百醜千拙草

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低レベル放射線、東京地検、恥の上塗り襖の下張

2012-02-10 | Weblog

低線量放射線の脅威」というタイトルの小文が最近のNatureに出ていました。ヨーロッパで、冷戦中(1989年以前)に積極的に研究された放射線障害を調べる動物実験のデータなどを再解析し始めているという動きを伝えています。ドイツでは低レベル職業被曝(年間20 mSv未満)でも、年間7万人の健康障害(これは1960年代の二倍以上)が報告されているそうです。ある疫学データによると、子供の場合、10 mSvでも、がん傾向のある群では、がん発症リスクやその他の心血管障害が上昇する可能性があるということです。

問題は、倫理的問題、放射線医学の衰退などから、現在では低レベル放射線の生体への影響は殆ど研究されていないということで、低レベル放射線被曝の健康障害のリスクは強く示唆されるものの、確定的なデータがないということらしいです。この手の研究は、核戦争の現実味が極めて高かった冷戦時代には数多く行われていました。冷戦終了に伴ってそうした研究のデータやサンプルは忘れ去られていたのですが、それらは十分、解析可能であるということがわかってきたのだそうです。

低レベル放射線の障害性はおそらくこれらの解析で確認されるのではないでしょうか。昔、放射性被曝の危険がよくわかっていなかったころ、放射性物質は体に良いと信じて放射性物質を含む井戸水を売っていた会社があったそうです。それを信じて、その井戸水を飲み続けた人は悲惨な状態で死にました。現代でもラドン温泉みたいなのがありますが、アメリカでは住居や学校ではラドン測定は義務づけられており、一定量以上であると使用が禁じられます。一方、「低レベルの放射線の障害は科学的に証明されていない」ということを理由に原発反対派を批判する池田某とかいうヒトや、「直ちに影響はない」とゴマカす三百大言がいます。前者のヒトはブログでは有名なようで、ちょっと読んでみました 。一見、科学的に公平に議論しているような体裁をとっていますが、自説に都合のよいデータだけをつまんできているようです。都合のよいデータだけをつかって、都合の悪い話は無かったことにして、ストーリーを作るのは、検察に任せておけばよいのです。すべてのデータを包括的に評価するのは不可能ですから、仕方ない部分もありますが、原発反対派の個人を勝手な思い込みでトリックスターであると決めつけ誹謗中傷している最近のエントリーは、ちょっと読むに耐えません。この姑息なやり方は、痴の虚人、立花某にそっくりです。

だいたい「科学的に証明されていないからこそ、悪い場合を考えて慎重に行動する」のが賢いやり方というものではないでしょうか。科学的に証明されていないことは、それが「ない」ということを意味するのではなく、「ある」か「ない」かわからないというだけのことです。むしろ、「ある」ことを示唆するデータが存在する以上、科学的に「ある」という結論が出る可能性をまず考えておくべきだと思います。

 

もう一つ、同じ号のNatureで、東大の中村祐輔氏がシカゴ大へ移るという話。一年ほど前に、内閣府の医学イノベーション室に着任したものの、何のパワーもない有名無実なポストであったことが最も大きな動機だそうです。停滞する日本の医学研究、新薬開発を進めるために提言を行ったり、震災後の経済刺激政策の一部に組み入れようとしたり努力したりしたが、アイデアは採用されず、また640億円をかけて、東北大に作ろうとしている巨大な生体標本バンクの計画からもはずされ、イノベーション室は何の役割も果たしていないと不満を語っています。つまり、「イノベーション室」というハコをつくれば、それで役人たちは満足なのです。いつもの「やってるふり」する政府の得意技のようです。使命感に燃えて人々のために働こうと、そういうポストへやってくる人は肩すかしもいいところでしょう。シカゴへの移動は、早い話が、ゲノム学の分野では、日本はダメだと見切りをつけたということのようです。アメリカが良いかと言われたら、また違う問題が沢山あるでしょう。ドイツで定年になってアメリカに移ったラジョウスキーは、研究規模は1/5になったと言っていました。金があればアメリカでは一流の研究ができますが、なければできません。ゲノム学で金をとってくるのはこれからはアメリカでも厳しくなっていくでしょうし。ただ、このNatureの記事からは、日本では金があっても一流の研究プログラムを育てて行くのは困難だ、というようなニュアンスが感じ取れます。それにしても、日本の「お役所」というのは、消耗しますね。

 

ところで、陸山会裁判で、裁判所の命令を東京地検が拒否したという信じられない話がありました。こういうことがまかり通れば、日本は法治国家ではないということを世界中に宣言しているようなものです。以下、日刊ゲンダイの記事を貼付けておきます。

検察はどこまで恥の上塗りを続ける気なのか。東京地裁が、民主党の小沢元代表(69)を起訴した「東京第5検察審査会(検察審)」に提出された検察資料の開示を求めたところ、東京地検は照会を突っぱねたのだ。裁判所の要求に検察が従わないなんて、異例中の異例だ。検察は「資料を開示すると、公判に影響を与えかねないと考えた」(検察事情通)らしいが、自分勝手も甚だしい。
裁判所の開示要求は刑事訴訟法にのっとった正当な手続きだし、裁判所だって検察官役の指定弁護士、弁護側双方の主張を「立証」するのに欠かせないと判断したから資料を照会したのである。

小沢裁判では、検察審が「起訴相当」議決を下す決め手になった捜査報告書が田代政弘検事のデッチ上げだったことが発覚。元祖・改ざん検事の前田恒彦受刑者も「裏金授受を否定した建設業者の事情聴取のメモが検察審に提供されなかった。検察の証拠隠しがあった」と証言した。

東京地検は一切合切の資料を差し出すべきなのに、拒否したということは、よほど隠したい事実があるのでしょう。田代検事だけでなく、当時の吉田正喜特捜部副部長や、主任の木村匡良検事が録取した調書、捜査報告書なども相当ズサンな内容なのでは」(司法ジャーナリスト)

小沢弁護団の喜田村洋一弁護士がこう憤る。
「裁判所は裁判におけるアンパイア(審判)です。そのアンパイアが(開示を)命令しているのに拒否するとは聞いたことがありません。これはもう裁判でも何でもありません」
検察から「イヤ」と言われた裁判所が今後、どういう対応を取るのか分からないが、おとなしくヘーコラ従ったらアンパイア失格。本紙が再三、指摘した通り、検察とグルになっている証しだ。司法組織が一蓮托生になって、小沢に圧力をかけているとしか思えない。

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