帯解寺(おびとけでら 奈良市今市町734)で、今日から11/13(日)まで、「秘宝・秘仏特別開帳」が行われる。お寺のHPによると《秘仏である仏像仏画をはじめ、お寺に伝わる書画を一堂に展示いたします。2011年度は11/5~11/13までの期間中、毎日9時~16時まで開催致しております。拝観料は大人1人500円です》。1階と2階の2つの部屋を使って、多くの寺宝などがお披露目される。期間中は、「ナント・なら応援団」や「南都古社寺研鑽会」のメンバーがガイドを行う。昨年も同様の展示が行われ、好評を博したため、今年も継続実施されることになったものである。
※写真は、11/4に行われた「ナント・なら応援団」向け説明会の模様
このお寺は、言わずと知れた日本最古の安産祈願・求子(ぐし)祈願霊場である。「帯解寺紹介」によると《当山は弘法大師の師である勤操大徳の開基巖渕千坊の一院で霊松庵と申しました。そして、今から約1100年前、人皇55代文徳天皇の御妃染殿皇后(藤原明子)が永い間お子様が生まれず、大変お悩みの折、祖神春日明神のお告げによって、早速勅使をたてられて帯解子安地蔵菩薩にお祈り遊ばされたところ、まもなく御懐妊、月満ちて惟仁親王(のちの清和天皇)を御安産になられました。文徳天皇はお喜びのあまり、天安二年(858年)春、更に伽藍を建立になり寺号を改められ、無事帯が解けた寺、帯解寺(おびとけでら)と勅命せられました。帯解の名称はここから始まりました》。
江戸時代には《徳川二代将軍秀忠公の正室お江の方にお世継ぎがなく、当地蔵尊に御祈願され、めでたく竹千代丸(三代将軍家光公)を御安産されました。次いで、三代将軍家光公もお世継ぎがなく、側室の御楽の方が同様、御祈願になり、めでたく四代将軍家綱公を御安産されました。その折種々の瑞祥(めでたいしるし)がありましたので家光公は瑞祥記を当寺に下賜になり、誕生釋迦佛等を寄進されております。寛文三年(1663年)には家綱公より手水鉢の寄進がありました》。
最近では、皇后美智子さま、秋篠宮妃紀子さま、皇太子妃雅子さまもお参りされている。「ご祈祷案内」によると《すべてのご祈祷は毎日 午前8時半 ~ 午後4時半までで、初参り(お宮参り)と七五三参りは予約制、それ以外のご祈祷(安産祈祷・求子祈祷・御礼参り等)は予約無しで来られた順番に受け付けています》とあり、もちろん秘仏・秘宝特別開帳期間中も、ご祈祷を受け付けておられる。ぜひいちどお参りいただきたい。
※お寺への交通案内は、こちら
※写真は、11/4に行われた「ナント・なら応援団」向け説明会の模様
このお寺は、言わずと知れた日本最古の安産祈願・求子(ぐし)祈願霊場である。「帯解寺紹介」によると《当山は弘法大師の師である勤操大徳の開基巖渕千坊の一院で霊松庵と申しました。そして、今から約1100年前、人皇55代文徳天皇の御妃染殿皇后(藤原明子)が永い間お子様が生まれず、大変お悩みの折、祖神春日明神のお告げによって、早速勅使をたてられて帯解子安地蔵菩薩にお祈り遊ばされたところ、まもなく御懐妊、月満ちて惟仁親王(のちの清和天皇)を御安産になられました。文徳天皇はお喜びのあまり、天安二年(858年)春、更に伽藍を建立になり寺号を改められ、無事帯が解けた寺、帯解寺(おびとけでら)と勅命せられました。帯解の名称はここから始まりました》。
江戸時代には《徳川二代将軍秀忠公の正室お江の方にお世継ぎがなく、当地蔵尊に御祈願され、めでたく竹千代丸(三代将軍家光公)を御安産されました。次いで、三代将軍家光公もお世継ぎがなく、側室の御楽の方が同様、御祈願になり、めでたく四代将軍家綱公を御安産されました。その折種々の瑞祥(めでたいしるし)がありましたので家光公は瑞祥記を当寺に下賜になり、誕生釋迦佛等を寄進されております。寛文三年(1663年)には家綱公より手水鉢の寄進がありました》。
最近では、皇后美智子さま、秋篠宮妃紀子さま、皇太子妃雅子さまもお参りされている。「ご祈祷案内」によると《すべてのご祈祷は毎日 午前8時半 ~ 午後4時半までで、初参り(お宮参り)と七五三参りは予約制、それ以外のご祈祷(安産祈祷・求子祈祷・御礼参り等)は予約無しで来られた順番に受け付けています》とあり、もちろん秘仏・秘宝特別開帳期間中も、ご祈祷を受け付けておられる。ぜひいちどお参りいただきたい。
※お寺への交通案内は、こちら