百醜千拙草

何とかやっています

蜘蛛の糸を繋ぐ

2009-02-10 | Weblog
2/5号のNatureの表紙は、しわくちゃになったグラント応募用紙の表紙に、「Rejected」のスタンプが押された絵でした。嫌な気持ちになる表紙です。実はこの表紙の絵になっているグラントの書式は、数年前まで使われていたPHS398と呼ばれるNIHグラント応募用の書式で、オンライン応募への移行にともなって、現在ではSF424という違った書式に変更されています。去年までは、通常シングルスペースで25ページの研究計画にその他の情報を加えた全部で60 - 100ページほどのグラント応募書類を、アメリカの研究者はバカにならない時間をかけて準備していました。(今年からページ制限が変更になりました)アメリカの研究者であれば、合計3回(今年から2 回)のチャンスしかなく、3回あわせた採択率が3割ほどのグラントに、全てがかかっていることが多いのです。このNatureの号では、二人の中堅とベテランの女性研究者で、NIHグラントの更新ができなかった人の詳しい話が描かれています。自分のキャリアはもとより、多くの場合で、家族の生活もかかっているNIHグラントに依存する研究者は、基本給なしの歩合制のみで働くセールスマンのようなものです。いくらよい商品であっても、多くの場合、買い手の事情で売れる売れないが決まります。毎日食べるのが精一杯の家庭では、米は売れても車は売れないでしょう。また車を買い替えたいと思っていても、不況で収入が減っていれば我慢すると思います。しかし、そういう「消費者」のニーズや購買能力が変化したからといって、研究者は容易にその商品を変更するわけにはいきません。研究者は長年の専門のトレーニングを経て、その世界の専門家となっていくので、例えば、何十年かけて、ようやく内分泌専門家になったときに、もう社会に内分泌専門家のニーズがないから要らないと切り捨てられたりすると、その人の専門家としての道が断たれるだけでなく、将来、内分泌専門家が必要になった時に間に合いません。一般社会も研究政策を決める中央もそんな長期的視野に立った理解に欠けています。桃栗三年、柿八年、先々のことも考慮して現在の政策は決められなければなりません。このNatureの二人は、グラントの更新が困難になってきたときに、出産があったり、離婚があったり、という私生活でも困難に見舞われています。順風満帆の時期もあったようですが、悪いことはしばしば重なるのですね(出産や離婚そのものが悪いと言っているわけではありません、念のため)。とくに、二人目のベテラン研究者(コロンビア大教授)がラストチャンスの再応募で、スコアが135という高得点(100に近いほど良い)であったにもかかわらず、パーセンタイルが10.6で、ペイラインの10にわずかに届かなかった時のことを描写した場面では、人ごとながら涙がでてきました。必死で頑張って登って来たのに、天国まであと10センチのところで、蜘蛛の糸がきれてしまったカンダタのようです。今回、NIHとの交渉が成功しなければ、新しいグラントとして出すしかないのですが、大幅に内容を改訂し、新しい目標を設定して、書き直すというのは大変なことです。加えて、また一回目からやり直さなければならないので(しかも、一回目はたいてい通らない)、その間のおそらく少なくとも一年以上の活動資金をどうするのかという問題をまず解決しないとなりません。ペイラインが10パーセンタイルというのも史上最低の悪条件ですし、スコアが135なのに10パーセンタイルに届かないというのも余りに気の毒です。ペイラインががもうほんの少し甘ければ、彼女の今後の5年は全く違ったものになったであろうと思うと、本当に天国と地獄です。もしも、彼女がこの危機を生き延びることができなければ、おそらく、コロンビアでの大学教授の職を去らざるを得なくなり、研究者廃業の可能性が高くなります。
 私自身は、社会に出てから、順風満帆というものを経験したことがないのですが、とことん悪い事が重なることもありませんでした。しかし、そんな私もいつ切れるとも知れない蜘蛛の糸にぶら下がっているのは、他の研究者の人と同様です。このNatureの研究者の人は、もちろんあきらめず、生き残りを賭けて、頑張っておられます。私は正しい努力をして、これまで社会に貢献してきた人が、一時の外的条件の悪化によって、再起不能になるような社会(研究者が一旦、店じまいしてしまうと再起は極めて困難です)は、万人にとって悪いものだと思います。どんな形であっても、有能な人の正しい努力は報われるものと信じていますので、彼女らの奮闘が報いられることを願っています。
コメント
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