tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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二荒山神社と大猷院 世界遺産 日光の社寺巡り(3)

2012年07月23日 | 小さな旅
世界遺産「日光の社寺」は、二社一寺(にしゃいちじ)といわれ、日光東照宮、日光二荒山(ふたらさん)神社、日光山輪王寺(りんのうじ)および輪王寺大猷院(たいゆういん)で構成される。このように書くと、お寺と神社が整然と建ち並んでいる印象だが、実際には「日光山」という広いエリアに神社とお寺が入り組んで建っているのである。その事情をWikipedia「輪王寺」から拾うと、

日光山内の社寺は、東照宮、二荒山神社、輪王寺に分かれ、これらを総称して「二社一寺」と呼ばれている。東照宮は徳川家康を「東照大権現」という「神」として祀る神社である。一方、二荒山神社と輪王寺は奈良時代に山岳信仰の社寺として創建されたもので、東照宮よりはるかに長い歴史をもっている。ただし、「二社一寺」がこのように明確に分離するのは明治初年の神仏分離令以後のことであり、近世以前には、山内の仏堂、神社、霊廟等をすべて含めて「日光山」あるいは「日光三所権現」と称し、神仏習合の信仰が行われていた。現在、輪王寺に属する建物が1箇所にまとまっておらず、日光山内の各所に点在しているのは、このような事情による。

さて、今回は最終回として、北西側の(駅から最も遠い)日光二荒山神社と輪王寺大猷院を紹介する。まずは二荒山神社である。Wikipedia「日光二荒山神社」によると



日光二荒山神社は栃木県日光市にある神社。式内社(名神大社)、下野国一宮。社格は国幣中社。正式名称は二荒山神社であるが、宇都宮市の二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)との区別のために鎮座地を冠して日光二荒山神社と呼ばれる。

日光の3つの山の神(大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命)を総称して二荒山大神と称し、主祭神としている。3つの山とは、男体山(二荒山)、女峯山、太郎山の三山である。この山々は神体山、いわゆる神奈備であり、神が鎮まる霊峰として古くから信仰されてきた。この日光の神々は「日光三山」「日光三所大権現」などと呼ばれ、山の名前からもわかる通り、これらの神々は親子と考えられてきた。


つまり、父・大己貴命(おおなむちのみこと=男体山)、母・田心姫命(たごりひめのみこと=女峯山)とその子・味耜高彦根命 (あじすきたかひこねのみこと=太郎山)の3柱の神さまが祀られているのである。下野国(しもつけのくに=栃木県)の一宮(いちのみや=地域の中で最も社格の高い神社)とは、すごい。今も神域は、日光国立公園のほぼ全域にわたる。



二荒山(ふたらさん)の名は、諸説あるが観音菩薩が住むとされる補陀洛山(ふだらくさん)が訛ったものといわれ、後に弘法大師空海がこの地を訪れた際に「二荒」を「にこう」と読み、「日光」の字を当てこの地の名前にしたといわれる。空海はその訪れた際に女峯山の神を祀る滝尾神社を建てたという。また、円仁も日光を訪れたとされ、その際に現在輪王寺の本堂となっている三仏堂を建てたといい、この時に日光は天台宗となったという。

江戸時代までは、神領約70郷という広大な社地を有していた。今日でも日光三山を含む日光連山8峰(男体山・女峰山・太郎山・奥白根山・前白根山・大真名子山・小真名子山・赤薙山)や華厳滝、いろは坂などを境内に含み、その広さは3,400ヘクタールという、伊勢神宮に次ぐ面積となっている。



二荒山神社は縁結びの神さまとして、お守り(縁結び笹)が売られ、境内には神前結婚式のパンフレットがたくさん置かれていた。ご由緒によると《縁結び笹 この笹に願いを込めると、男女の良縁はもとより、仕事の縁・人の縁等々あらゆる良い縁に恵まれるといわれます。ここには「結び札」があり、それぞれの思いを書いて、結び所に結んで祈ります。「縁結び笹」に因んだ御守は、全国で唯一のあらゆる良い縁を結ぶ御守です》。また同神社のHPによると《二荒山神社の主祭神は、大己貴命です。別の名は、大国主命・だいこく様とも呼ばれ、福の神・縁結びの神様です。あらゆる縁を結んでくださる神様です》。



《神前結婚式 今のように神社の神前で行われるようになるまでには、『古事記』『日本書紀』の神話に登場する神々の結婚をはじめ、日本の風土の中で培ってきた神祭りの永い歴史があります。それは大自然の中で生き、自然に在す神々に常に感謝や祈りを捧げてきた人々の営みから生まれたものです。夫婦の和合を乞い願い、夫婦の契りを固める結婚が、神々のお計らいであり、お恵みであるという考え方は、遠い祖先から受け継がれてきた神々への素朴な信仰でもありました。このことはまた、親から子、子から孫へと連綿と続いてゆくいのちを大切にしてきたあらわれでもあります。神前結婚式が今日のように多くの日本人に受け入れられ、行われてきた背景には、このような信仰がありました。ここには、結婚を神々と祖先に感謝し、子孫の繁栄を願う日本人のひたむきな生き方を見いだすことができます》。


ここから、輪王寺大猷院の境内に入る


縁結びの二荒山神社から回ってきたのだろうか、若い女の子が
2人、ムリして写真を撮っていたので、シャッターを押してあげた

さて二荒山神社の奥(西)に、輪王寺大猷院(りんのうじ・たいゆういん)がある。つまり東から、輪王寺三仏堂(本堂)→東照宮→二荒山神社→輪王寺大猷院と並んでいるのである。あ~ややこしい。輪王寺の公式HPによると、


手水舎も、こんなにゴージャス

「大猷院」は、徳川三代将軍「家光公」の廟所(びょうしょ=墓所)です。境内には、世界遺産に登録された22件の国宝・重要文化財が、杉木立の中にひっそりとたたずんでいます。境内に林立する315基の灯籠も印象的です。





先祖である家康公の廟所(東照宮)をしのいではならないという家光公の遺命によって、彩色や彫刻は、控え目に造られましたが、かえってそれが重厚で落ち着いた雰囲気を醸し出しています。





入り口の「仁王門」にはじまり、家光公墓所の入り口に当たる「皇嘉門」(こうかもん)まで、意匠の異なる大小6つの門で、境内が立体的に仕切られており、門をくぐるたびに景色が転換して、あたかも天上界に昇っていくような印象を受けます。





「彩色や彫刻は、控え目に造られました」とあるが、私には「ホンマカイナ」という印象である。皆さんはいかがだろう。それにしても「縁結びの神」は、どこでも強いと思い知った。「日光山」が「二荒山」(そのモトは補陀洛山)ということも、今回初めて知った。

これで「世界遺産 日光の社寺巡り」は、おしまいである。実はこのあと少し時間があったので、鬼怒川温泉まで足を伸ばし、そこで遅めのランチを済ませ、東武線の特急で東京に戻った。鬼怒川温泉では、バブル期まで、団体客を相手に栄華を誇った温泉地の現況をまのあたりにすることになる。それはまた別の日に。
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