「可否茶座(コーヒーちゃざ)アカダマ」(大槻旭彦マスター 奈良市小西町2-2 2階)をご存じだろうか。昭和29年の創業で、奈良で最も古いコーヒー店として知られる。山小屋風というか、昭和レトロ調のお店である。ニニ・ロッソ(トランペット奏者)曰く、「アカダマのコーヒーは世界一」。そんな老舗が、この12月で閉店されるという。閉店のことは、あまりメディアに伝わっていないようで、私の知る限りでは、8/2(火) 15:00~15:30、「ならどっとFM」が、マスターの大槻旭彦さんに生インタビューしていたのが唯一の例外である。録音を聞かせていただいたところ、お店の歴史からマスターの幅広いご趣味まで、大変興味深い内容であった。
お店の歴史は同店のHPに詳しく紹介されているので、かいつまんで引用する。《アカダマは、今のマスター(大槻旭彦さん)の祖父が昭和3年に奈良で2番目となる薬局を開いたのが最初です》《薬局の片隅で父(大槻陸朗さん)が昭和29年にコーヒースタンドを、そして昭和32年には、奈良で最初の本格的コーヒー店を始めました。その後昭和40年に東向から現在の小西町に場所を移しました》。

最初はコーヒー好きの陸朗さんが、薬局(東向商店街・現コトモールの場所)に来られる常連客にコーヒーを出していたのだそうだ。それが美味しいと評判になって、奈良初のコーヒー店が誕生することになったという。《現マスターは昭和47年に2代目として店を引き継ぎ、昭和50年に2階に奈良で最初の紅茶専門店を併設しました。平成2年にはアカダマを2階のみにしてコーヒー、紅茶の店として再スタートして現在に至っています》。旭彦さんは奈良県下でただ1人、コーヒーマイスターの資格を持つ。またお店は日本紅茶協会の「おいしい紅茶の店」(県下では2か店のみ)に選ばれている。
《開店以来50有余年、初期には他にコーヒー店もないということで東京から来る著名な人も多く来店しました。春日大社宮司の水谷川忠麿氏、東大寺別当上司海雲氏、長老狭川明俊氏、薬師寺の橋本堯胤氏、唐招提寺の森本考順氏、元興寺辻村泰円氏、朝日新聞の吉村正一郎氏、文化財研究所の坪井清足氏、毎日新聞の青山茂氏などなどが参集し、あたかも奈良の文化人のサロン的存在でした》。

《開店にあたっては、一灯園の末広木魚氏のアドバイスをいただき、長谷川伸先生にも励ましの言葉も暖簾としていただいています。また、店の看板は書家の今井凌雪氏、東大寺の北河原公典氏にもいただいています。他にも芥川賞作家の森敦氏にも大変愛されました。その他多くの著名人が来店しています。変わったところではトランペット奏者のニニ・ロッソ氏にも世界一のコーヒーだと褒めてもらいました。ご来店、お待ちしております》。大のコーヒー党の故司馬遼太郎氏、映画監督の井筒和幸氏(奈良県出身)、女優の綾瀬はるかさんもお店に来られたという。

階段の上から見下ろしたところ
大槻旭彦さんは「アカダマブログ」も作っておられる。飄々(ひょうひょう)とした書きっぷりの面白いブログである。そのブログの09.7.24付に《毎日新聞の奈良版に、私のことがでかでかと載っています。一応うそはないのですが、自慢げに言ったことがそのまま載っていて、この記事を見た人は、なんて嫌なやつと思われるでしょうね。記事を見て後悔に苛まれています》という記事が載っていた。毎日の「やまと人模様」には、特に自慢話というわけではなく、大槻さんの人となりが詳しく紹介されているので、一部を引用させていただく。見出しは《多彩な顔持つ「歴史好き」 難関の奈良検定合格、雅楽やかるたでも活躍》だ。

《おおつき・てるひこ 1945年生まれ 同志社大を卒業後、6年間の商社勤務を経て、喫茶店のマスターとなる。91年から県かるた協会の会長になり、かるた文化の普及にも努めている》。奈良県かるた協会の会長職は、今年に入って退かれた。《大槻さんは28歳で喫茶店を継ぐまで、商社で中国貿易を担当し、繊維やクリ、バドミントンのラケットなど中国との貿易を手広く担当していた》《喫茶店に用意しているメニューには思い入れがある。例えば「シルクロードコーヒー」。客から「奈良らしいコーヒーはないか」と聞かれて考え出した》。

このシルクロードコーヒーが面白い。ヒマラヤ原産の豆にナツメグを加え、ヒマラヤ山脈の雪に見立てたホイップクリームを乗せ、チャイ(インドのミルクティー)風に仕上げたコーヒーである。《奈良で味わえる1杯のコーヒーに、シルクロードを西から東へたどるロマンを溶け込ませた。紅茶も茶葉を30種類以上用意するこだわりようだ》。このほか、大槻さんが雅楽の「南都楽所(がくそ)」の一員だったことや、「奈良まほろばソムリエ」の資格を持つことなど(現在は「奈良まほろばソムリエ友の会」役員)、さまざまな「顔」が紹介されている。さらに今は、奈良大学通信教育部(文学部文化財歴史学科)で勉強されている。

天井の梁(はり)。松の自然な曲がりをそのまま利用している
ブログには、週に1~2日のペースで、ほのぼのとした記事がつづられる。「旅行から帰りました」(8/3付)では《いや~孫と遊ぶのは疲れます。もうへとへとです。帰って早々昨日はならどっとFMにでました。失礼だけど多分ほとんど聞く人もいないだろうと、気楽に出演しました。少し打ち合わせをしただけで即、生本番、30分のトークでした。それなりに緊張はしましたが、自己評価としてはまずまずです》。
《あさっては、初めての奈良大学の試験です。一応答案は纏めましたが、10問分解答を後2日で暗記しなければなりません。自信はないですが、誰も助けてくれるわけではないし、頑張るしかありません。それにしても、1度土日を休むと2週間店を休みました。このまま店を閉めてしまいたい心境です》。

そして試験翌日のブログ「試験」(8/6付)。《通信制の奈良大学の初めての試験を、昨日受けてきました。出だしから、予定していたバスが、学校が夏休み中は運行していなくて、次のバスは1時間後。土砂降りの雨とむせ返るような湿度の中、20分ばかり歩く羽目に、学校へ着いたら汗びっしょり》。タクシーに乗らず、雨の中を歩き通すところが、また大槻流である。
《そして試験は、1番勉強していない部分が出ました。4世紀のギリシャとアテナイの民主制について。10問分の解答を考えて、それを暗記していかなければならなったのですが、孫との旅行とかで浮かれてろくに勉強せず、何とかなるだろうでは、なんともなりませんでした。レポートが後4つ合格しているので、後4回試験を受けます。前途多難です。ちなみに科目は、シルクロード学、民俗学、平安文学論、歴史文学論。8月いっぱい試験漬けの毎日です》。

これは珍しい手回しの焙煎機。「ご家庭ではともかく、喫茶店で手回し
の機械を使っているのは、ウチくらいのものでしょうね」と大槻さん
大槻さんがHPとブログにお店の閉店について書かれたのは、今年の2月のことだった。HPには《お知らせ 60年近くに亘り御愛顧賜りありがとうございました。アカダマは本年(2011年)12月をもって営業を終了いたします。4月よりは土、日、月及び祝日のみの営業になります。ご不便をおかけしますがよろしく御了承のほどお願い申し上げます》。

ブログには《閉店のお知らせ 今日ホームページの方にも今年で閉店する旨を書き込みました。こうして、少しづつ周知していく方法を取ったのですが、これで良かったかどうかはわかりません。でもいきなり閉めるよりは、こうして余裕を持って知らせた方が良いのかなとおもいました》。
《4月からは週3日の営業。凄い変則ですが、じょじょに消えていく感じにしたかったので、この段階を作りました。こうして勝手ばっかりで申し訳ありませんが、言い訳で、大学を卒業以来丸45年働いてきました。ここらで、仕事は一区切りをつけさせてもらっても罰は当たらないのではないかなと思っています》。
豆をひと粒ずつ選り分け、手で焙煎し、1杯ずつサイフォンで点(た)てるアカダマのブレンドコーヒーの味は、京都・堺町三条の「イノダコーヒ」の味を彷彿させる。香り高いコーヒーに、私はいつもミルクと砂糖を入れていただいている。
バシッと日を区切って閉めるのではなく、徐々にフェードアウトしていくところが、いかにも大槻さんらしい。閉店まであと4か月、私もせいぜい利用させていただきたい。皆さん、ぜひお訪ねください!
※土・日・月のみの営業(10:00~19:00)なのでご注意を。地図はこちらに載っている。可否茶座アカダマを紹介した雑誌記事などは、こちら
お店の歴史は同店のHPに詳しく紹介されているので、かいつまんで引用する。《アカダマは、今のマスター(大槻旭彦さん)の祖父が昭和3年に奈良で2番目となる薬局を開いたのが最初です》《薬局の片隅で父(大槻陸朗さん)が昭和29年にコーヒースタンドを、そして昭和32年には、奈良で最初の本格的コーヒー店を始めました。その後昭和40年に東向から現在の小西町に場所を移しました》。

最初はコーヒー好きの陸朗さんが、薬局(東向商店街・現コトモールの場所)に来られる常連客にコーヒーを出していたのだそうだ。それが美味しいと評判になって、奈良初のコーヒー店が誕生することになったという。《現マスターは昭和47年に2代目として店を引き継ぎ、昭和50年に2階に奈良で最初の紅茶専門店を併設しました。平成2年にはアカダマを2階のみにしてコーヒー、紅茶の店として再スタートして現在に至っています》。旭彦さんは奈良県下でただ1人、コーヒーマイスターの資格を持つ。またお店は日本紅茶協会の「おいしい紅茶の店」(県下では2か店のみ)に選ばれている。
《開店以来50有余年、初期には他にコーヒー店もないということで東京から来る著名な人も多く来店しました。春日大社宮司の水谷川忠麿氏、東大寺別当上司海雲氏、長老狭川明俊氏、薬師寺の橋本堯胤氏、唐招提寺の森本考順氏、元興寺辻村泰円氏、朝日新聞の吉村正一郎氏、文化財研究所の坪井清足氏、毎日新聞の青山茂氏などなどが参集し、あたかも奈良の文化人のサロン的存在でした》。

《開店にあたっては、一灯園の末広木魚氏のアドバイスをいただき、長谷川伸先生にも励ましの言葉も暖簾としていただいています。また、店の看板は書家の今井凌雪氏、東大寺の北河原公典氏にもいただいています。他にも芥川賞作家の森敦氏にも大変愛されました。その他多くの著名人が来店しています。変わったところではトランペット奏者のニニ・ロッソ氏にも世界一のコーヒーだと褒めてもらいました。ご来店、お待ちしております》。大のコーヒー党の故司馬遼太郎氏、映画監督の井筒和幸氏(奈良県出身)、女優の綾瀬はるかさんもお店に来られたという。

階段の上から見下ろしたところ
大槻旭彦さんは「アカダマブログ」も作っておられる。飄々(ひょうひょう)とした書きっぷりの面白いブログである。そのブログの09.7.24付に《毎日新聞の奈良版に、私のことがでかでかと載っています。一応うそはないのですが、自慢げに言ったことがそのまま載っていて、この記事を見た人は、なんて嫌なやつと思われるでしょうね。記事を見て後悔に苛まれています》という記事が載っていた。毎日の「やまと人模様」には、特に自慢話というわけではなく、大槻さんの人となりが詳しく紹介されているので、一部を引用させていただく。見出しは《多彩な顔持つ「歴史好き」 難関の奈良検定合格、雅楽やかるたでも活躍》だ。

《おおつき・てるひこ 1945年生まれ 同志社大を卒業後、6年間の商社勤務を経て、喫茶店のマスターとなる。91年から県かるた協会の会長になり、かるた文化の普及にも努めている》。奈良県かるた協会の会長職は、今年に入って退かれた。《大槻さんは28歳で喫茶店を継ぐまで、商社で中国貿易を担当し、繊維やクリ、バドミントンのラケットなど中国との貿易を手広く担当していた》《喫茶店に用意しているメニューには思い入れがある。例えば「シルクロードコーヒー」。客から「奈良らしいコーヒーはないか」と聞かれて考え出した》。

このシルクロードコーヒーが面白い。ヒマラヤ原産の豆にナツメグを加え、ヒマラヤ山脈の雪に見立てたホイップクリームを乗せ、チャイ(インドのミルクティー)風に仕上げたコーヒーである。《奈良で味わえる1杯のコーヒーに、シルクロードを西から東へたどるロマンを溶け込ませた。紅茶も茶葉を30種類以上用意するこだわりようだ》。このほか、大槻さんが雅楽の「南都楽所(がくそ)」の一員だったことや、「奈良まほろばソムリエ」の資格を持つことなど(現在は「奈良まほろばソムリエ友の会」役員)、さまざまな「顔」が紹介されている。さらに今は、奈良大学通信教育部(文学部文化財歴史学科)で勉強されている。

天井の梁(はり)。松の自然な曲がりをそのまま利用している
ブログには、週に1~2日のペースで、ほのぼのとした記事がつづられる。「旅行から帰りました」(8/3付)では《いや~孫と遊ぶのは疲れます。もうへとへとです。帰って早々昨日はならどっとFMにでました。失礼だけど多分ほとんど聞く人もいないだろうと、気楽に出演しました。少し打ち合わせをしただけで即、生本番、30分のトークでした。それなりに緊張はしましたが、自己評価としてはまずまずです》。
《あさっては、初めての奈良大学の試験です。一応答案は纏めましたが、10問分解答を後2日で暗記しなければなりません。自信はないですが、誰も助けてくれるわけではないし、頑張るしかありません。それにしても、1度土日を休むと2週間店を休みました。このまま店を閉めてしまいたい心境です》。

そして試験翌日のブログ「試験」(8/6付)。《通信制の奈良大学の初めての試験を、昨日受けてきました。出だしから、予定していたバスが、学校が夏休み中は運行していなくて、次のバスは1時間後。土砂降りの雨とむせ返るような湿度の中、20分ばかり歩く羽目に、学校へ着いたら汗びっしょり》。タクシーに乗らず、雨の中を歩き通すところが、また大槻流である。
《そして試験は、1番勉強していない部分が出ました。4世紀のギリシャとアテナイの民主制について。10問分の解答を考えて、それを暗記していかなければならなったのですが、孫との旅行とかで浮かれてろくに勉強せず、何とかなるだろうでは、なんともなりませんでした。レポートが後4つ合格しているので、後4回試験を受けます。前途多難です。ちなみに科目は、シルクロード学、民俗学、平安文学論、歴史文学論。8月いっぱい試験漬けの毎日です》。

これは珍しい手回しの焙煎機。「ご家庭ではともかく、喫茶店で手回し
の機械を使っているのは、ウチくらいのものでしょうね」と大槻さん
大槻さんがHPとブログにお店の閉店について書かれたのは、今年の2月のことだった。HPには《お知らせ 60年近くに亘り御愛顧賜りありがとうございました。アカダマは本年(2011年)12月をもって営業を終了いたします。4月よりは土、日、月及び祝日のみの営業になります。ご不便をおかけしますがよろしく御了承のほどお願い申し上げます》。

ブログには《閉店のお知らせ 今日ホームページの方にも今年で閉店する旨を書き込みました。こうして、少しづつ周知していく方法を取ったのですが、これで良かったかどうかはわかりません。でもいきなり閉めるよりは、こうして余裕を持って知らせた方が良いのかなとおもいました》。
《4月からは週3日の営業。凄い変則ですが、じょじょに消えていく感じにしたかったので、この段階を作りました。こうして勝手ばっかりで申し訳ありませんが、言い訳で、大学を卒業以来丸45年働いてきました。ここらで、仕事は一区切りをつけさせてもらっても罰は当たらないのではないかなと思っています》。
豆をひと粒ずつ選り分け、手で焙煎し、1杯ずつサイフォンで点(た)てるアカダマのブレンドコーヒーの味は、京都・堺町三条の「イノダコーヒ」の味を彷彿させる。香り高いコーヒーに、私はいつもミルクと砂糖を入れていただいている。
バシッと日を区切って閉めるのではなく、徐々にフェードアウトしていくところが、いかにも大槻さんらしい。閉店まであと4か月、私もせいぜい利用させていただきたい。皆さん、ぜひお訪ねください!
※土・日・月のみの営業(10:00~19:00)なのでご注意を。地図はこちらに載っている。可否茶座アカダマを紹介した雑誌記事などは、こちら