青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

早期復旧祈念

2017年05月28日 17時00分00秒 | 飯山線

(がんばれ!飯山線@JR東日本公式HPより)

飯山線が、上桑名川~桑名川駅間の井出川(出川)上流で起こった大規模な土砂崩落のため、土石流の危険性があると言う事で先週から運転を見合わせています。飯山市からは周辺住民に対し避難勧告なども出ているようで、JRとしても避難勧告の解除とその後の安全確認が取れるまでは戸狩野沢温泉から森宮野原の間で運休の措置を取るそうです。これから梅雨の時期に入る事もあり、雨で余計に地盤が緩むことも考えると、結構長い運休期間になるのではないかと思われます…うーん。


西大滝の旧道俯瞰から、今回大規模崩落があった関田峠方面を望む。春先の雪融け時期はもともと地山が緩む時期ではありますが、そもそも東頸城丘陵から関田峠周辺の山塊は東西から押される力によって生まれた褶曲地形で、地滑りなどの非常に多い場所でもあります。一説によればそれまで褶曲を生み出していた東西からの押力が、東日本大震災以降全く逆の引っ張られる力に転じてしまったという話もあり、ひょっとしたら大規模崩落の遠因もそんな力作用の変化が引き起こした自然のダイナミズムなのかもしれません。

 

光差す午後の桑名川駅での交換シーン。快速「おいこっと」は客扱いをしませんが、川口方面行きの列車を待つため運転停車を行います。一閉塞の距離が長い飯山線では大事な交換駅。戸狩から森宮野原の間は飯山線でも特に流動の少ない区間ではありますが、信越本線が長野県内でほとんど三セク化した今、JRとして信州と越後を結ぶのは唯一飯山線だけですから大事なルートですよね。


夜の帳降り、静寂に包まれた桑名川の駅。手元にある昭和58年刊行・小学館「中央・上信越440駅」には、当時の飯山線の車窓がこう記されている。「スノーセットを抜けて上桑名川に着く。片面使用のホームに待合所が一つ、それでもおりる人が多く車掌が集札に忙しい。桑名川は島式ホーム一面に三線、行違い設備を持つ。駅舎は民家風である。駅の前を千曲川が流れ、昔ながらの渡し舟が旅情を誘う」とありますが、上桑名川に「おりる人が多」く、「車掌が集札」している事に隔世の感がある。今や上桑名川の利用客は一日10~20人程度であり、この辺りを走る飯山線はほとんどがワンマン列車だ。昭和58年時点では桑名川も有人駅で急行列車が走り、津南、越後田沢、越後岩沢が交換駅だった模様。


文章の中にある「昔ながらの渡し舟」とは、「七ヶ巻(なながまき)の渡し舟」として長野県内で最後まで残った千曲川の渡し舟の事らしい。なるほど地理院地図を見ると、対岸の七ヶ巻の集落から千曲川に向けて不自然なまでの真っ直ぐな道が残っている。これが船着き場へ向かう道だったのでしょうね。利用者から僅かな渡し賃を取って、七ヶ巻集落の当番制で維持されていた渡し舟。1980年代初頭に廃止されたそうですが、渡し舟の歴史は日本有数の豪雪地帯に交通手段としての鉄道が村人のよすがとなっていた時代の話なのでしょう。時は流れども、そのレールの果たす役割は変わらないものと信じたいですが。

飯山線の、早期復旧を祈念してやみません。
コメント
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