tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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子嶋寺の大黒天(大和七福八宝めぐり・其の五)

2011年01月04日 | 大和七福八宝めぐり
早くも今回で第5回となった。久米寺の寿老神に続き、今回は子嶋寺(こじまでら 高市郡高取町)の大黒天を紹介する。Wikipedia「子嶋寺」によると、このお寺は《高野山真言宗の寺院。山号は子嶋山(報恩山とも)。本尊は大日如来。開山は寺伝では僧・報恩と伝える。平安時代中期作の国宝・両界曼荼羅図(子島曼荼羅)を伝えることで知られる。「清水の舞台」で知られる京都東山の清水寺は子嶋寺の僧・延鎮によって開かれたとされ、平安時代中期以降は真言宗子嶋流の道場として栄えるなど、歴史的に重要な寺院である》。清水寺は子嶋寺の支坊として開かれた。つまり子嶋寺は清水寺のご本家なのである! これはすごい。


この山門は、高取城二の門を移築したもので、現存する唯一の高取城遺構

国宝の両界曼荼羅図は《京都・神護寺の高雄曼荼羅と並ぶ両界曼荼羅図の代表作で、子嶋寺中興の祖とされる真興が一条天皇の病気平癒祈願の功により賜ったと伝わる。(奈良国立博物館寄託)》というものだ。現物は3m四方ほどの巨大なものだそうだが、お寺には4分の一サイズの複製品(銅板製)が置かれている。

両界曼荼羅図とは何か。Wikipedia「両界曼荼羅」によると《密教の中心となる仏である大日如来の説く真理や悟りの境地を、視覚的に表現した曼荼羅である。大日如来を中心とした数々の「仏」を一定の秩序にしたがって配置したものであり、「胎蔵曼荼羅」(胎蔵界曼荼羅とも)、「金剛界曼荼羅」の2つの曼荼羅を合わせて「両界曼荼羅」または「両部曼荼羅」と称する》《胎蔵曼荼羅(大悲胎蔵生曼荼羅)は「大日経」、金剛界曼荼羅は「金剛頂経」という密教経典をもとに描かれている》《胎蔵曼荼羅が真理を実践的な側面、現象世界のものとして捉えるのに対し、金剛界曼荼羅では真理を論理的な側面、精神世界のものとして捉えていると考えられる》。


嘉永元年(1848年)建立の子嶋寺本堂(写真はすべて07.9.1撮影)

瀧谷不動尊の「こころの法話」に、やさしく説かれている。《「真言宗のお寺では、本尊様の両側に一対の曼荼羅が掛けられています。向かって右が胎蔵界(たいぞうかい)曼荼羅、左が金剛界(こんごうかい)曼荼羅です。曼荼羅には多くの仏さまが規則正しく配置され、荘厳な仏さまの集合図になっています。胎蔵界曼荼羅は、正しくは「大悲胎蔵生(だいひたいぞうしょう)曼荼羅」と言います。私たち衆生に対する仏さまの大きなあわれみの心を母胎として生み出されました》。


子嶋曼荼羅の複製品(銅板製・部分)

《金剛界曼荼羅の「金剛」とは、元々は雷やダイヤモンドのことですが、ここでは「仏の智慧」のこと、「界」とは「元要素」の意味ですので、金剛界曼荼羅「仏の智慧を原要素とする曼荼羅」です。これら一対の曼荼羅で、慈悲と智慧という仏さまの大きな二つの働きを表しているのです。曼荼羅の中では、すべての仏さまが緊密に連携してそれぞれの役割を果たし、慈悲と智慧が完成された世界を作り出しています》。


画像は「楽々はがき2009」。トップ画像とも

さて大黒天さまは、大和七福八宝の会のHPに《大黒天「財宝の福宝」 大黒天はもとはインドの戦いの神で強い力をお持ちです。日本において大国主命と神仏習合し、福徳の神となりました。金運の神として知られるとおり、財宝の徳を授けられます》とあるとおり、日本では「大黒天=大国主」で、豊穣・食物・財福を司る神さまとなり、トップ画像のように、米俵に乗り福袋と打出の小槌を持った「微笑の長者」の格好で表現される。



サッカーJリーグの大黒将志(おおぐろ・まさし)選手が、颯爽とゴールを決める姿に、スポーツ紙が「神さま 仏さま 大黒(だいこく)さま」という見出しを付けたことがあったが、それほど身近な神さまなのである。豊穣・財福の神さまである大黒さまは、商売の神さまである恵比寿さまと一緒に「恵比寿・大黒」と、一対で信仰されることも多い。ぜひ、おふさ観音の恵比寿さまとともに、今年の金運上昇をお願いしていただきたい。
コメント (2)
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