森川裕一(もりかわ・ゆういち)さんは10月23日、明日香村の村長選挙で、めでたく初当選を果たされた、おめでとうございます! 森川さんは元県庁職員である。私は今、地域貢献活動助成事業(県くらし創造部)の審査員を拝命しているが、これは当初、森川さんからご指名いただいたものである。同僚にも、同級生(東大寺学園)が多い。当選後の10月28日、森川さんと月刊奈良の創刊50周年記念式典の会場でお会いした。乾杯の音頭が森川さんで、「当選して万歳三唱をしているとき、耳元で『50周年の式典で乾杯の音頭をお願いします』とささやかれまして、何だかよく分からないままここに…」と、ユーモアたっぷりにご挨拶されていた。
当選時のニュースが産経新聞(10/24付)に出ていた。《新村長に森川氏 奈良・明日香村》《前村長の辞職に伴う明日香村長選は23日、投票が行われ、即日開票の結果、新人で元県立医大法人企画部長の森川裕一氏(55)=無所属=が、新人で村社会福祉協議会長の嶋田英隆氏(71)=同=に競り勝ち、初当選した。当日有権者数は5180人で、投票率は79・25%(前回は無投票)だった》。得票差はわずか31票、という大接戦だった。前村長の関義清氏は1940年生まれ、今年で71歳だから、16歳の若返りである。
《同村長選は、前村長が来年5月の任期満了を待たずに5期目の任期途中で辞職し、新人2人による一騎打ちとなった。森川氏は高齢者や子供たちが安心して暮らせるまちづくりを強調。医師会などと連携し、広域医療体制を強化する政策を訴え、幅広く支持を集めた。初当選した森川氏は選挙事務所で「若者が定住できるよう雇用対策にも取り組みたい」と抱負を述べた。嶋田氏は、村内各地域の活性化事業を主張したが、あと一歩及ばなかった》。
昨日(11/6付)、奈良新聞1面「ときの人」欄に、森川さんへのインタビューが掲載されていた。見出しは《「村の未来」を車座で 明日香村長に就任した森川裕一さん(55)》だ。プロフィールは《昭和31年3月10日生まれ。同56年京都大学大学院工学研究科を修了し、県庁入り。協働推進課長などを歴任。県立医大法人企画部長を退職して挑んだ10月23日の明日香村長選で初当選を果たした。家族は両親と妻、娘2人。明日香村栢森(かやのもり)》。
《“日本の飛鳥”の新しいりリーダーは行政マン首長だ。「住んでいて良かった」という住民の気持ちの高まりこそ、明日香村の魅力を広め、歴史的風土も後世に残せると信じている。生駒市で家庭を持ち、県庁に通勤。両親が庄む奥飛鳥は正月休みに餅つきに帰る場所」。その故郷に耕作放棄地や空き家が目立ち始めた。調べてみると、村の人口は10年間で14%も減り、若者は働く場を求めて流出するという課題が見えた。県庁では土木計画、まちづくりの企画立案、NPO協働実践の現場などを担当。明日香村でも、テーマや地域ごとに住民らと「車座」で話し合い、方向性を決める手法を実践しようと思っている》。
《長老たちが実権を握りがちな地域社会の仕組みも理解しているが、若者が村を離れる一因に「しがらみで身動きがとれないしんどさ」も挙げる。車座を導
入し、若い世代にも、楽しく地域づくりに参画してもらうつもりだ。「夢キューブ」(商いを始めるための場所)なども提案。広域医療体制の強化や教育持区を生かした教育内容の充実も公約した。選挙街宣中、5歳の女の子の小さな手を握り「君のために頑張るから」と約束したのを忘れていない。「次世代が希望を持てる明日香にする」固い覚悟で村長室に入った。(木之下伸子)》。
森川さんの公式HPには《企画政策立案から現場の実践まで、地方行政に関わってちょうど30年、地方行政マンとしていっしょうけんめい頑張ってきました。奈良県に関わってきた自分にとって原点でもあるふるさと明日香の地で、次世代を担う子ども達が希望を持てる明日香づくりに全力でとりくみます》。政策としては《くらし/奈良県一、お年寄りや若者が楽しく、暮らしやすく、住みたくなる明日香をつくる なりわい/日本一、働きやすく活動しやすい元気な明日香をつくる たたずまい/世界に一つだけの「明日香村まるごと博物館」を育てる》などが掲げられている。
森川さんにお会いしたとき「2か月前、退職して選挙に出る決断をしたわけですから、相当悩みました」とおっしゃっていた。まさに背水の陣だったわけである。選挙期間中、私は明日香村で開催されたガイドツアーに参加した。ツアー中、森川さんの選挙カーが傍らを通り過ぎると、ボランティアガイドの女性(明日香村在住)が「私、あの人を応援しているんです。あの人が当選しないと、村の将来はありません」とキッパリおっしゃっていたのが、印象的だった。
明日香村は、日本で最も有名な村である。しかし人口は10年で14%減少、耕作放棄地も農地の17%にのぼるという。課題は山積しているが、村の将来を託して1票を投じた村民のために、ぜひ頑張っていただきたい。
当選時のニュースが産経新聞(10/24付)に出ていた。《新村長に森川氏 奈良・明日香村》《前村長の辞職に伴う明日香村長選は23日、投票が行われ、即日開票の結果、新人で元県立医大法人企画部長の森川裕一氏(55)=無所属=が、新人で村社会福祉協議会長の嶋田英隆氏(71)=同=に競り勝ち、初当選した。当日有権者数は5180人で、投票率は79・25%(前回は無投票)だった》。得票差はわずか31票、という大接戦だった。前村長の関義清氏は1940年生まれ、今年で71歳だから、16歳の若返りである。
《同村長選は、前村長が来年5月の任期満了を待たずに5期目の任期途中で辞職し、新人2人による一騎打ちとなった。森川氏は高齢者や子供たちが安心して暮らせるまちづくりを強調。医師会などと連携し、広域医療体制を強化する政策を訴え、幅広く支持を集めた。初当選した森川氏は選挙事務所で「若者が定住できるよう雇用対策にも取り組みたい」と抱負を述べた。嶋田氏は、村内各地域の活性化事業を主張したが、あと一歩及ばなかった》。
昨日(11/6付)、奈良新聞1面「ときの人」欄に、森川さんへのインタビューが掲載されていた。見出しは《「村の未来」を車座で 明日香村長に就任した森川裕一さん(55)》だ。プロフィールは《昭和31年3月10日生まれ。同56年京都大学大学院工学研究科を修了し、県庁入り。協働推進課長などを歴任。県立医大法人企画部長を退職して挑んだ10月23日の明日香村長選で初当選を果たした。家族は両親と妻、娘2人。明日香村栢森(かやのもり)》。
《“日本の飛鳥”の新しいりリーダーは行政マン首長だ。「住んでいて良かった」という住民の気持ちの高まりこそ、明日香村の魅力を広め、歴史的風土も後世に残せると信じている。生駒市で家庭を持ち、県庁に通勤。両親が庄む奥飛鳥は正月休みに餅つきに帰る場所」。その故郷に耕作放棄地や空き家が目立ち始めた。調べてみると、村の人口は10年間で14%も減り、若者は働く場を求めて流出するという課題が見えた。県庁では土木計画、まちづくりの企画立案、NPO協働実践の現場などを担当。明日香村でも、テーマや地域ごとに住民らと「車座」で話し合い、方向性を決める手法を実践しようと思っている》。
《長老たちが実権を握りがちな地域社会の仕組みも理解しているが、若者が村を離れる一因に「しがらみで身動きがとれないしんどさ」も挙げる。車座を導
入し、若い世代にも、楽しく地域づくりに参画してもらうつもりだ。「夢キューブ」(商いを始めるための場所)なども提案。広域医療体制の強化や教育持区を生かした教育内容の充実も公約した。選挙街宣中、5歳の女の子の小さな手を握り「君のために頑張るから」と約束したのを忘れていない。「次世代が希望を持てる明日香にする」固い覚悟で村長室に入った。(木之下伸子)》。
森川さんの公式HPには《企画政策立案から現場の実践まで、地方行政に関わってちょうど30年、地方行政マンとしていっしょうけんめい頑張ってきました。奈良県に関わってきた自分にとって原点でもあるふるさと明日香の地で、次世代を担う子ども達が希望を持てる明日香づくりに全力でとりくみます》。政策としては《くらし/奈良県一、お年寄りや若者が楽しく、暮らしやすく、住みたくなる明日香をつくる なりわい/日本一、働きやすく活動しやすい元気な明日香をつくる たたずまい/世界に一つだけの「明日香村まるごと博物館」を育てる》などが掲げられている。
森川さんにお会いしたとき「2か月前、退職して選挙に出る決断をしたわけですから、相当悩みました」とおっしゃっていた。まさに背水の陣だったわけである。選挙期間中、私は明日香村で開催されたガイドツアーに参加した。ツアー中、森川さんの選挙カーが傍らを通り過ぎると、ボランティアガイドの女性(明日香村在住)が「私、あの人を応援しているんです。あの人が当選しないと、村の将来はありません」とキッパリおっしゃっていたのが、印象的だった。
明日香村は、日本で最も有名な村である。しかし人口は10年で14%減少、耕作放棄地も農地の17%にのぼるという。課題は山積しているが、村の将来を託して1票を投じた村民のために、ぜひ頑張っていただきたい。