(栄大橋俯瞰@横倉~森宮野原間)
西大滝からさらに飯山色を追い掛け、追い付いたのは森宮野原手前の栄大橋俯瞰。この先、志久見川との合流地点である宮野原橋の地点で、千曲川は新潟県に入り信濃川へと名前が変わります。ここは大きい景色で川と線路を俯瞰出来る飯山線随一の撮影スポットですが、南面しているので日中は割と逆光ベース。朝だと東からの光が線路に回るので、切り位置によっては順光になるみたいですね。この辺り、周辺に比べ妙に路盤が整備され築堤の法面も新しいけど、これはあの東日本大震災の起こった3月11日の翌朝、平成23年3月12日3時59分にこの地域を襲った震度6強の直下型地震…いわゆる長野県北部地震(栄村大震災)によって崩壊した築堤を修復したためなんですよね。
東日本大震災の衝撃も冷めやらぬ中、北信の小さな村を襲った未明の大地震。雪深い里の家々は潰れ、すべての水道が止まり、交通網が寸断されました。つぶさに見て行けば大きな被害であった事は間違いないんですが、なにぶんにもその全容は東日本大震災の陰に隠れてイマイチ伝わり切らない部分があった事は否めません。その大震災の記録を風化させず留めるために、森宮野原の駅前には震災復興記念館が建設されています。
あの夜は東北の被災地から送られてくる衝撃的な映像に全く一睡も出来ずにテレビに噛り付いていたっけ。ひっきりなしにテレビの画面に現れる緊急地震速報の文字とアラート音、そこに東北ではなく「長野県・新潟県・福島県」の文字が現れた時に、いったい日本はどうなってしまうのだろうか、という言いようのない戦慄を覚えたのを記憶している。最終的にこの地震では災害関連死による死者3名、負傷者10名の人的被害と、その他のインフラを含め大きな爪痕を残し、政府の激甚災害にも指定されました。
地震による土砂崩れに巻き込まれ、中空に放り出された線路。ちょうど上部の写真、栄大橋から俯瞰した地点である事がわかります。それでも東日本大震災の混乱の中、たった1ヵ月半で築堤を盛り直して線路を開通させたのだから長野支社のリカバリー能力たるや恐れ入る。そして全面運転再開にこぎつけたのが4月29日だから、ちょうど訪れた日の6年前のことだったんだね。
レンガ積みの年代物らしい中条川の橋台。築堤は崩れたものの、橋台は地震に耐えて残ったようだ。遠く奥志賀の山々と寄り添うように流れる千曲川。この風景を見ていると、とても大きな地震があった事など信じられないような穏やかな風景だよねえ…
あの時止まった時計を動かすように。きれいな朝日を浴びて、飯山色が森宮野原を目指します。