百醜千拙草

何とかやっています

通常営業

2019-10-01 | Weblog
ようやく通常営業に戻りつつありますが、実験の調子は相変わらず。新しいアイデアを思いついたので、来年後半の研究費申請を目標にツール作りを始めました。これを作るのは少々厄介で、自前ではできそうにないので、アウトソースしなければなさそうです。来年はストレスの多い年になりそうです。現在、資金は二年分しか確保できていないので、来年にはもう一つ申請を出さないといけませんが、今の所、パッとした予備データは出ず。パッとしたデータが出たものは、つい最近中国からスクープされ、今回の学会でも別のグループがフォロー。彼らは、はるかに先行しているので、これを追求してカネにするのは無理でしょう。我々の分野では新顔のこの分子、誰も興味はないだろうと思って、のんびりやっている間にすっかりやられてしまいました。去年も、始めたばかりのプロジェクトが中国のグループに先を越されてしまい、撤退の憂き目に会いました。みんな考えることは同じということなのでしょうね。彼らと同じような思考をしていたら勝ち目はないと改めて実感した次第です。実験システム的に簡単に手が出せるようなもの、conditional ノックアウトとかsingle cell 解析とかで押していけるものは、もう零細研究室ではダメですね。一応、従来のシステムではアプローチできない問題にユニークな方法を適用して解決するというような形の研究を目指していはいるのですが、何か思いつくたびに、己の凡才ぶりを思い知らされるばかりです。

最近、自分に天から与えられた使命があるとしたらそれは何だろうと折々に考えます。研究は好きでやっていますけど、今のところ研究を通じて分野に貢献できたという思いはありません。そう思うので、せめて雑用はなるべく引き受けるようにしています。10年ぐらい前は、レベルの違う研究に遭遇する度に、自分が若い頃に目指していたものと現実の乖離に打ちのめされるような気持ちになったものです。現在でも、自分の凡人ぶりを実感すると多少落ち込みますが、年のせいか落ち込みからの回復は早くなりました。

あまり落ち込まなくなった一つの理由は、研究業界も人間の社会も一見、然るべく形に構築されているように見えますが、内実は違うとことがわかってきたからだと思います。結局、人間の全ての社会的活動は、多かれ少なかれ"hokey-pokey business"だという感じが年々、強くなってきました。
喩えば、野球に対する選手の心構えに関して「たかが野球、されど野球」という言葉がありますけど、これは研究、人生や社会に拡大できると私は思います。一人の人生は一幕の劇に過ぎない、されども、それは一生懸命やるに値するものだ、と思うようになりました。感覚的には「人生は半荘のマージャンである」と喩える方がしっくりします。より端的に、「人生は人生ゲームである」と言っても良いでしょう。真剣にやるにはバカらしいが真剣にやらないと面白くないのが人生ゲーム、つまり人生そのもの、だと思うようになりました。
そんな感じで、小さなことに一喜一憂している自分を励ましたりバカにしたりしながら日々やっております。






コメント (2)
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