厚なクリーム仕立てにしたような感じのもので、ロブスタービスクのようなスープにディルの風味が効いたユニークな味。付け合わせのパンも美味。ヨーロッパはどこでもパンが美味しいのが嬉しいですね。
Restaurang Sjöbarenのムール貝、牡蠣とエビの前菜

濃厚シーフード スープ


この街は北欧料理の他、フレンチ、イタリアン、中華、ベトナム、インド、中東料理などと食のバラエティーは大変豊かで、総じて食事は美味しいです。日本食レストランも数軒、目にしました。中でも笑ってしまったのが、「Sushi Renaissance」を謳う寿司屋、その名も「高め"Takame" 」です。高級寿司とは思えませんけど、この店名はどういう意図なのでしょう。2号店「安め」ができたら行ってみたいです。

翌日は、ヨーテボリの中央駅からストックホルムに向けて高速電車で移動。満席ですが大変静かで快適です。500キロ弱を3時間ぐらいで走ります。ヨーテボリから10分も走れば、雪景色の田舎の景色が延々と続きます。

ストックホルムで別の共同研究者に会う予定です。ストックホルムは三年ぶりで、その知り合いとは前回は学会出張であいにく入れ違いになってしまいましたが、今回は週末のクリスマス ランチに誘ってくれました。クリスマス ランチというのはビュッフェ スタイルの食べ放題のことらしく、種類が多いので、朝は絶対に食べないようにと念を押されました。

ストックホルムの中央駅には午後三時前に着きました。駅から出るとすでに陽が傾き始めている上に気温はマイナス7度、冷たい海風が吹き付けます。旅の良い思い出を作るつもりならば、冬に北欧観光はやめた方がいいと思います。ホテルから散策する予定だったガムラスタンまで徒歩で15分ぐらいですが、この寒さの中をウロウロできるかどうか心配になってきました。

夕飯はあまりに寒いので暖かいものと思って調べたら、ホテルから徒歩一分のところに「ラーメン 愛」。かなりの人気店のようで平日の夕方にもかかわらず満席で20分待ち。一階はバーになっていて日本酒、カクテル、ビール、ワインなどが楽しめます。次から次にラーメンを求めてやってくるスウェーデン人。頭の中で鳴るBGMは、矢野顕子の「ラーメン食べたい」。バーのカウンター席に座ってラーメンを啜るスウェーデン人をみながら、「恐るべし、ラーメン愛、日本スゴい」と思った夕刻でした。スパイシー味噌ラーメンは予想を裏切る出来栄え、濃厚な出汁の効いた味噌スープ、もっちりしたストレートの細麺、完璧な出来栄えの煮卵、さりげなく添えてあるシラントロが絶妙な風味を加えています。ビールはShapeshifterのIPA。フルーティーで苦味は控えめの爽やかなIPAがコッテリした味噌スープが染みた煮豚にあいます。






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初めてのヨーテボリ

2022-12-06 | Weblog
ま、そんなわけで、まずフランクフルトの空港につき、EUへの入国審査を済ませ、別の遠いターミナルまで延々と歩いて、ヨーテボリ行きの飛行機へ乗り継ぎました。フランクフルトから1時間半ほどでヨーテボリです。
ヨーテボリはスウェーデン第二の都市ですが、Göteborgと綴り、英語ではゴッテンバーグ (Gothenburg)と呼ばれます。"g"を"y"のように発音するので、カタカナとアルファベット表記がマッチしていません。
空港に知り合いが出迎えてくれて、ホテルへ。知り合いはストックホルムから移ってきたので現在、家族はストックホルムに残して単身赴任中。その前々日もストックホルムから500kmを運転してきたということで車は泥だらけ。間も無く、子供の進学を機に家族もヨーテボリに移る予定とのこと。

とりあえず、ホテルにチェックインし、一服。スウェーデンは「こんにちは」の「ハーイ」の代わりに「ヘーイ」というので、受付のお姉さんにヘーイと微笑まれるのは妙な気分です。

ここは一応「仕事」という名目で来ているので、その後は徒歩で30分ほどの道を散歩しながら大学附属病院の一角にある研究室まで行きました。気温は3℃ほど。ここの人々はなぜかコートのフードを使わないようです。街中は路面電車とバスが非常に発達しており、携帯電話のAppを使えば、チケットが買えて目的地へのルートも教えてくれます。帰りは早速、路面電車を使って、ホテルの最寄り駅まで帰りました。特に検札もないので、電車の番号を確認して乗って降りるだけです。チケットは90分有効でその間は区間内なら自由に乗り降りしても良いです。

暗くなって電飾がついた街路樹を眺めながら、駅方面に向けて散歩、川を渡ったところにある、Kafe du Nordという安食堂 でスウェーディッシュ ミートボールとマッシュポテトのリンゴンベリージャム添えとビールで食事。175クローネ。ここはカフェというより昭和の大衆食堂という感じのところです。例によって入り口でぼーっとしていても誰も相手にしてくれないので、店の店員を捕まえて質問したので、ようやくこの店が自分でカウンターまで行って注文するカフェテリア方式であることを知った次第。安い理由を理解しました。
味は普通、ビールは結構美味。
今日は、これから明日する話の準備をします。

ミートボール、マッシュルーム、リンゴンベリージャムにビール。昭和の喫茶店のカレーライスに福神漬けを思い出しました。


ヨーテボリ版昭和の大衆食堂、その名もKafe du Nord、小さな商店街を出たところにあります。


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旅の計画

2022-12-02 | Weblog
英語での旅行すること(travel)とフランス語での働くこと(travail)は語源が同じだそうで、どちらも「辛いもの」を指す言葉からきているそうです。
まだまだ先と思っていた旅行も気がつくと数日後に迫り、ようやくホテルや移動機関の予約がだいたい終わりました。旅行の段取りは旅行することと同じぐらいのエネルギーが必要だということを実感しました。旅行はともかく旅行の段取りは辛いです。

ヨーロッパは明治以降の日本の近代化のお手本で、歴史の重みもスケールも違いますから、どこに行ってもそれなりに感動すると思います。とはいえ、別に個人的な思い入れも建造物や西洋の街並みにそう興味があるわけでもないので、今回は、有名どころをつまみ食いのように回ることにしました。いくつかクリアする目標、仕事関係、知り合いに会うこと、ダビンチ作品を見ること、を決めて、日程を組むと結構しばられるもので、結局、移動手段の都合などもあり、スウェーデンのヨーテボリを起点と終点にして、六カ国を駆け足で回ることになりました。客観的にみれば、真冬のシーズンオフのヨーロッパをこのような日程で観光するのは馬鹿げたことだと思います。

今回のテーマはダビンチということで、スウェーデンでの仕事と用事を終えたらローマのダビンチ空港に飛んで、バチカンのダビンチ博物館にいき、それからミラノで最後の晩餐を見て、パリのルーブルのモナリザで締める予定です。「最後の晩餐」は入場制限と時間制限(15分)で予約制、モナリザもルーブルでの第一人気なので、朝一番で展示室までダッシュしないと人混みでまともに見れないという話で、慌てて9時からのルーブルの入館チケットを予約しました。ダビンチの作品を見るのはいろいろ大変だということがわかりました。

途中、ミラノからベルギーへの中継地としてケルンに二泊することになりました。ミラノでも大聖堂を見物するつもりですが、ケルンの大聖堂は楽しみです。それとケルン(Cologne) は、ライン川水域の水でつくった香水、オーデコロン(l'eau de Cologne、ケルンの水)の発祥地であり、4711の本社があるところです。私がマセガキだったころ、ウチには家業の関係で4711の男性用整髪剤があって、その柑橘系の香りが好きでした。4711の本社に立ち寄って香水の小瓶を一つ買って昔を懐かしむ予定です。またどうでもいい話ですけど、ケルンはOlga Schepsという美人ピアニストの拠点地です。私としては、美人ピアニストにはショパンよりバッハを弾いてもらいたい。

その後はベルギーへ電車移動、ルーベンで昔の知り合いの研究室に寄り、それからパリに向かうつもりです。乗り換えのブリュッセルで世界一美しいといわれる広場で本場のフライドポテトを食べ、パリでルーブルのモナリザを見て、コペンハーゲン経由でヨーテボリまで戻ることにしました。コペンハーゲンは、単に移動の都合で立ち寄るだけですが、学生のころ、Duke Jourdanというジャズ ピアニストの「Flight to Denmark」というレコードを勉強用のBGMに聴いていたのを思い出しました。このレコードは約50年前の冬のコペンハーゲンで録音されたもので、下のジャケットの写真のようにシンプルでリラックスした演奏がいいです。Jordanはその数年後、コペンハーゲンに移住し、亡くなるまでそこで過ごしています。黒人という理由で差別されるアメリカよりも一人の音楽家として扱ってくれる北欧の方が居心地がよかったのでしょう。

静かな冬の喜びを感じさせる明るい曲調のタイトル曲、Flight to Denmark

因みにJordanは1947年のチャーリーパーカーとマイルスの歴史的名盤、Bird & Milesでピアノを弾いていた人です。(後ろ向けに写っている人)

というわけで2週間ちょっとほど留守にします。
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研究Quadrant

2022-11-29 | Weblog
RNA-seqは実験生物学では、ほぼルーチンと言って良いほどの実験手技となりました。その生データのpipeline解析は大抵、コア施設なり委託業者が行い、研究者の方は、Fastq fileかSpread sheet フォーマットまでプロセスしたデータから解析を進めるのが普通だと思います。しかし、Spread sheetのデータでさえ、ontology 解析やクラスタリングなどを行って、それなりの図表を作るのは実験生物学者にとっては厄介です。多くは「R」などでのパッケージを使ってコマンドラインでやることになると思いますけど、これも普段 R やPythonなどを日常的に触っていない人間にとっては簡単ではありません。

私もRNA-seqのデータ解析と図表の作成が一つ残っており、データのontology解析などを含む図表化に関しては業者のGenericな解析ソフトで作った図を使うつもりでした。しかし、これは便利ではあるのですけど、やはり出来合いのソフトにおまかせでは隔靴掻痒というか、思い描いたような図表を作れないし、微妙な調整(フォントのサイズであったりとか図の色や見やすさとか)ができず困っておりました。

そこへ、ツイッターで流れてきたpreprintで素人がGUI環境でできるRNA-seq解析ソフト開発のpreprint 論文が目に留まりました。ウェッブサイトもなかなか力が入っております。科学コミュニティーに貢献し人々の役に立とうとする善意の努力を感じます。発表から数日ですが、この論文はすでに900以上ツイートされています。

こうした努力には正直に頭が下がります。研究コミュニティーの人々の利便に貢献したいという意志を感じます。

研究活動での知見が直接、周囲の人々を幸せにすることは稀です。特に基礎研究はそうです。それでも誠実に実験を行って得た知識の一片を知識の大海に加えることによって人類の知に貢献すること尊いことだと私は思っております。仮にその努力が報われなくても、何らかの発見を行ったことに研究者自身が何らかの満足感を覚えるのであれば意義のあることです。このRNA-seq解析ソフトの開発のように、開発チームも研究コミュニティーも自他ともに利益につながる仕事というのは、最良の研究です。

一方で、研究コミュニティーの不利益には無頓着で自分の利益になりさえすればよいというタイプの研究者もおります。怪しげな低品質の論文を量産し、論文数だけ稼げばそれでいいというタイプの人です。悪貨は良貨を駆逐するの例えもありますから、低品質の論文というのはできるだけ投稿しないでもらいたいと思います。出版システムやピアレビューのリソースを無駄にするばかりでなく、怪しい論文が出版されることそのものが有害ですから。

最悪の研究は、捏造論文でしょう。マイナスしかありません。大体ハイインパクトな研究であれば、捏造はまずいつかバレます。日本でも自殺者まで出したスキャンダルが八年前にありました。結局、幸せになった人は一人もおらず、人類の知に何の貢献をすることもありませんでした。

正直で誠実であることは、幸せになるためにまずは遵守すべきルールであり、コミュニティーや社会の人々に対する善意は最終的な成功(単に金とか地位という意味ではなく)の秘訣であろうと感じます。
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暇つぶしQuadrant

2022-11-25 | Weblog
「人生は死ぬ時までの暇潰し」という山本夏彦さんの言葉や「人間から気晴らしを除いたら不安と倦怠のみである」というパスカルの言葉について何度か書きましたが、最近、あらためてこのことを考えなおしております。

「暇潰し」や「気晴らし」という言葉に含まれる多少、ネガティブで厭世的な雰囲気には好き嫌いがあると思いますけど、人間のやることはその程度のことだと思っている方が、私の精神衛生にはいいと思っております。諸行無常を実感する年になり、子供もほぼ手を離れ、仕事からも半分引退、没頭するほどの趣味もなく、大して親しい友人も親類もいなくなっていく、という状況に入りつつありますから、今後、どう日々をすごすかは具体的に考えるだけでも考えておいたほうがいいのではないかな、と感じ始めました。「暇が潰れてよかった」、「倦怠や不安を感じることがなくてよかった」と思えるようにするにはどうすればよいのか、具体的にどんな暇つぶしをするのかということです。

「仕事」というのは、それが苦痛でなければ最高の暇つぶし、気晴しだと思います。この数十年、暇潰しをしながら、メシが食えて家族を養っていけたことは、私にとっては非常なる幸運であったと感謝の念に耐えません。世の中には大勢の人が食っていかねばならぬが故にやりたくない仕事をしている人や、働きたくても働けない境遇にいる人、働いても食っていけないような人が少なくないことを思うと、これまで自分が受けてきた幸運に対して今後は何らかのお返し的なことをしながら暇が潰せたら素晴らしいなどと考え始めました。

「暇潰し」には、自民党議員と統一教会との関係に濃淡があるように、その質にはグラデーションがあると思います。つまり、最上の暇潰し、中ぐらいの暇潰し、悪い暇潰し、最悪の暇潰しといった具合。私が思う最上の暇潰しは、人が喜んでくれて自分も満足する暇潰し。そして、中は自分だけが幸せになる暇潰し、悪い暇潰しは自分は幸せになるが自分と関わる他の人々が不幸になる暇潰し、それから、他人は幸せになるが自分が不幸になる暇潰し、最悪なのは他人を不幸にした上に自分も不幸になる暇潰し。多分、この暇潰しのグレード分類には多くの人が賛同してくれると思います。私はこれをTask Quadrantならぬ、暇潰しQuadrantと呼びたいと思います。Task Quadrantにおいては緊急性と重要度によって仕事を4区分に分け、その中で第2 Quadrant、すなわち緊急性は低いが重要な仕事、に意識的に時間を振り分けよと教えられます。つまり重要性は緊急性より上位に置けということですが、暇潰しQuadrantにおいても「自分の幸福」は「他人の幸福」よりも優先されるべきだと私は思います。人が幸せになっても自分が不幸であるならば、本末転倒だと思います。(世の中には我が身の不幸に快感を覚えるM体質の人が少なからずおりますので、そうした人の不幸は不幸とは考えないとします)

この自分と他人、幸と不幸によって物事を区分する方法は、暇つぶし行為の区分以外にも広く使えるのではないかと思います。例えば、消費税への賛否。消費税を考える時に、それが自分にとって良いのか悪いのか、自分以外の人々にとって良いのか悪いのか、単純に分類してみればいいと思います。私にとっては消費税は最悪のQuadrantに入っています。財務省は、消費税増税しないと国家が破綻するとか円安がすすむとか、社会保障費が不足するとか、言ってますけど、とりあえずそういったものは全て度外視して、自分と自分の身の回りの人間の幸福によって自分自身で判断し態度を決めてていくのがシンプルではないかと思います。その総意が民意であるべきだし、民意が不幸な結果につながったのなら、新たに民意にそって改めればよい、と私は思います。民意が誤るのは世の常で、誤れば正せばよいし、誤ったと思ったら、何かを学ぶ機会を得たと考えればよいです。それが無理でも、しばしの間、暇を潰せて倦怠を感じずに済んだと思うことは可能ではないでしょうか。
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理論と実際

2022-11-22 | Weblog
論文リバイス、ぼちぼちやってますが、モチベーションがわかず牛の歩み。データをとってくれた人は急病で入院中、頼る人もいないので自分でデータを掘り起こし、解析をやり直したりしています。

今回のリバイス上での問題は、論文の統計の部分をレビューした統計専門家に実験生物学研究の理解が乏しいそうなことです。多分、臨床研究とかpopulation geneticsとかでの「考え方」を実験生物学にそのまま当てはめてしまっているのでしょう。しかし、言っていることは間違っている訳ではないので厄介なのです。

統計を行う目的というのは研究や実験の内容によって異なりますから、目的や背景を無視して手法の厳密や原則の正しさにこだわるのは、例えてみれば「手術は完璧だったが患者は死んだ」みたいな状況に多少近い、と言えばいいでしょうか。とはいえ、結果オーライなら手段は問わない、意味が乏しいなら適当でいい、というのでは科学ではありませんから、厳密さを求める態度を批判することはできません。単に、異なる研究分野では、それぞれの「常識」の程度と範囲は違うので、今回のこの統計学者からの批判や提案は、我々の分野では非常識と思われる部分が多いということです。

とはいうものの相手はレビューアという権力的立場にあるわけですから、機嫌を損ねないように対応せざるを得ません。それで、こちらも実験生物学研究の実際をよく理解している経験ある統計の専門家と相談してきました。

感じたのは、厳密な数字の世界だと思った統計学の分野でも、数字をどのように処理するかは研究の内容や手法や目標をどう解釈するかによってかなりの柔軟性があるらしいということでした。また適用するのが理論的におかしい統計手法でも有用である場合は使用が黙認されているということでした。統計というのも何事かを評価するために人間が作り出した一つのツールに過ぎず、法律にグレーゾーンがあるように、現実社会では、理論と実際との妥協点を見つけて折り合いをつける必要から、恣意的な解釈がある程度許される部分が残されているのだろう、と思いました。

とういうわけで、今回は、下手に出つつも、「経験のある統計学者の人に相談した上でリバイスを行った」という事実をまず強調してから、反駁文を書くつもりです。ふつう、思考に柔軟性がない人ほど、権威に弱いですから、もしこのレビューアが経験不足からくる石頭なら、これでなんとかなるでしょう。それでもダメなら、エディターに直訴すればいいかなと思っています。エディターに常識があれば、度をすぎたコメントは抑えてくれるでしょうし。

おかげで統計の専門家と色々話ができて多少は統計の現場の実際面を学んだのは良かったです。実験生物学をやっている人も実験を計画する時に統計の専門家と話をしてみるのは大変有意義だと思います。数字の扱い方に自信が持てると思います。
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Twitter > Twitter 2.0 > Mastodon ?

2022-11-18 | Weblog
なかなかモチベーションがわかずに困っている例のリバイスの作業をしている論文ですけど、Preprintを読んでくれた人がいたようで、メールをもらいました。同じような研究をやっているので共同研究して欲しいという話でした。あいにく私は撤収モードに入っているので期待に沿えず。そもそもゴミ箱に捨てようと思っていたプロジェクトですから、preprintに出したデータを誰かが見てくれて何かの参考になったのならよかったと喜んでいます。

そのBioRxivにはフィードバック機能がついていてメディアに取り上げられたりするとわかるようになっていて、その一つがTwitterによるツイートです。私もTwitterを情報収集のツールとして使ってきました。研究の分野で研究成果のインパクトを示す指標の一つとして論文のツイート回数は、よく使われる指標となりました。これで私の論文にしても世間では何がウケて何がウケないかというのがわかります。ウケるウケないは論文の質よりは、その研究テーマに関心のある人の総数に比例しているらしいということがよくわかります。今年、パッとした結果が出なかったのでやむなく、Q2の専門雑誌に出したものは、他のQ1ジャーナルに出した論文もよりもツイート回数は多かったのですが、それは研究の結果よりもそのアイデアと研究手法により多くの人が興味を持ってくれたせいだろうと想像しています。

Twitterの強力な点は、ほぼ瞬時にしてその研究のインパクトの大きさが可視化でき、しかも相互通行性があるということで、研究者と研究コミュニケーションにとってはもはや欠かせないツールになっていたのですが、この数週間、人々はTwitterを使い続けるか、別のプラットフォームに移行するかという選択を考え始めました。もちろん、Elon Muskのせいです。

そして、ここにきて、彼が二日前に、従業員に送ったブラック企業独裁宣言メール("Hardcore" mail)によって、従業員のみならず世界中の心ある人々がTwitterに見切りをつけようとしているような感じさえあります。

Twitterの情報収集ツールとしての便利さは変え難いものがあります。しかし、上から目線で僭越ですけど、今回のメールでのElonの人間性というかトランプ臭とでもいうのが、あまりにちょっとアレなので、私も今後Twitterが嫌になった場合にどうするか考え始めました。

研究者コミュニティーではMastodonというプラットフォーム選ぶ人が多いという話題がしばらく前にNatureとSicenceのフロントページで取り上げられたようですが、私は知らなかったので、探ってみようと思っています。ま、当面はElonの慌てぶりがTwitterから伝わってくるので、それを見て暇潰ししたいと思っています。

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批判する能力

2022-11-16 | Weblog
先日、十年ほど前から起業した某大学の研究者だった人が知り合いの知り合いという絡みでやってきてくれました。数年前に大学も辞めて自分の会社に専念しているとのこと。私と同年代ながら、そのバイタリティには敬服の限りです。こちらはこのまま研究から足を洗って隠居生活へ摺り足で向かおうとしている状況ですから。

会社のウリにしている技術の性質上、大学の施設でさえもできない研究なのに色々な別業種の人の協力を募り、研究を軌道に乗せてきたとの話。ただただ、尊敬します。ビジネス面でも大変なはずで、人も雇っているし、かなり運営資金もかかっていると思ったら、自己資金と奥さんのビジネスでの利益、それからエンジェルの投資金を会社に注ぎ込んでいるという話。むしろ奥さんの方がノリがよくて、「私が稼いでくるからアンタは夢を追いかけなさい」というような感じでした。

私のところは、私が長年、痛い目に遭ってきたせいで、ロマンを追うよりはまずは老後資金の確保、大きく賭けてアドレナリン ブシューよりは、昆布茶でセロトニンというタイプなので、人生の伴侶と共に夢を追いかける人生というのは正直羨ましいです。

私は、リーダータイプではないし、クリエーターというわけでもありませんが、物事を評価し、再解釈する批判者としては、多分才能があると思っております。彼らの夢を追う姿勢は眩しいのですが、ビジネスのネタにするにしては、その技術の成果はまだ足りないとしかいいようがないと思います。これがビジネスではなく、大学の大学院生の研究なのであれば、それなりに良い論文になって学位にはなるでしょうけど、今のままではまだビジネスになるには遠いように思います。少なくとも一つの重要なデータを確定させて、それでパテントを申請してからでないと、難しいだろうと思いました。ま、もちろん私がそういうことを言っても、関係が悪くなるだけで何もいいことはありません。つまり、私の能力(批判能力)が、実際に役に立つことは滅多にないのです。選べるのあらもうちょっとパッとした能力をもらいたかったですね。
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Negative dataと統計

2022-11-15 | Weblog
しばらく忘れていたことをふと思い出したりしたとき、なぜか関連したことが起こるというのはしばしばあります。長らく会っていない誰かのことを思い出したら電話が鳴ってその相手からだったとか、微細構造定数が137である理由を考え続けていたパウリが入院して死んだ病室番号が137だったとか、シンクロニシティは日常に溢れております。この「意味のある共時性」という考え方はロマンティックですけど、大抵はそれだけで終わりますから、単なる偶然かも知れません。人間は数秒に一つぐらい思考を1日に何千と行っており、さまざまな事柄がソーダの泡のように思考の表面に現れては瞬時に消えていきますから、誰かのことを考えていたら電話がなったというのも、ただの偶然に恣意的に意味付けしているだけかも知れません。ちょうど、ワクチンは悪いと信じている人が、「ワクチン接種後に死亡、XX例目」というような新聞の見出しを見た瞬間に、ワクチン接種で死亡率が上がると思い込んでしまうようなものですか。

というわけで、前回、最近投稿した研究論文の返事が来ないと愚痴ったのですが、その直後に返事が来ました。Negative dataなのでリジェクトされるだろうという予想に反してエディターと二人のレビューアのコメントは非常に好意的で驚きました。これはこの研究は分野の人々の関心を持つ主題であったという私の希望的観測を裏付けたものではないかなと想像しています。そして、その直後、某S誌姉妹紙から、この我々の論文の内容に深く関連した投稿論文のレビューの依頼がありました。これはCOIを理由に断りましたが、依頼メールにあった抄録から想像するにそうレベルの高い研究とは思えないのですが、編集室がレビューに回す判断をしたのは、おそらく研究の主題に話題性があると考えたからでしょう。つまり、私の論文がリジェクトされなかったのと同じ理由で、この論文もレビューに回ったということだと思います。

われわれの論文のレビューには、二人のレビューアのコメントに加えて、もう一人、統計学の人からの要求が追加されており、このたった二つの図の論文に、20項目近い細かい要求が書かれています。この雑誌は臨床研究論文も掲載するという事情からと思いますが、近年、統計にはうるさくなりました。例えば、p-valueの使用については非常に抑制的で、p-valueに基づいて「有意差がある、ない」という表現をするのは避けるように投稿ガイドラインにあります。

生物学系の論文の50%で統計が正しく使用されていないと言われますが、それには理由があると思います。端的に言うと、われわれの研究のような実験生物学的研究ではそもそも統計処理にあまり意味がないのです。こうした研究では統計は実験結果の再現性を示すために使われることがほとんどで、その用途に関して言えば、私は個人的には必要ない、というかむしろ有害ではないか、と感じています。ヘンに統計処理した結果を使って議論するぐらいなら、生データを単純に示すほうがよいと思っております。だいたい、N = 3 で t-test(あるいはノンパラであっても)統計を行うことに何の意味があるのでしょう?しばしば散見されますけど、p-value 0.05という数字を水戸黄門の印籠のように使って、データのクオリティや数や効果サイズを無視し、都合の良い結論に導くために議論を歪めるなら、統計処理はしない方がマシです。また「群間の数値に統計的有意差がない」ことを「数字そのものに差がない」と意図的に混同して正確でない結論に導くこともよく行われます。「統計的有意差がない」というのは「帰無仮説が棄却できなかった」というNegative resultですから、その解釈は慎重でなければなりません。このp-value信仰とでも呼ぶべき慣習は少なくとも正されるべきだと私も思います。
しかしながら、私はわれわれが行うような小規模の実験生物学には統計は余り意味がないと思っておりますので、この種の研究に今回の統計専門家のコメントにあるようなレベルの厳密さを求めるのは、酒場で不謹慎な冗談を言っている人に正論で説教するような場違いさを感じてしまうのです。ま、酒場とは言えそんな不謹慎な冗談を言う方が悪いと言われれば反論のしようがありません。そういうわけで、こちらも統計学専門家の人に予約をとって相談することにしました。

いずれにせよ、Negative dataを出版しようとするのは、私の人生で初めてのことで、リバイスの機会を得たことは嬉しく思います。この論文の採否が私の今後の人生に統計的有意な影響を及ぼす可能性はゼロに近いですが、これを形にするのは意義があることのようですし、この分野でメシを食わせてもらった私の義務でありますので、もうちょっと頑張ろうと思います。
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