tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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日光山輪王寺 世界遺産 日光の社寺めぐり(1)

2012年07月05日 | 小さな旅
7/1(日)、世界遺産「日光の社寺」を訪ねた。前日は下野薬師寺(栃木県下野市)を訪ねたあと、宇都宮泊。宇都宮といえば、餃子である。朝から宇都宮駅東口駅前広場「健太餃子の宇都宮餃子館」の朝食餃子セット(500円)で腹ごしらえ。外はカリッ、具は野菜たっぷりでとてもジューシーだった、これはイケる。さて、めざすは日光である。宇都宮駅から日光へは、JR日光線で45分である。
※トップ写真は、勝道上人(しょうどうしょうにん)像の前の水盤







世界遺産「日光の社寺」は、日光山内(さんない)とか二社一寺(にしゃいちじ)といわれ、日光東照宮、日光二荒山(ふたらさん)神社、日光山輪王寺(にっこうざん りんのうじ)および輪王寺大猷院(たいゆういん)で構成される。これらを回るのに、日光ではバス乗り降り自由の「フリーパス手形」(500円)と「二社一寺共通拝観券」(1,000円)というスグレモノが販売されている。JR日光駅のみどりの窓口で、フリーパス手形を買い、世界遺産めぐり循環バスに乗り込んだ。最初に訪ねたのは日光山輪王寺である。




JR日光駅

日光山輪王寺は、JR日光駅からバスで8分、東武日光駅からはバス7分。「勝道上人像」バス停で降りる。勝道上人(しょうどうしようにん)は、輪王寺を開いた人であり日光山繁栄の基盤を築いた人であると伝える。Wikipedia「勝道」によると《日光山を開山した、奈良時代から平安時代初期にかけての僧。勝道上人と称されることが多い》《少年期から山林修行を行い、762年(天平宝字6年)下野薬師寺の如意僧都に師事して得度受戒した。765年(天平神護元年)には出流山満願寺(栃木市)を開創している。782年(延暦元年)日光山(ニコウ山=二荒山、ふたらさん、男体山)の開山を志し入山、四本龍寺(現輪王寺)を建てる。二荒山神社や輪王寺などにつながる日光山繁栄の源を作った》。


勝道上人像

さて輪王寺(天台宗)である。輪王寺とは日光山中にある寺院群の「総称」である(その点は、比叡山延暦寺と同じである)。だから堂塔は広範囲に散在し、国宝、重要文化財など多数の文化財を所有している。本堂である三仏堂や、徳川家光をまつった大猷院(たいゆういん)霊廟などの古建築も多い。お寺の公式HPによると《明治の頃から日光は輪王寺・東照宮・二荒山神社の三カ所が参詣所とされ、それぞれの境内は、いつも賑わっています。しかし、それ以前は「日光山」としてひとつに包括された関東の一大霊山だったのです》。


あいにく三仏堂は工事中。覆いに絵が描いてあった

《奈良時代の末、勝道上人によって日光山は開かれました。四本龍寺が建てられ、日光(二荒)権現もまつられます。鎌倉時代には将軍家の帰依著しく、鎌倉将軍の護持僧として仕える僧侶が輩出します。この頃には神仏習合が進展し、三山(男体山・女峰山・太郎山)三仏(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)山社(新宮・滝尾・本宮)を同一視する考えが整い、山岳修行修験道(山伏/やまぶし)が盛んになります。室町時代には、所領十八万石、500におよぶ僧坊が建ちならび、その隆盛を極めます》。



《江戸時代、天海大僧正(慈眼大師/じげんだいし)が住職となり、山王一実神道(天台宗)の教えで「家康公」を東照大権現として日光山に迎えまつります。「輪王寺(りんのうじ)」の称号が天皇家から勅許され、さらに慈眼大師(天海大僧正)・三代将軍「家光」公が新たにまつられ、「日光門主」と呼ばれる輪王寺宮法親王(皇族出身の僧侶)が住し、宗門を管領することになりました。法親王は14代を数え、幕末に及びました。明治になり、神仏分離の荒波を越えて現在の「輪王寺」があるのです》。




上記2枚の写真は、お寺のホームページより拝借

輪王寺の本堂が、三仏堂(さんぶつどう 重文)である。今は「平成の大修理」の最中だが、堂内には入れた。《輪王寺の本堂は日光山随一、東日本では最も大きな木造の建物で、平安時代に創建された、全国でも数少ない天台密教形式のお堂です。現在の建物は、正保2(1645)年、徳川三代将軍「家光」公によって建て替えられました。三仏堂の内陣には、日光三社権現本地仏(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)という三体の大仏さま(高さ8.5メートル)と、東照三社権現本地仏(薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来)という掛仏の、2組の三尊仏がご本尊さまとしてお祀りされています》(お寺のHP)。

ご本尊は江戸時代初期の金ピカの仏像であった。三仏堂も、朱色の鮮やかな建物で、このキンキラ・ピカピカが「日光の社寺」の特徴である。素木(しらき)造りの社寺を見慣れた奈良県人の目にはまぶしくて、長くは拝んでいられない。しかしこれは序の口、、キンキラ・ピカピカは東照宮でピークに達する。次回「日光東照宮」編をお楽しみに。
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