引っ越しや手続きや何やらで忙しくあっという間に時間が経ってしまいました。
とりあえず何とかなっています。
昨日は同門の先輩先生、お二方とお目にかかりました。お一人の先生が、自然に囲まれた美しい土地の病院を建てられ、そこにもうお一人の先生が後から参加されたという形になっています。
お二方とも大学を離れた後も研究活動を継続されていて、その病院には研究設備もあります。それは後から参加された先生の私設研究所を移転したものです。その先生はもう70歳半ばのはずですが、週5日フルタイムで働いていて、最近、ライフワークであるとある自己免疫疾患の治療につながる分子の同定の論文をC紙系列の雑誌に出版されたところです。元々は出身大学の教授をされていましたが、学内の政治的ゴタゴタに嫌気がさして他大学に移り、任期後は私設の研究所を作って実験されていたとのこと。かなりの私財も注ぎ込んで、この論文は産み出されており、ご本人がトップで責任著者です。その情熱と行動力にはすっかり敬服しました。
もう一人の病院理事長の方は整形外科医で、70近いはずですが、現役で手術室に入り、研究室の方も研究員を雇って続行中。研究には金がかかりますし、公的研究費の取得は年々難しくなり、年齢差別などもあります。そんな困難にも関わらず、私財を注ぎ込んで研究を追求する姿勢というのは眩しいばかりです。
人間、生きている以上は何かして日々の暇を潰さないといけませんから、昼間からビールを飲んでダラダラ過ごすよりも、研究したり患者さんを診たりする方が好きというなら、それは素晴らしいことです。ビールを飲んでダラダラするのはビール屋に多少儲けてもらうぐらいの社会的効果しかありませんけど、研究して論文を出し知の蓄積に貢献し、患者さんを診て地域医療に貢献するというのは、ビール ダラダラに比べてはるかに社会と人々の役に立っています。
その話の時に、先々代の教授が最近亡くなったと聞きました。90歳は超えていたはずですが、現役時代はなかなか強烈な人でした。しかし、研究という点に関しては純粋で猪突猛進的なところがあって、この方も退官後、私立の病院に臨床研究する部門を作って、データを集め自分で国際学会に演題を出しては発表するということをされていました。学会というものは基本的に社交会場であり、いわば温泉旅行みたいなものです。発表するのは通常、学生や若手で大教授はそれを見てアレコレ言うだけの立場。80歳になっても国際学会にやってきてずっとポスター会場にいるこの大先生を見て、現役時代を知っている多くの人は勉強熱心だなあと感心していたものです。しかし、ポスター会場にいる理由が実は自分自身の研究を演者として発表するためだったとは、さすがに誰も思わなかったようです。
私よりもさらに大先輩たちが、とうに引退年齢を越えてからも、純粋に研究や地域医療を追求し続ける姿は尊いというほかありません。このような一途さがかつての高度成長を支えた日本の底力なのではないか、と思ったりします。
私も昼ビール ダラダラ計画を見直す必要があると思わされた日でした。