tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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結崎ネブカが、メディアに続々登場!

2011年01月25日 | 奈良にこだわる
「JAならけん結崎(ゆうざき)ネブカ生産部会」(奈良県磯城郡川西町結崎)が発行する「結崎ネブカだより」第2号(11年1月発行)を拝読した。創刊号(=トップ写真)は10年11月の発行だったから、隔月刊だ。これは力が入っている。創刊号の目次は「第1話 『結崎ネブカ』とは」「第2話 伝説」「第3話 『結崎ネブカ』農家訪問」「第4話 『結崎ネブカうどん』」だった(創刊号は川西町のHPでも読める)。この第4話に登場するのが、先日当ブログで紹介した「手づくりうどん 実ノ吉」の結崎ネブカうどんであった。

第2号には、特集記事「メディアの取材増加中!」が掲載されている。読売新聞、奈良日日新聞、あかい奈良、NHKラジオ、日経グローカルなどに取り上げられたのだ。読売新聞は、奈良版(10.12.19付)の《大和野菜売り込め…奈良 ネット販売/直売所/食べ方発信》で、他の大和野菜とともに紹介されている。

《川西町吐田の農業宇野正増さん(81)らは今が旬のネギ「結崎ネブカ」による「町おこし」に取り組む。煮炊きに使うと柔らかさと甘みが際立つが、折れやすく日持ちしないことから、元々は自宅用に細々と栽培していた。宇野さんらが02年から、「地域の味をもっと多くの人に伝えたい」とPRし、最近は毎年約15トンを出荷するまでに急成長。各地のスーパーや直売店でも販売されており、宇野さんは「こんなに広がるとは驚いている。一度食べると必ずまた買ってもらえる」と喜ぶ》。

写真は大和野菜のHPより拝借

日経グローカルでは「ブランドのつくり方」欄(10.11.15号)に取り上げられた。なお日経グローカルとは《日本経済新聞社の調査研究部門、産業地域研究所が月2回発行している地域情報の専門誌です。日経の独自調査による自治体・地域の動向分析や国内外の先進事例、また、議会・議員活動をサポートする実戦的なノウハウやヒントなど、自治体経営、議会・議員活動に役立つ情報を提供しています》(同誌のHP)というニューズレターである(「日経地域情報」を改題)。

早速、同僚から同誌を借りて読んでみたが、これまでの経緯から現在の取り組みまで、うまくまとめて紹介されている(執筆者は、日経新聞奈良支局長の竹内義治氏)。その一部を引用させていただく。タイトルは《戦後姿を消した「幻のネギ」 商工会・JAの連携で復活》だ。味は良いが市場流通に適さないことから姿を消していたこのネギ。《復活の端緒は、2002年に同町商工会が町おこしにむけて、国の助成を受けて取り組んだ「地域資源調査事業」だった》。

《行政やJAなどと設置した委員会では、地域活性化の主役候補に3案が挙がった。地場産業の「貝ボタン」、町内にある古墳などの「歴史遺産」、そして結崎ネブカ。その中でネブカが選抜され重責を担うことになったのは「何より物語性にあふれているから」と、コーディネーターを務めた梅屋則夫・梅屋プロジェクト代表が説明する》《梅屋さんは「ベッドタウン化が進む都市近郊の農業地帯で、新旧の住民が1つになる仕掛けはないか探した。ロマンあふれるネブカはぴったりだった」と選択の理由を明らかにする》。

川西町は、日本一の貝ボタンの生産地で、同町の(株)トモイは、国内最大の貝ボタンメーカーである。「三原康裕的日本モノづくり」によると《貝ボタンは、洋装とともに明治初期の日本に伝えられた。その製造技術はまずドイツから神戸に渡り、大阪河内を経て奈良に伝わったという。農作地だった川西町の集落である唐院では農閑期の収入源として広まり、戦後から10年あまりの最盛期にはじつに全300世帯中200世帯が貝ボタン製造に携わっていたそうだ。安価な中国製やポリエステルボタンに逼迫され、現在では工場も減ってしまったが、なかでもいまだ国内シェア約7割を誇っているのが、こんかい三原さんが訪れた大正2年(1913年)創業の老舗貝ボタン工場「トモイ」だ》とある。

町内の歴史的遺産としては、 島ノ山古墳(周濠の中に浮かんだ島のような大型前方後円墳。130点余りの石製品が出土し被葬者は巫女とも)、糸井神社(機織り技術集団の神)、比売久波(ひめくわ)神社(ご神体は桑葉で、糸井神社に縁故)、面塚、富貴寺などがある。

「ブランドのつくり方」に戻る。《宇野さんから提供を受けた種子を栽培したところ、それはまさにネブカ。03年9月、記者発表すると「幻のネギ復活」と大きな反響があった。「各地の飲食店や流通業者から問い合わせや引き合いが相次いだ」と、同町商工会でプロジェクトに取り組んだ吉岡清訓さん(現在は中和地区商工会広域協議会の経営指導員)は振り返る》《「地元向けに開いた試食会でも好評で、『売れる』との声が強く、本格生産を目指すことになった」(吉岡さん)》。

ロゴマークとマスコットキャラクター「ネッピー」をデザインし、早々に商標登録した。08年には町内各種団体による「結崎ネブカブランド化実行委員会」が発足。特許庁の「地域団体商標」にも登録を果たした。《販売戦略では「飲食店への供給を拡大すべきだ。価格安定やコスト削減、PRの面で有利になる」との意見もある。ブランド管理体制の構築も急務だ。ただ、こうした声は期待の大きさの裏返しでもある。「21品目ある大和野菜でも優等生。例えば日持ちしない欠点も、逆手にとれば『奈良に来ないと食べられない特産品』として観光振興の武器になる」。奈良県中部農林振興事務所の岡本彩子主査は強調する》。

面白いことに、この「ブランドのつくり方」の書き手の竹内氏に、「結崎ネブカだより」の編集者が「逆」インタビューしている。《Q.今回の取材で特に印象的なことは?》《“天から降ってきた能面と一束のネギが発祥”というのはインパクトが強く、発掘の発端が「商工会」だったという意外性などもおもしろい。いまの「農商工連携」の先駆け》。


写真は大和野菜のHPより拝借

《Q.今後の課題は?》《一定量は流通させないと。そのためには“必ずここへ行けば購入出来る”という場の確保は絶対的な条件。そしてブランド管理、流通チャネルを含め産地として徹底的に取り組む。例えば生産量が問題になるなら、ほ場を磯城郡一帯など町外に広げたり、販路拡大を図ることにより生産者に刺激を与え、生産量の増加を狙う仕組みが必要でしょう》。竹内氏はこのほか、《地域に眠っている素材はいっぱいある。その土地に根ざした食べ物を『結崎ネブカ』のように発掘できれば、とも話しておられました》。

やはり最大の課題は「流通」なのだ。生産体制も、町内だけでは限界があるのは見えているのだから、今から手を打っておかなければならない。最後の、「地域に眠っている素材はいっぱいある」との言葉にも、納得できる。大和野菜だけでも、21品目あるのだから。

結崎ネブカを含む「大和野菜」、最近は躍進が著しい。09年2月、私は県農林部の「食」に関する講演会に招かれて、こんな話をした。「大和野菜は京野菜のルーツといわれている。それなのに、つい先日Googleで検索すると、京野菜のヒット件数728,000件に対し、大和野菜は7,200件。わずか101分の1という情けない状態だ。大和野菜、もっとガンバレ」。ところが、それから約2年が経過し、先日、再検索をかけてみると、京野菜1,200,000件に対し、大和野菜は1,210,000件と、逆に0.8%上回っていたのだ、これはスゴい。たった2年で167倍(!)に増えた計算になる。

「結崎ネブカだより」から、ずいぶん話が広がってしまった。次号も楽しみにしている。そういえば「結崎ネブカ」がNHKテレビの「おはよう関西」で取り上げられると聞いた(生出演)。2月3日(木)の午前7時45分からの放送である。皆さん、こちらも、ぜひご覧下さい!
コメント (2)
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