百醜千拙草

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フリージャズとは何だったのだろう

2018-04-10 | Weblog

週末の訃報欄から。
セシル・テイラー氏(フリージャズ・ピアニストの巨匠)AP通信によると、5日、米ニューヨーク市ブルックリンの自宅で死去、89歳。死因は不明。29年、ニューヨーク生まれ。6歳の時にピアノを始め、56年にファーストアルバムを発表。従来のジャズの枠組みにとらわれず、より自由な表現を目指して60年代に隆盛を極めた「フリー・ジャズ運動」をけん引した。来日公演も多く、2013年には稲盛財団から科学や芸術の発展に寄与した人をたたえる「京都賞」を贈られた。


フリージャズとは一体何であったのか、折々に考えることがあります。なぜかあの時期に多くのミュージシャンがフリーを志向し、聞き手も何かを感じました。私も若いころコルトレーンやファラオサンダースなどのフリーセッションのレコードをよく聞きいて何かを感じたはずでしたが、今はあまり聞きたいとは思いません。時代的なものなのかもしれません。新しい世界を求めるエネルギーみたいなものに惹かれたのかも知れません。

セシルテイラーによってピアノは繊細な打楽器になりました。ピアノを打楽器的に使うというテクニックは今もよくみられます。例えば、上原ひろみさん、演奏では、時々「肘打ち」を出します。しかしセシルテイラーはなぜか「肘打ち、げんこつ」はやらないのです。あくまであの強靭な指で鍵盤を押さえて早く鋭いパッセージを繰り出します。

表現のための規制を広げていく中で、山下洋輔は、肘打ち、げんこつ、はもとより、ピアノを燃やしながら演奏するというようなことまでやりました。しかし、フリージャズピアノの先駆者のテイラーはピアノを壊すこともなく、肘打ちすることもありません。あくまで椅子に座って指で鍵盤を押す、規制は外れてもピアニストという枠の中で自由に表現したいというのが彼の目指したところなのでしょうか。

破壊せよとアイラーは言った」と、中上健次は書きました。フリージャズは規制(体制)の破壊であるとの解釈でしょう。でも、私はそれは本質ではないと思います。テイラーのピアノは破壊ではなく、間違いなく創造です。無調に聞こえるようでも構造があり、モチーフがあり、和音があります。言いたいことが既存の言葉で見当たらないのなら、言いたいことが伝わるような言葉を作ってしまえば良い、そんな風に聞こえます。それが結果としての規制の破壊になっただけのことだろうと思います。しかし、思うに、フリージャズが持つ体制の破壊、制限されない自由という面が若い人々のエネルギーを集めてブームになったのは間違いないだろうと思います。そして、破壊のエネルギーに惹かれた若い人々は、そうした試みの後、破壊すれば新しいものが自動的に生まれるわけではない、ということを知って、フリージャズから離れ、ブームが終焉したのではないでしょうか。

モダンジャズはアメリカ黒人が生み出した音楽で、西洋生まれの楽器を使った西洋音楽という制約、白人のためのダンス音楽という制約への抵抗によって生まれたと私は思います。そのルーツには、虐げられてきた人々の生々しい感情が残っているのでしょう、ビリーホリディが「奇妙な果実」を歌い始めたのは1940年ごろです。

抵抗の音楽として始まった黒人音楽が白人社会の枠内に取り込まれ、そしてその規制の外に出ることによって純粋音楽としてのモダンジャズが生まれ、さらに自己進化して行き着いた果てがフリージャズということでしょう。とすると、多分、当時のジャズミュージシャンにとってフリージャズは目指すべきユートピア(の一つ)であったのではないだろうかと想像します。そこは、純粋な表現のための自由だけが存在し、人種も歴史も超越した場所であったのではないか、と想像します。こうして、あの時代に、ボトムアップで黒人ジャズ演奏家が全体として目指すべき場所の一つとして自然に行き着いたのがフリージャズであり、そのへんがクラッシックの前衛音楽との違いなのだろう、と勝手に思ったりする次第です。

セシルテイラーのソロ


上原ひろみ、肘打ち


ついでにクラッシックからの現代音楽、高橋悠治さん演奏のヘルマの一部


コメント
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