tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

奈良にうまいものあり by 門上武司さん 観光地奈良の勝ち残り戦略(77)

2014年01月18日 | 観光地奈良の勝ち残り戦略
新聞社が最も力を入れて作る、といわれる元旦の紙面。今年(2014年)の奈良版では、毎日新聞と読売新聞の双方が「奈良の食」を特集していた。毎日新聞は、見開き2ページにわたる特集を組み、料理雑誌『あまから手帖』編集部の住吉慎太郎さん、ならまちの「洋食 春」(奈良市公納堂町14)のオーナー・中村大樹さん、「まほろばキッチン」(橿原市常盤町605-1)所長の北吉温能さん、「信貴山のどか村」社長の奥田哲生さんへのインタビュー記事を掲載していた。
※トップ写真は「つるべすし 弥助」(2013.12.7撮影)

 門上武司の僕を呼ぶ料理店―あまから手帖
 門上武司
 クリエテ関西

読売新聞は、「大和の食」という連載を元日からスタートさせた(1/8までの全7回)。ばあくさん、久保本家酒造さん、万惣さんなど、当ブログのおなじみのお店が紙面を飾った。元日の紙面では、これに加えて『あまから手帖』編集顧問(元編集主幹)の門上武司さんへのロングインタビューを掲載していて、これには「我が意を得たり」と思わず膝を打った。今日はこの話を紹介する。見出しは《他地域との交流 味の進化 「あまから手帖」編集顧問 門上武司さんに聞く》だ。


以下の3点は、ミシュラン掲載店「小粋料理 万惣」の冬の料理(13.12.18撮影)

料理雑誌「あまから手帖」編集顧問で、奈良の食材や店に詳しい門上武司さん(61)に、大和の「うまいもの」について聞いた。(近藤修史)

大阪府枚方市生まれ。大阪外大中退。1991年に食関係の企画会社を設立し、99年から料理雑誌「あまか手帖」に加わる。編集主幹を経て現在は編集顧問。2009年からは有名シェフらが県産の旬の食材を使ったメニューを出す「奈良フードフェスティバル」で実行委員長を務めている。

注目する食材は
地鶏の「大和肉鶏」。県内外の料理人が奈良の食材を使った料理を提供する「奈良フードフェスティバル」で3年前に出会った。弾力があるうえ、その味の濃さに驚いた。鶏らしい鶏の肉。僕は肉好きなので、めっけもんやなあと。珍しい大和野菜だけでなく、県産のミョウガなども香りがよく、とてもおいしい。2000年に、あまから手帖で初めて奈良特集を組んだ。奈良市や生駒市などに、レベルの高い店が少しずつ現れている。特集は地元や、奈良に近い大阪南部などでヒットした。



奈良にうまいものはない、と言われる。
大阪のキタやミナミ、神戸・三宮、京都・河原町など京阪神には飲食店の集積地がある。そこでは店同士の競争が生まれる。競争がないと食のレベルは上がらない。奈良は大阪の通勤圈で、奈良の人は勤務先近くの大阪で食事をしても、地元では、あまり食べていなかったのではないか。うまい店がある大阪や京都などが近いので、このままでよいと考えていた。しかし最近は、奈良市でイタリア料理店が人気となり、レベルの高いそば屋も増えている。
 
県内でも食材偽装が、相次いだ。
客は、食材の産地を確かめようがない。今回の偽装は、五感をきちんと働かせて食べるべきだという警告になった。雑誌やグルメサイトなどに情報があふれているが、自分自身の感覚を養わなければならない。一方で、料理を提供する側は、ブランドでなくてもおいしいものは、自信を持って出してほしい。



奈良の食の未来は
奈良の人たちは、自分たちが普通と思っていた食材が、実は素晴らしいことに気づき始めた。他の地域の料理人らと奈良の生産者、料理人たちの出会いがようやく始まり、新しい世界が開けてきている。食事は、毎べることだけを指すのではない。たとえば、奈良で東大寺の大仏や鹿を見たあと、食事をしたとする。そのすべての記憶を含めて、「奈良で食事した」ことになる。奈良はそんな舞台装置が多く、他の地域より恵まれている。これまで関西の食の世界から置き去りになっていたが、これから、大きな変化と進化を続けていくはずだ。

とりわけ最後の部分が的を射ている。食事とは、単なる食物の摂取ではない。食べるを人とりまく環境すべてをひっくるめて「食事をする」ということ。つまり「体験としての食事」だ。奈良県民は、それを意識しているだろうか。





昨年12/7(土)、「文楽演目ゆかりの地を訪ねる」というバスツアーで、創業800年という「つるべすし弥助」(吉野郡下市町下市533)を訪ね、鮎寿司と柿の葉寿司をいただいた。50代目というご主人からは、お店の歴史や浄瑠璃「義経千本桜」の「すし屋」(3段目)の話をお聞きした。風格のある木造建物の2階でお庭を眺めながらいただいた寿司の味は、格別だった。まさに「体験としての食事」の醍醐味を味わった。村上春樹も「つるべすし弥助」を高く評価している。



奈良の料理は決して凝ったものではないのだけれど、そのぶん素朴で、不思議に心になじむところがある。田舎料理といえば田舎料理だけど、ここにはまだ生活の匂いのようなものがある。値段も安いし、観光客の数も京都ほど多くない。今回の収穫は矢田寺の宿坊と吉野の「弥助」の鮎料理と二階堂の「綿宗」のうなぎ料理だった。

「弥助」は有名な料理旅館だから御存知の方も多いと思う。ちょっと季節外れではあったけれど、僕は鮎料理が大好きだから、全品鮎料理なんていうお膳を見ると実に感動してしまう。鮎子も美味い。




一方、志賀直哉は随筆「奈良」(昭和13年)に、奈良は「食ひものはうまい物のない所だ」と書いたといわれる。約2,000字(原稿用紙5枚)の随筆で、食べ物のくだりは以下の6行が全てである。

食ひものはうまい物のない所だ。私が移って来た5、6年間は牛肉だけは大変いいのがあると思ったが、近年段々悪くなり、最近、又少しよくなった。此所(ここ)では菓子が比較的ましなのではないかと思う。蕨粉(わらびこ)というものがあり、実は馬鈴薯の粉に多少の蕨粉を入れたものだと云う事だが、送ってやると大概喜ばれる。豆腐、雁擬(がんもどき)の評判もいい。私の住んでいる近くに小さな豆腐屋があり、其所(そこ)の年寄の作る豆腐が東京、大阪の豆腐好きの友達に大変評判がいい。私は豆腐を余り好かぬので分からないが、豆腐好きは、よくそれを云う。

この随筆の結末部分を書いておく。

兎に角、奈良は美しい所だ。自然が美しく、残っている建築も美しい。そして2つが溶けあっている点は他に比を見ないと云って差し支えない。今の奈良は昔の都の一部分に過ぎないが、名画の残欠が美しいように美しい。御蓋山(みかさやま)の紅葉は霜の降りたようで毎年同じには行かないが、よく紅葉した年は非常に美しい。5月の藤。それから夏の雨後春日山の樹々の間から湧く雲。これらはいつ迄も、奈良を憶う種(たね)となるだろう。

「名画の残欠が美しいように美しい」という名文句は、「奈良は名画の残欠のように美しい」と縮められ、今も広く人口に膾炙している。志賀は、この名文句を際立たせるための「マクラ」として、食べ物を引き合いに出したのだ。食べ物は特に美味しいとは思わない、しかし自然や建築物の美しさは比類がないという論法だ。それなのに原文を知らず、いまだにその「マクラ」ばかりを強調する人が絶えないのは、誠に情けない。しかもこれは80年近く前の戦前の話なのである。志賀の日記を読むと、頻繁に東向商店街にあった中華料理店に足を運んでいるという記述が登場する。志賀は結構、奈良の飲食店が気に入っていたのである。

今も酒の席などで、私に「奈良にうまいものがない」といちゃもんをつけてくる奈良県民がいて、腹立たしく思っている。こういう人は「総論」的に大ざっぱな言い方しかしないので、始末が悪い。理屈がかみ合わないのである。無視すればいいのだが、奈良の良心的な料理人さんをたくさん知っている立場上、彼らの名誉のために抗弁することにしている。しかし、いい加減うんざりしている。彼らが本当にそう思うのなら、奈良の料理人さんの前で正々堂々と主張すれば良いのだ。

機会があれば門上武司さんをお招きして、「奈良にうまいものあり」大講演会&シンポジウムを奈良で開催したいものである。
コメント (6)
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