1/23(日)、大安寺(奈良市大安寺2-18-1)にお参りした。「癌封じ笹酒祭り」の名で知られる「光仁会(こうにんえ)」が営まれていたからである。お寺のHPによると《桓武天皇が文武百官を伴い、先帝光仁天皇の一周忌の齋会を大安寺で営まれたという『続日本紀』の故事により、毎年一月二十三日に光仁会が行われます。この法会は風雅な青竹づくしの祭儀で光仁天皇ゆかりの、「笹酒」の接待が行われます。「がん封じの笹酒」として、広く知られています》。

《光仁天皇は不遇な白壁王時代に、しばしば大安寺の竹林にて浄竹を伐り、酒を注いでお召しになり、中国の故事にいう「林間酒をあたためる」風流を催されて無病息災を保たれました。実に六十二歳という当時破格の高齢で帝位につかれ、七十三歳まで在位されたのです。この帝にあやかって悪病難病を封じ、健康に過ごそうと催されるのが笹酒祭りです。この日はがん封じの御祈祷と、笹酒の薬効が相俟って、御利益あらたかであり、遠近からの参詣者で境内はあふれます。古都奈良の新春の風物詩となる行事です》。

このお寺、今は境内敷地も狭くなり、伽藍も大半が失われたが、かつてはメガ大寺であった。Wikipedia「大安寺」によると《奈良市中心部にある高野山真言宗の仏教寺院。本尊は十一面観音。開基(創立者)は聖徳太子と伝える。南都七大寺の1つで、奈良時代(平城京)から平安時代前半は東大寺、興福寺と並ぶ大寺であった》《奈良時代の大安寺は東西2基の七重塔をはじめとする大伽藍を有し、東大寺、興福寺と並ぶ大寺院で、「南大寺」の別称があった。南都七大寺のなかでも、七重塔が建っていたのは東大寺と大安寺のみである》。

《奈良時代の大安寺には、東大寺大仏開眼の導師を務めたインド僧・菩提僊那をはじめ歴史上著名な僧が在籍し、日本仏教史上重要な役割を果たした寺院であった。しかし、平安時代以後は徐々に衰退し、寛仁元年(1017年)の火災で主要堂塔を焼失して以後は、かつての隆盛を回復することはなかった。現存する大安寺の堂宇はいずれも近世末~近代の再建であり、規模も著しく縮小している。奈良時代にさかのぼる遺品としては、8世紀末頃の制作と思われる木彫仏9体が残る》。

この日は正午頃にお寺に入ろうと、自宅から車を走らせたが、県道754号線(旧国道24号線)に入った途端、渋滞に巻き込まれた。特に754号から西に入る交差点付近が大混雑していた。自家用車に加え、近鉄・JR奈良駅から門前に向かう臨時バス、それに観光バスが加わって、車が動かないのだ。交差点からわずか500mほどの距離に、30分もかかってしまった(参拝の時間を朝早くにズラすか、路線バスに乗った「大安寺バス停」で降り、そこから約500m歩くのが最善の策だろう)。
ささ酒祭りには、約1万5000人が訪れたという。何しろ1/23という日が固定されているので、今年のように日曜日と重なると、大入りとなるのだ。1/23配信の奈良経済新聞《笹酒で無病息災祈願-大安寺で笹酒祭り》によると《大安寺(奈良市大安寺)で1月23日、がん封じに御利益があるとされる竹筒で温めた笹酒(ささざけ)を振る舞う「光仁会(こうにんえ)・笹酒祭り」が営まれ、無病息災を祈願する多くの参拝者でにぎわった》。

《奈良時代に光仁天皇が、同寺の竹で酒を飲み、長寿を保ったことに由来する新春恒例行事で、光仁天皇の命日に行われている。あでやかな晴れ着姿で酒を注ぐ「笹娘」は、藤影きもの専門学校(西大寺新田町)の生徒20人。長さ約1メートルの竹筒をたき火で温ため、竹の香りがほのかに漂う酒を口にして参拝者は頬を赤らめた。20年ほど前から毎年訪れているという東大阪市の女性(84)は「おいしかった。(笹酒で)健康を保っている」と笑顔を見せた》。ささ酒は、1升瓶換算で400本以上の地酒なのだそうだ。

500円を納めて竹の器をいただき、そこにささ酒を注いでもらう。私は車なので、アルコールの入っていない「ささ水」の方をいただいた。ほのかに青竹の香りがついていて、薬効がありそうだった。何しろ《竹は漢方薬にも竹瀝・竹茹・竹黄などにみられるように多様に使われ、現代薬学からみてもビタミンC・K・Eをはじめ、クロロフィルやカルシウムを含有しており、健康によいとされています》(お寺のHP)ということなので、お水でも大丈夫なのだ。お酒は、境内で販売されていたカップ酒(大安寺 長寿ささ酒)を買い、家でいただいた。

毎年参拝されている人も多い。例えば《20年近く、毎年参拝しているという京都府城陽市の長宗慶典さん(82)は、6年前に大腸がんの手術を受けたが、術後の経過は順調。「転移もなく元気で暮らせているのは大安寺さんのおかげです」と話した》(朝日新聞奈良版1/24付)。 通常、本堂や宝物館(収蔵庫)にお参りするには、通常400円の拝観料が必要だが、この日は無料で開放されていた。本堂ではお坊さん、宝物館では南都銀行OBがガイド役になって説明までしてくれた。
カレンダーを見ると、来年(12年)の1/23は月曜日なので、今年ほどの混雑はなさそうである。健康長寿のご利益のある「癌封じ笹酒祭り」、ぜひお参りいただきたい。

《光仁天皇は不遇な白壁王時代に、しばしば大安寺の竹林にて浄竹を伐り、酒を注いでお召しになり、中国の故事にいう「林間酒をあたためる」風流を催されて無病息災を保たれました。実に六十二歳という当時破格の高齢で帝位につかれ、七十三歳まで在位されたのです。この帝にあやかって悪病難病を封じ、健康に過ごそうと催されるのが笹酒祭りです。この日はがん封じの御祈祷と、笹酒の薬効が相俟って、御利益あらたかであり、遠近からの参詣者で境内はあふれます。古都奈良の新春の風物詩となる行事です》。

このお寺、今は境内敷地も狭くなり、伽藍も大半が失われたが、かつてはメガ大寺であった。Wikipedia「大安寺」によると《奈良市中心部にある高野山真言宗の仏教寺院。本尊は十一面観音。開基(創立者)は聖徳太子と伝える。南都七大寺の1つで、奈良時代(平城京)から平安時代前半は東大寺、興福寺と並ぶ大寺であった》《奈良時代の大安寺は東西2基の七重塔をはじめとする大伽藍を有し、東大寺、興福寺と並ぶ大寺院で、「南大寺」の別称があった。南都七大寺のなかでも、七重塔が建っていたのは東大寺と大安寺のみである》。

《奈良時代の大安寺には、東大寺大仏開眼の導師を務めたインド僧・菩提僊那をはじめ歴史上著名な僧が在籍し、日本仏教史上重要な役割を果たした寺院であった。しかし、平安時代以後は徐々に衰退し、寛仁元年(1017年)の火災で主要堂塔を焼失して以後は、かつての隆盛を回復することはなかった。現存する大安寺の堂宇はいずれも近世末~近代の再建であり、規模も著しく縮小している。奈良時代にさかのぼる遺品としては、8世紀末頃の制作と思われる木彫仏9体が残る》。

この日は正午頃にお寺に入ろうと、自宅から車を走らせたが、県道754号線(旧国道24号線)に入った途端、渋滞に巻き込まれた。特に754号から西に入る交差点付近が大混雑していた。自家用車に加え、近鉄・JR奈良駅から門前に向かう臨時バス、それに観光バスが加わって、車が動かないのだ。交差点からわずか500mほどの距離に、30分もかかってしまった(参拝の時間を朝早くにズラすか、路線バスに乗った「大安寺バス停」で降り、そこから約500m歩くのが最善の策だろう)。
ささ酒祭りには、約1万5000人が訪れたという。何しろ1/23という日が固定されているので、今年のように日曜日と重なると、大入りとなるのだ。1/23配信の奈良経済新聞《笹酒で無病息災祈願-大安寺で笹酒祭り》によると《大安寺(奈良市大安寺)で1月23日、がん封じに御利益があるとされる竹筒で温めた笹酒(ささざけ)を振る舞う「光仁会(こうにんえ)・笹酒祭り」が営まれ、無病息災を祈願する多くの参拝者でにぎわった》。

《奈良時代に光仁天皇が、同寺の竹で酒を飲み、長寿を保ったことに由来する新春恒例行事で、光仁天皇の命日に行われている。あでやかな晴れ着姿で酒を注ぐ「笹娘」は、藤影きもの専門学校(西大寺新田町)の生徒20人。長さ約1メートルの竹筒をたき火で温ため、竹の香りがほのかに漂う酒を口にして参拝者は頬を赤らめた。20年ほど前から毎年訪れているという東大阪市の女性(84)は「おいしかった。(笹酒で)健康を保っている」と笑顔を見せた》。ささ酒は、1升瓶換算で400本以上の地酒なのだそうだ。

500円を納めて竹の器をいただき、そこにささ酒を注いでもらう。私は車なので、アルコールの入っていない「ささ水」の方をいただいた。ほのかに青竹の香りがついていて、薬効がありそうだった。何しろ《竹は漢方薬にも竹瀝・竹茹・竹黄などにみられるように多様に使われ、現代薬学からみてもビタミンC・K・Eをはじめ、クロロフィルやカルシウムを含有しており、健康によいとされています》(お寺のHP)ということなので、お水でも大丈夫なのだ。お酒は、境内で販売されていたカップ酒(大安寺 長寿ささ酒)を買い、家でいただいた。

毎年参拝されている人も多い。例えば《20年近く、毎年参拝しているという京都府城陽市の長宗慶典さん(82)は、6年前に大腸がんの手術を受けたが、術後の経過は順調。「転移もなく元気で暮らせているのは大安寺さんのおかげです」と話した》(朝日新聞奈良版1/24付)。 通常、本堂や宝物館(収蔵庫)にお参りするには、通常400円の拝観料が必要だが、この日は無料で開放されていた。本堂ではお坊さん、宝物館では南都銀行OBがガイド役になって説明までしてくれた。
カレンダーを見ると、来年(12年)の1/23は月曜日なので、今年ほどの混雑はなさそうである。健康長寿のご利益のある「癌封じ笹酒祭り」、ぜひお参りいただきたい。