![]() | 浜 矩子の「新しい経済学」 グローバル市民主義の薦め(角川SSC新書) |
浜 矩子 | |
角川SSコミュニケーションズ |
毎週日曜日、毎日新聞に「時代の風」というオピニオン欄が載る。昨日(8/7付)の執筆者は同志社大学教授の浜矩子さんで、タイトルは《ファウスト化する日本 「目指すは老楽(おいらく)国家」》だった。出だしの一文は《ドイツ文学のおなじみのキャラクターに、ファウストという人物がいる。筆者には、どうも、今の日本がファウストに見えて仕方がない》。
少し説明を加える。Wikipedia「ファウスト」によると《15世紀から16世紀頃のドイツに実在したと言われるドクトル・ファウストゥスの伝説を下敷きにして、ゲーテがほぼその一生をかけて完成した大作(戯曲)である。このファウスト博士は、錬金術や占星術を使う黒魔術師であるという噂に包まれ、悪魔と契約して最後には魂を奪われ体を四散されたという奇怪な伝説、風聞がささやかれていた》。
毎日新聞に戻る。以下、太字は私がつけた。《ファウストは悪魔に永遠の若さをおねだりする。いくら知識が深まり、賢さが高まり、見識が深まっても、若き血潮が萎えてしまえば何にもならない。いつも若くて、いつも元気で、いつも活力に満ちていたい。そのためなら、魂などは喜んで悪魔に引き渡す。このファウストの姿が、日本の現状と重なる。失われた若さの夢よ、もう一度。かつてのハングリー精神を取り戻したい。頭でっかちとなった人口ピラミッドを、何とかまともなピラミッド型にもどせないものなのか。そして、再び一番になりたい》。
《威勢のいい新興勢が、どんどん日本を追い抜いていく。日本が世界に誇るモノづくりパワーも、急激な円高進行で風前のともしびだ。こんな調子では、日本は世界の尊敬も関心も失う。このままでは、日本が地球儀の上から消えてなくなってしまうのじゃなかろうか。ああ、何とか再びナンバーワンになりたい。この種の嘆き節を、最近あちこちで耳にする。その気持ちは分かる。輸出企業や輸入競合企業にとって、確かに失われた若さは死活問題に直結する面がある。焦りも恐怖も、もっともな条件反射だ。だが、過ぎ去った昔に思いをはせて悲嘆に暮れていてもどうにもならない。過去を懐かしく思い浮かべることは素晴らしいことだ。だが、それが今の全否定になったのでは、本末転倒だ。古い夢ばかり追いかけていることは、新しい夢の追求の邪魔になる》。
《中国に追い抜かれたことがそんなに悔しいか。あちらは育ち盛りの伸び盛りだ。成熟大国を育ち力レースで追い抜いていくのは当たり前のことだ。今の中国は、いわば体の大きい不世出の天才子役だ。その天賦の才には、誰もが瞠目(どうもく)するほかはない。だが、天才子役が大人の名優に育っていくことは、とても大変だ。その厳しい軌道の乗り換えを、彼らは果たして首尾よく達成できるか。これからの中国に問われているものは重い。大人になることは、実に大いなるチャレンジだ。そのチャレンジの時期を、日本は既に通過してきた。もう立派過ぎるくらい大人になっている。そのことを、もっと味わう姿勢があっていいと思う。永遠の若者は永遠に大人になれない。それは何と悲劇的なことか》。
![]() | 桂文珍14「胴乱の幸助」「老楽風呂」 |
桂 文珍 | |
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル |
《愛嬌(あいきょう)と知性にあふれた落語家の桂文珍師匠が、演目の中に「老楽(おいらく)風呂」というのを持っている。グローバル時代の窓際人生に疲れ切った中年サラリーマンが、逃げるように定時退社して、お風呂屋さんに行く。銭湯に付き物なのがビーナスの像とか口からお湯を吐き出すライオンの首だが、この風呂屋には、ロダンの考える人のレプリカがある。と思ったら、それはお風呂の縁に腰掛ける一人の生身のおじいさんだった。お疲れサラリーマンは、このおじいさんから老楽の妙のさまざまを教えてもらう。老いは楽し。老いは楽だ。老いはすてきだ。老楽の世界は、まさしく考える人の世界だ。貴重な教えの数々を得て、中年サラリーマンは少し元気になってゆっくりゆったり風呂を出る》。
《日本も、老楽国家を目指せばいいと思う。その意味で、今の日本は意識するライバルを間違っている。競争相手は中国やインドやベトナムではない。意識すべきは、既に実績を積んでいるベテラン老楽国家たちだ。典型的にはイギリスだ。イタリアもそうだ。イギリスの過去には「パックス・ブリタニカ」がある。イタリアのルーツをたどれば、少々さかのぼり過ぎではあるが、「パックス・ロマーナ」に逢着(ほうちゃく)する。かつてのいかなる老楽国家にも勝る英知と洒脱(しゃだつ)をもって、ナンバーワンを超えていく。悪魔の謀略にひっかからない本当の知恵者となる。それを、老楽風呂の考える人が我々に呼びかけている》。
文珍の「老楽風呂」のあらすじは、こちらに出ている。オチの部分を引用すると
「情報化時代といわれて……」
「いろいろなことを知っても役に立たない。モスクワの天気を知っても仕方がない。それなら、かみさんの機嫌を知った方がよほど役に立つ」
「なるほど」
「分かりましたか」
「はい」
「まだ分かっていない。そう言うときは、何でしたかいな……と答えるのや」
「なるほど……今日はええ話を聞かしてもらいました。今までたまっていたものが消えて、ふわーっと楽になりましたわ。じゃあ、お先に」
「ああ、私も色々話をして楽しかったわ。またここでお会いしましょう。私の顔、覚えなはったか」
「……ええ、誰でしたかいな……」
「ああ……ええ年寄りや」
![]() | 「通貨」を知れば世界が読める (PHPビジネス新書) |
浜 矩子 | |
PHP研究所 |
浜矩子さんはよくテレビで拝見しているし、奈良で講演をお聞きしたこともある。昨日(8/7)の「時事放談」(TBS系)では「世界同時財政恐慌の危機が広がりつつある」と、警鐘を鳴らしていた。以前この番組(6/12)で、「総理大臣に求められる資質は」と問われて、「総理の条件は、“ドン・キホーテ”であること」と答えておられた。《ドン・キホーテについては、3つ特徴づけられますけれども、それは、1にピュアであること、2に下心がないこと、3に失いたくないものが何もないこと、この3つです》というココロで、これには納得させられた。
浜さんはズバリの直言を身上とされているので、「老楽国家を目指せ」は逆説でも自棄(やけ)っぱちでもなく、ホンネだろう。「日本にはインテリはいても、ジェントルマンはいない」と言われることがある。「英知と洒脱をもって、ナンバーワンを超えていく。悪魔の謀略にひっかからない本当の知恵者となる」ことはナローパス(隘路)ではあるが、可能性はある。時には「ええ、何でしたかいな……」と身をかわすような、横丁のご隠居の知恵を持つことは必要である。聞き慣れた「成熟国家」「文化国家」ではなく、落語をヒントに「老楽国家」と名付けるところが、浜さんのセンスである。
よく「20年も続いた“低迷”は、もはや低迷とは言わない。低迷前の物差しで判断してはいけない」と言われる。日本はすでにチャレンジの時期を通過し、安定期に入っているのだ。中国に追い抜かれたことが、なぜそんなに悔しいのか。いつまでもGDP成長を追いかけるのではなく、今まで等閑視してきた景観保全のような文化面にもっと目を向け、成熟した文化国家をめざすべきである。