産経新聞奈良版・三重版などに好評連載中の「なら再発見」、今回(11/23)のテーマは「安堵町の灯芯 特産品の伝統受け継ぐ」、筆者は同町出身・在住の西川誠さんである。では、全文を紹介する。
※トップ写真は安堵町のイグサ畑。写真はすべて西川さんの撮影
安堵(あんど)町を流れる岡崎川に架かる橋に、写真のようなレリーフがある。おばあさんが座って縫い物をしているように見えるが、この地域の特産品だった「灯芯(とうしん)」を引く姿を描いたものだ。
灯芯と聞いても若い人にはピンとこないだろう。電灯が普及する以前の生活には、照明具として身近な日用品だった行燈(あんどん)。中の灯明皿(とうみょうざら)に油を入れ、そこに挿したヒモの先に火が灯っているのを時代劇などでごらんになったことがあるだろう。そのヒモが灯芯だ。和ロウソクの芯にも使われる。
灯芯の原料はイグサ(藺草)。イグサといえば畳表の材料だが、灯芯用には少し太い品種をつかう。茎の髄(ずい)を取り出したものが灯芯になる。
安堵町は大和川、富雄川、岡崎川が合流する海抜の低い土地で、湿田が多くイグサの栽培に適している。晩秋に植え付けて5~6月に収穫するので、米の裏作として一大生産地となり、近畿、東海を中心に全国に出荷されていた。
刈り取ったイグサを梅雨の晴れ間に干して乾燥させる。草を束ねて上部を縛り、三角錐(さんかくすい)状に立てた姿を「人形たて」という。無数に並ぶ光景は風物詩だったが、昭和30年代には需要の低迷で次第に生産されなくなり、43年が最後の商業栽培となった。
一度乾燥させたイグサを必要な分だけぬらしてムシロに包み、水分を含ませて戻す。「引き台」と呼ばれる刃物のついた道具で、引き裂くように茎の皮を割ると、白く長いウレタン状の芯が見事に姿をあらわす。
この作業を「灯芯引き」、地元では「とうしみ」という。住民の半数以上が関わり、子供の頃から見よう見まねで技術を覚えた。産業としては廃れてしまった今も伝統を絶やさないよう、数人の町民が技術を引き継ぎ守っている。
安堵町歴史民俗資料館には「灯芯ひき」の展示がある。体験作業も行われ、材料のイグサは資料館前でわずかながら栽培している。
以前この作業を見学したとき「やってみますか」と声がかかり、チャレンジした。簡単そうに見えたが、力加減やスピード、刃の当て方が難しく、皆さんは1メートル近い灯心を次々と引くが、私は10~15センチでブツブツ切れ、不良品の山を築いてしまった。
今も灯芯の需要が完全になくなったわけではなく、特産品や伝統行事を支えている。そのひとつが製墨だ。
墨の製法に油煙墨(ゆえんぼく)がある。たくさんの灯明皿に灯芯を置いて油を燃やし、蓋(ふた)をかぶせ、そこに付着したススを集めて使う。ただ燃やせば良いのではなく、灯芯の束ね方で燃え方を調整すると、煤(すす)の肌理(きめ)が変化し、それが品質に反映する。ここで墨職人の技がものをいうのだ。
奈良に春を呼ぶ行事、東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)(お水取り)にも欠かせない。行事の準備作業に「灯芯切り」があり、法要の内容によって長さの違う灯芯を切りそろえて準備する。
また元興寺の地蔵会(じぞうえ)では、石仏群とキキョウの花の前で無数の灯明がゆらめき、幻想的に浮かび上がらせる。
今も東大寺と元興寺には、安堵町から灯芯が献納されている。(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 西川誠)
私は長らく「灯芯」は木綿だと思っていた。『大辞林』を引くと《ランプ・行灯(あんどん)などの芯。灯油を吸い込ませて、火をともすためのもの。綿糸などを用いる。古くは藺(い)の白い芯を用いた。とうしみ。とうすみ》とあり、やはり今は綿糸なのだ。
「油煙墨」のことは知っていたが《灯芯の束ね方で燃え方を調整すると、煤の肌理が変化し、それが品質に反映する。ここで墨職人の技がものをいう》とは、初めて知った。これは微妙なものなのだ。
東大寺や元興寺に献納される安堵町の灯芯。この特産品と伝統技術は、ぜひ継承していってほしいものだ。西川さん、興味深いお話を有難うございました!
※トップ写真は安堵町のイグサ畑。写真はすべて西川さんの撮影
安堵(あんど)町を流れる岡崎川に架かる橋に、写真のようなレリーフがある。おばあさんが座って縫い物をしているように見えるが、この地域の特産品だった「灯芯(とうしん)」を引く姿を描いたものだ。
灯芯と聞いても若い人にはピンとこないだろう。電灯が普及する以前の生活には、照明具として身近な日用品だった行燈(あんどん)。中の灯明皿(とうみょうざら)に油を入れ、そこに挿したヒモの先に火が灯っているのを時代劇などでごらんになったことがあるだろう。そのヒモが灯芯だ。和ロウソクの芯にも使われる。
灯芯の原料はイグサ(藺草)。イグサといえば畳表の材料だが、灯芯用には少し太い品種をつかう。茎の髄(ずい)を取り出したものが灯芯になる。
安堵町は大和川、富雄川、岡崎川が合流する海抜の低い土地で、湿田が多くイグサの栽培に適している。晩秋に植え付けて5~6月に収穫するので、米の裏作として一大生産地となり、近畿、東海を中心に全国に出荷されていた。
刈り取ったイグサを梅雨の晴れ間に干して乾燥させる。草を束ねて上部を縛り、三角錐(さんかくすい)状に立てた姿を「人形たて」という。無数に並ぶ光景は風物詩だったが、昭和30年代には需要の低迷で次第に生産されなくなり、43年が最後の商業栽培となった。
一度乾燥させたイグサを必要な分だけぬらしてムシロに包み、水分を含ませて戻す。「引き台」と呼ばれる刃物のついた道具で、引き裂くように茎の皮を割ると、白く長いウレタン状の芯が見事に姿をあらわす。
この作業を「灯芯引き」、地元では「とうしみ」という。住民の半数以上が関わり、子供の頃から見よう見まねで技術を覚えた。産業としては廃れてしまった今も伝統を絶やさないよう、数人の町民が技術を引き継ぎ守っている。
安堵町歴史民俗資料館には「灯芯ひき」の展示がある。体験作業も行われ、材料のイグサは資料館前でわずかながら栽培している。
以前この作業を見学したとき「やってみますか」と声がかかり、チャレンジした。簡単そうに見えたが、力加減やスピード、刃の当て方が難しく、皆さんは1メートル近い灯心を次々と引くが、私は10~15センチでブツブツ切れ、不良品の山を築いてしまった。
今も灯芯の需要が完全になくなったわけではなく、特産品や伝統行事を支えている。そのひとつが製墨だ。
墨の製法に油煙墨(ゆえんぼく)がある。たくさんの灯明皿に灯芯を置いて油を燃やし、蓋(ふた)をかぶせ、そこに付着したススを集めて使う。ただ燃やせば良いのではなく、灯芯の束ね方で燃え方を調整すると、煤(すす)の肌理(きめ)が変化し、それが品質に反映する。ここで墨職人の技がものをいうのだ。
奈良に春を呼ぶ行事、東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)(お水取り)にも欠かせない。行事の準備作業に「灯芯切り」があり、法要の内容によって長さの違う灯芯を切りそろえて準備する。
また元興寺の地蔵会(じぞうえ)では、石仏群とキキョウの花の前で無数の灯明がゆらめき、幻想的に浮かび上がらせる。
今も東大寺と元興寺には、安堵町から灯芯が献納されている。(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 西川誠)
私は長らく「灯芯」は木綿だと思っていた。『大辞林』を引くと《ランプ・行灯(あんどん)などの芯。灯油を吸い込ませて、火をともすためのもの。綿糸などを用いる。古くは藺(い)の白い芯を用いた。とうしみ。とうすみ》とあり、やはり今は綿糸なのだ。
「油煙墨」のことは知っていたが《灯芯の束ね方で燃え方を調整すると、煤の肌理が変化し、それが品質に反映する。ここで墨職人の技がものをいう》とは、初めて知った。これは微妙なものなのだ。
東大寺や元興寺に献納される安堵町の灯芯。この特産品と伝統技術は、ぜひ継承していってほしいものだ。西川さん、興味深いお話を有難うございました!