週末は20年ぶりに会う知り合いの人々と会食。一人は熊本からわざわざ来ていただきました。二昔の月日というのはバカにできないもので、みなさん外見や肩書もずいぶん変わりましたが、一緒に過ごした頃のことは昨日のように思い出します。
さて、月日の経つ速さといえば、「秋が終われば冬が来る ほんとに早いわ」とという歌う曲がヒットしたのは30年前のバブル期で、普通の若者が週末は踊りに行ったり、夏はサイパンのビーチに行ったりするのが日本人のライフスタイルでした。そして、若い女の子はオバさんになり、ディスコなどというものはなくなり、長い落陽の日々を日本は歩くことになりました。
それから15年、高まる自民党政治への国民の不満が政権交代を起こす直前、村上春樹氏がエルサレム賞を受賞したのは2009年のことでした。氏は、この賞を受賞すべきか拒否すべきか逡巡した、とそのスピーチの最初で述べています。もちろん、イスラエルのパレスティナ迫害が念頭にあったわけです。
そのスピーチは卵と壁という比喩を使ってなされました。硬い壁に当たって壊れる卵、壁は(社会や世界を支配している)システム、卵は一人一人の人間。しかし、こうして一般化される喩えの前提には、アメリカの支援で強力な軍隊と核兵器をもつイスラエルという硬い壁のような組織と、そのイスラエルのシオニストに迫害され天井のない監獄と呼ばれるガザやウエストバンクに追いやられ貧困と苦難のうちにこの半世紀を生きてきた壊れやすい卵のようなパレスティナの対比があります。その上で、そのシステムによって苦しんでいるのはパレスティナ人だけではなく、イスラエルのユダヤ人も含めた個々の人間である、と一般化することによって、ストレートなイスラエル批判を避け、その根源にある権力と権力に蹂躙される個人の権利という対立構造を述べていると思います。人間社会のシステムもそもそもは壊れやすい人間が作ったものであります。まずは、弱く壊れやすい側に立ち、彼らを守る姿勢をとることが重要です。そうでなければ、弱いものは壊れ殺されて消えていく。消えてしまってから取り返そうとしても無理です。まずは弱いものを守る、善悪は一旦おいておいて、子供や女性、マイノリティー、社会的弱者を守ることがプライオリティーである、それが「どんなに卵が間違っていて、どんなに壁が正しくとも、卵の側に立つ」という言葉だと思います。これは民主主義の鉄則でもあります。「人民は弱く官吏は強し」、システムの内部の人間が悪意を持てば、個人は容易に潰される。それが日本も含む独裁国が自国の国民に対して行ってきたことです。われわれは、須らく権力を持つものの暴走を批判し、弱い個人の権利を守る側に立たないといけません。
ハマスのテロに対して自衛権を行使するという建前の元に、民族殲滅とガザの土地支配のため、アグレッシブな無差別攻撃による市民の虐殺を続けるイスラエルのシオニスト政権。開戦に誘い込み、先に日本が真珠湾を攻撃したという口実で、日本を空襲し沖縄では地上戦を行って、最後にはヒロシマ、ナガサキに原爆を投下し、市民を虐殺し、戦後、今に至るまで日本を植民地としたアメリカを思い出させます。そのアメリカがウクライナと同じく、イスラエルに巨額の戦費を融通し、自国は無傷のまま外国での戦争に介入して、ガザの大虐殺に加担しています。世界の人々の多くがアメリカとイスラエルの邪悪な目論見を感じ取っており、それが世界規模のパレスティナ連帯と停戦を求めるデモにつながっています。どんな建前があろうと、ガザへの空爆と侵攻によって5,000人の子供を含む一万人以上のガザの住民を虐殺し続け、ハマスのアジトが病院にあると言いがかりをつけては病院を破壊し大勢の患者、避難民や医療関係者、ジャーナリストを殺害し、アジトがないとなれば、でっち上げの証拠で誤魔化そうとするイスラエル軍の行いを正当化はできません。「テロとの戦い」という怪しげなフレーズで「大量破壊兵器」を隠し持っていると言いがかりをつけて、イラク侵攻し、イラクを破壊しフセインを殺し、多大な市民の犠牲者を作ったアメリカのブッシュ政権と相似です。結局、大量破壊兵器は見つからず、残ったのは死体の山。「ハマスはテロリストであり、テロリストは殲滅しなければならない」、イラク戦争時のアメリカと同じ口実です。そして、儲けるのはいつもの軍産。人殺しで金儲けをして経済を回す、というシステム、そのために殺される人々。我々が立つ側は明らかです。
二者の間のコンフリクトの話にもどりましょう。強いものと弱いものがお互いの利益や権利を争って対峙するとき、われわれは、まずは弱いものの側に立たねばならないと述べました。数年前、アメリカで白人警官の行き過ぎた暴力によって黒人市民が殺されるという事件がきっかけで再燃した「Black lives matter」という運動がありました。人間の命は人種にかかわらず等しく尊いはずですが、現実には、白人社会では黒人やその他の有色人種はさまざまな場面で差別に遭遇します。アメリカでは奴隷の時代から人種隔離政策が行われてきました。ローザ パークスがバスの席を立たなかったり、マルコムXやマーチン ルーサー キングが夢を語ったりしたのは、それほど遠い昔のことではありません。白人という人種にたまたま生まれついたというだけで、現代でも人種差別されずに済む特権を持ち、たまたま有色人種に生まれついたというだけで人は差別されるハンデを負っているのです。だから、まずは、同じ命であってもWhite lives ではなくBlack livesが強調されなければなりません。同様に「すべての人の権利」ではなく、LGBTの人の権利、女性の権利や子供の権利が強調されなければなりません。我々は、卵の側にまず立たねばならない、たとえ卵が間違っていたとしても。そして黒人が白人なみの権利を持ち得るようになって初めて、我々は「All lives matter」と言えるようになり、パレスティナの人々がイスラエルのユダヤ人と同じ権利を持ち得るようになって初めてわれわれは正義を語ることができるのではないかと思います。イスラエル-ガザの戦争において、世界市民である我々がまずしないといけないことは、ガザを攻撃するイスラエルを止めさせることであり、ガザを救うことを主張することです。
前置きが長くなりました。エルサレム賞の村上春樹氏のスピーチは全部が公開されていますので、リンクします。15年経っても世界はなかなか進歩しません。