イスラエルの病的とも思えるガザへの攻撃の一つの理由を説明する興味深いTikTok動画がTwitterで流れてきたので紹介したいと思います。
ほとんど無差別殺人、Genocideといってよいイスラエルによるガザへの攻撃。パレスティナの犠牲者は一万人を超え、その半数近くが子供です。イスラエルはハマスというテロ集団根絶のための「自衛」であると強弁していますが、これが自衛の範囲をはるかに超えているのは世界の人々の目には明らかで、いまや世界中でパレスティナへの連帯を示す大規模なデモが進行中という事態になっています。イスラエルは病院の地下にハマスが潜んでいると主張し、病院を爆撃、救急車にハマスが隠れていると言って、救急車を爆撃し、ハマス戦闘員のみならず、パレスティナ人の病人、医療従事者、一市民に加え、イスラエル人人質や国連職員でさえも殺しまくっています。
この大規模な空爆が始まる前、イスラエルはガザ北部を攻撃すると宣言し、一般市民は与えられた短い時間にガザ南部へ避難するよう通告しました。ハマスの本部が北部の病院地下にあるからというのがその理由のようですが、ガザ北部を破壊するのには、別の理由があったのかもしれない、そう思わせる話がTwitterで流れてきたTikTok動画にありました。
見てもらう方が話しが早いので下にリンクしておきます。
@mystical04046 The Ben Gurion Canal Project, Israeli Canal. We all need to do our own research and stop relying on the lying ass mainstream media. Israel is INHUMANE! Stop The Genocide. Give them back their land. Free Palestine.🇵🇸
♬ original sound - Mystical
今回のイスラエルのガザへの攻撃に際して、この若い女の子は叔父さんに言われて「Ben Gurion Canal Project」と呼ばれるシナイ半島の東側に地中海と紅海を結ぶ新たな運河を建設するという計画について調べたと言っています。この動画の中では、そのプロジェクトの計画の目的とイスラエルのガザ空爆の関係を、歴史的な流れの中で、米英仏、エジプト、イスラエルの思惑を考慮に入れ、事実関係の確認をしながら、非常にうまくまとめて発表しております。巧な話の構成、事実関係を確認しながら主張を展開し、結論の妥当性を納得させるプレゼンテーション、と私はこの動画に感心しました。アメリカ人だと思われますが、あきらかに発表のトレーニングを大学などで受けてきたと思わせられます。このあたりがアメリカのいいところで、学校では学生は知識と技術を身に着けることを真に要求されるのです。それに比べて、ワセダを出ながら、答弁といえば官僚作文を棒読みするしか能がないキシダのお粗末さ。学校で何か勉強してきたのでしょうか?世襲政治家は授業に一切でなくても卒業できるそうですけど。
さて、この話は歴史的事実をもとにイスラエルの意図を推測しているわけですが、現在のイスラエルのガザ破壊の目的の一つとして可能性の高い仮説というレベルで考えておいた方が良いかもしれません。ただし、そもそものパレスティナ問題の発端は、イスラエル建国の前、中東支配を目論んだイギリスのユダヤとアラブ、それからフランスとの密約という3枚舌外交であることを考えると一聴に値する話だと思います。
さて、内容を要約すると、現在おこっているイスラエルのガザ北部の激しい空爆と破壊は、1956年の事件に関連してアメリカなどが密かに計画してきた運河建設計画に関連しているというのです。以下は話の要約と、付け足した私の補足です。
英仏の貿易の利便のために1869年にできたスエズ運河の使用に関して、1888年、コンスタンチノープル合意と呼ばれる自由な使用を約束する協定にヨーロッパ諸国、トルコ、ロシアらが調印した。これは運河の利用に国の制限を設けないという協定であった。ところが1948年、イスラエルが建国し、(イスラエルがパレスティナのアラブ人を追い出して大量のパレスティナ難民が生み出されたことを受け)これに抗議したエジプトはイスラエルのスエズ運河の使用を禁止した。 [補足 これが第一次中東戦争につながり、この戦争後、ガザはエジプトに分割された。1956年、アメリカは、エジプトにアスワンハイダムの建設援助中止を通告、エジプトは報復にスエズ運河を国有化し、英仏の運河利権を潰した。これに不満を抱いた英仏がイスラエルにエジプト侵攻させたのが第二次中東戦争。その後、イスラエルは周辺アラブ諸国への奇襲を仕掛け(第三次中東戦争;六日戦争)、その意趣返しとも言えるエジプトのイスラエルへの攻撃(第四次中東戦争)を経て、ジミー カーター(当時のアメリカ大統領)の仲介で、エジプトとイスラエルの平和協定(キャンプ デイヴィッド協定)が1978年締結された]
しかし、キャンプ デイヴィドの年から遡ること16年前の1963年に、アメリカは520発の核爆弾を使ってイスラエルに紅海と地中海を結ぶ運河を掘るBen Gurion運河計画を機密理に練っていたことが、機密期間(30年)が過ぎてから明らかになっている。[ところで、これもアメリカのいいところで、アメリカは政府の機密事項を後年公開することによって、歴史の検証に資し将来に役立てるというシステムを持っています。このシステムによって、日本では隠されていた事実、例えば佐藤栄作がノーベル賞にもなった非核三原則の裏でこっそり交わしてた核持ち込みのアメリカとの密約も明らかになりました。その血を引いたアベの政権で行われた公文書の改ざん、隠蔽などを思い返せば、アメリカがこうして記録とその公開を重視するシステムを作ったのは、民主主義を護り、政治腐敗を最小限にするのが目的でであることがよくわかります] さて、第一次中東戦争以来、スエズ運河の巨大な利権がエジプトに握られたことに加え、スエズ運河の運搬能力の低さに不満をもったアメリカとイスラエルが、新たなより高性能な運河をシナイ半島の東側に作ろうと考えたのが、Ben Gurion 運河計画ということ。それはパレスティナの岩盤層を掘り進んで地中海に抜ける経路を取るのだが、計画ではガザのすぐ北側にガザを迂回しなければならない。逆に言えば、ガザの北部が人の住まない土地となり、そしてイスラエルのものになれば、この迂回問題は解決する。この運河は貿易や戦艦の運搬などで米英仏イスラエルに大きな利益をもたらすだけでなく、エジプトが管理するスエズ運河に頼る必要がなくなることから、これらの国のアラブ諸国に対する立場を強くするという政治的意味もある。