先週(7/31)のNHK大河ドラマ「真田丸」は、「第30回 黄昏」だった。いろんな黄昏が登場したが、老いゆく秀吉の黄昏が最も哀れだった。NHKの番組HP「あらすじ」によると、
※画像はNHKの番組ホームページから拝借
大地震(おおじしん)に見舞われ、落成を前に伏見城は倒壊してしまう。秀吉から普請を命じられていた昌幸は生きがいを失いふさぎこむ。秀吉は再び大陸へ攻め込むと言い出し、さらにはバテレンへの弾圧を強める。きりが親しくなった玉らキリシタンたちに危機が迫る。秀吉の老いがますます進み、家康ら大名たちに混乱を巻き起こす。信繁らは必死に隠そうとするが…
今回、面白いシーンがあった。真田昌幸の前に、長男の信幸の正室の「稲」と側室の「こう」が、それぞれ赤ん坊を抱いて現れる。こうがわが子(仙千代)を抱きかかえてあやすシーンで、仙千代の着物が大きくまくれ上がり、紙おむつがバッチリと見えたのである。
この写真のみ、J-CASTニュースから拝借
ネットでは、「NHKの単純ミスか?」「いや、ウケを狙った演出では?」と噂が噂を呼び、紙おむつの銘柄もパンパースか、ムーニーマンか、メリーズかなどと物議を醸した。結局NHKは水曜日(8/3)になって、ミスを認めた。まあ、こんなことが話題になるくらい、ドラマが注目されているということなのだが。
さて秀吉の「黄昏」だが、おかしな言動が頻発する。イスパニア(スペイン)船が土佐沖に漂着したという知らせが入る。秀吉は積み荷を分捕れと命じる。諌める信繁に対し、秀吉は「バテレン追放令」を使い、船員の「耳を削ぎ…そうだな…鼻も削げ。引き回しの上磔(はりつけ)じゃ」と命じる。これを機に、多くのバテレンたちがいわれのない罪で捕まり、磔にされる。
文禄5年(1596年)9月、明(みん)の使節団が和平交渉のために秀吉を訪れる。明が主張したのは、冊封体制(さくほうたいせい)のもと秀吉に日本国王の称号を与えるというものだが、秀吉は激怒する。「我が国は明の属国ではない。言われずとも、わしはとっくに日の本の国王である」と怒った秀吉は、金印を投げ捨てる。さらに、明を攻めると立ち上がるが、ここで不覚にも失禁してしまう。信繁は、それは拾(ひろい=のちの秀頼)がしたものとして取り繕うが、家康らは疑いの目を向ける。
まだある。寝床を抜け出した秀吉。やっと見つけた信繁に「茶室はどっちだ?なかなかたどりつけんのだ。利休がわしに話があるらしい」。これは千利休の怨霊の仕業なのだろうか。
そんな秀吉の状態を見て、石田三成は拾の元服を決める。「5歳での元服は武士としては例がないが、公家ならばよくあることだそうだ」という理屈だ、それほどことは急を要していたのだ。元服により、拾は秀頼と名を改めた。
別の日、信繁は秀吉を背負って天守閣に登った。秀吉は「誰も見たことのない城を築きたかった。城の周りには大きな町を造る。驚くほどにぎやかで、騒がしくて、活気にあふれた日の本一の町」。「思い通りになったのでは」と信繁が問うと、「思いがかなったのは半分だけ。ゆくゆくは京から天子様をお迎えしようと思っておった」「平清盛が成し遂げたこと(福原遷都)を、わしはとうとうできなんだ」。
このあと有名な「醍醐の花見」のシーンがあった。醍醐寺三宝院(京都市伏見区)で催した盛大な花見だ。秀吉は上機嫌で、三成も「やはり殿下には華やかな場所がよく似合う」。しかしここで茶々が余計な申し出。「若君(秀頼)が花咲じいが見たいそうですよ」。秀吉は寧々らの制止を振り切って、木に登る。「枯れ木に花を咲かせましょう」。秀吉が枝に足を乗せた瞬間、枝が折れて秀吉は転落、腰の骨を折り、これ以後は寝たきりとなる…。
これらとは別に1つ、ビックリしたシーンがあった。昌幸が入れあげていた吉野太夫、実はスパイ(本多正信が放った女忍び)だったのだ。それを見ぬいた出浦昌相(いでうら・まさすけ)が、一刀のもとに斬り捨てるシーンが圧巻だった。本物の吉野太夫は京都にいたのだそうだ。
次回(8/7)は「第31回 終焉」。秀吉を好演した小日向文世とも、これでお別れなのだ。では最後に、藤丸タダアキさんのブログ「地域活性局」から、彼の感想を紹介しておく。
真田丸30話は地震後の黄昏時の風景から始まりました。マグニチュード7.25程度、京都や堺では死者1000人以上を数えたそうです。秀吉は判断能力を失い始めています。漂着したイスパニアの船から秀吉は船の財産を没収します。
そして細川忠興の嫁、ガラシャ(玉)が出てきます。吉蔵は磔になりました。キリシタン吉。の名前で残っているそうです。それを信繁から聞いた大谷吉継は秀吉は行き過ぎたといいました。
家康は秀吉の日常を注視します。本多忠勝から信幸の妻稲に書状がきます。吉野太夫も昌幸に信繁が秀吉の側近だから秀吉の日常を知らないか尋ねます。稲は真田の内情を探るように本多忠勝から言われていたと信幸に話します。信幸は信繁に秀吉の日常を聞きますが、信繁は秀吉は健康だといいます。
昌幸から話を聞いた吉野太夫は中座しようとして、出浦に殺されます。吉野太夫は実際は京都にいました。この女は本多正信の密偵だったようですね。しかし、吉野太夫役の中島亜梨紗さんとてもきれいですね。昌幸は吉野太夫?を失った雰囲気からたそがれました。そこに信幸の妻稲の産んだ百助・側室おこうの子供仙千代が登場しました。
明の使者が来ます。秀吉に日本国王を認める代わりに朝鮮からの撤兵を要請します。秀吉は激怒しますが、それとともに、粗相をしてしまいます。そして加藤清正が秀吉に呼ばれます。石田三成は清正が秀吉の前で感情的になるなと言います。清正はわかったといいます。このころはまだ仲良しだったアピールです。
しかし、秀吉からお拾(ひろい)を頼むといわれ、清正は泣き崩れます…。この後、やがて三成と清正を中心に政権内で文官派と武官派の争いが起こります。真田丸30話は豊臣政権の黄昏が描かれています。
信繁は妻の春に尊敬する二人の人物から同じことを言われたと話します。自分のようになるなと。叔父は家(真田)のために自分を捨てる。吉継は家(豊臣)のために自分を貫く。信幸は沼田城の改修を行うと宣言します。大叔父の矢沢頼綱はまた戦かと躍動しますが享年80歳で亡くなりました。実は、昌幸はこのころ信繁に家督を譲った説があります。信幸は沼田を本拠地にし、頼綱はその後見だったのでしょう。
秀吉は「利休が会いたいと言っている」と茶室を探していた場面がありました。亡霊です…。三成はそんな秀吉を安心させるためにお拾の元服を進め、お拾は秀頼と名乗ります。秀吉は伏見の街を観ます。また黄昏時でした。真田丸30話黄昏はこの黄昏時のシーンばかりです。
秀吉は上杉景勝に越後から会津への転封と伊達・徳川の抑えを懇願します。実はこの時期に蒲生氏郷という希代の名将が亡くなっています。蒲生は秀吉から上記の役割を言われていました。家康の強力なライバルが蒲生氏郷でした。
醍醐の花見が行われます。今回は豊臣政権の諸将の妻、女性が大勢参加します。秀吉は家康の女性、阿茶の局に秀頼の将来を頼むといいました。茶々は秀吉に秀頼が花咲か爺を見たいと伝え、秀吉は木に登り、落ちます。茶々のちょっと自分勝手な要求で秀吉は振り回されます。この日を境に秀吉は床に臥せるようになります。医者はしばらくは立つこともできないと。
三成は信繁に覚悟を促します。秀吉は形見分けを始めます。片桐且元は金子15枚、三成は金子50枚と刀をもらいます。秀吉は信繁を知らないといい、形見をもらえませんでした。豊臣家のために生きる信繁は秀吉をかばいます。信繁は義に生きます。「義」とは正しい道を生きるという意味です。
信繁の日常には優れた倫理観を持つ人が多いですね。上杉景勝・直江兼続・大谷吉継・石田三成。信繁はその倫理観を大事に生きることを決めました。そして信繁はついに信幸に秀吉の容態の悪化を伝えます。信幸は喜び、舅の忠勝に報告します。信幸の周囲は家康や本多忠勝など、あくの強い人物が多いですね。彼らは理想よりも現実社会を追いかけるタイプの武将でした。
真田丸30話黄昏では、信幸・信繁兄弟も永遠の別れへ向かいます。ここにも黄昏が隠れているように思いました。真田丸30回黄昏の感想ですが、ほとんどの場面が夕方、黄昏時でした。豊臣政権の黄昏・秀吉の黄昏・昌幸の黄昏・そして信幸・信繁兄弟の黄昏。30話黄昏の趣旨に乗っかるとすると、豊臣政権も大河ドラマも夜の部分に入っていくのでしょう。
※画像はNHKの番組ホームページから拝借
大地震(おおじしん)に見舞われ、落成を前に伏見城は倒壊してしまう。秀吉から普請を命じられていた昌幸は生きがいを失いふさぎこむ。秀吉は再び大陸へ攻め込むと言い出し、さらにはバテレンへの弾圧を強める。きりが親しくなった玉らキリシタンたちに危機が迫る。秀吉の老いがますます進み、家康ら大名たちに混乱を巻き起こす。信繁らは必死に隠そうとするが…
今回、面白いシーンがあった。真田昌幸の前に、長男の信幸の正室の「稲」と側室の「こう」が、それぞれ赤ん坊を抱いて現れる。こうがわが子(仙千代)を抱きかかえてあやすシーンで、仙千代の着物が大きくまくれ上がり、紙おむつがバッチリと見えたのである。
この写真のみ、J-CASTニュースから拝借
ネットでは、「NHKの単純ミスか?」「いや、ウケを狙った演出では?」と噂が噂を呼び、紙おむつの銘柄もパンパースか、ムーニーマンか、メリーズかなどと物議を醸した。結局NHKは水曜日(8/3)になって、ミスを認めた。まあ、こんなことが話題になるくらい、ドラマが注目されているということなのだが。
さて秀吉の「黄昏」だが、おかしな言動が頻発する。イスパニア(スペイン)船が土佐沖に漂着したという知らせが入る。秀吉は積み荷を分捕れと命じる。諌める信繁に対し、秀吉は「バテレン追放令」を使い、船員の「耳を削ぎ…そうだな…鼻も削げ。引き回しの上磔(はりつけ)じゃ」と命じる。これを機に、多くのバテレンたちがいわれのない罪で捕まり、磔にされる。
文禄5年(1596年)9月、明(みん)の使節団が和平交渉のために秀吉を訪れる。明が主張したのは、冊封体制(さくほうたいせい)のもと秀吉に日本国王の称号を与えるというものだが、秀吉は激怒する。「我が国は明の属国ではない。言われずとも、わしはとっくに日の本の国王である」と怒った秀吉は、金印を投げ捨てる。さらに、明を攻めると立ち上がるが、ここで不覚にも失禁してしまう。信繁は、それは拾(ひろい=のちの秀頼)がしたものとして取り繕うが、家康らは疑いの目を向ける。
まだある。寝床を抜け出した秀吉。やっと見つけた信繁に「茶室はどっちだ?なかなかたどりつけんのだ。利休がわしに話があるらしい」。これは千利休の怨霊の仕業なのだろうか。
そんな秀吉の状態を見て、石田三成は拾の元服を決める。「5歳での元服は武士としては例がないが、公家ならばよくあることだそうだ」という理屈だ、それほどことは急を要していたのだ。元服により、拾は秀頼と名を改めた。
別の日、信繁は秀吉を背負って天守閣に登った。秀吉は「誰も見たことのない城を築きたかった。城の周りには大きな町を造る。驚くほどにぎやかで、騒がしくて、活気にあふれた日の本一の町」。「思い通りになったのでは」と信繁が問うと、「思いがかなったのは半分だけ。ゆくゆくは京から天子様をお迎えしようと思っておった」「平清盛が成し遂げたこと(福原遷都)を、わしはとうとうできなんだ」。
このあと有名な「醍醐の花見」のシーンがあった。醍醐寺三宝院(京都市伏見区)で催した盛大な花見だ。秀吉は上機嫌で、三成も「やはり殿下には華やかな場所がよく似合う」。しかしここで茶々が余計な申し出。「若君(秀頼)が花咲じいが見たいそうですよ」。秀吉は寧々らの制止を振り切って、木に登る。「枯れ木に花を咲かせましょう」。秀吉が枝に足を乗せた瞬間、枝が折れて秀吉は転落、腰の骨を折り、これ以後は寝たきりとなる…。
これらとは別に1つ、ビックリしたシーンがあった。昌幸が入れあげていた吉野太夫、実はスパイ(本多正信が放った女忍び)だったのだ。それを見ぬいた出浦昌相(いでうら・まさすけ)が、一刀のもとに斬り捨てるシーンが圧巻だった。本物の吉野太夫は京都にいたのだそうだ。
次回(8/7)は「第31回 終焉」。秀吉を好演した小日向文世とも、これでお別れなのだ。では最後に、藤丸タダアキさんのブログ「地域活性局」から、彼の感想を紹介しておく。
真田丸30話は地震後の黄昏時の風景から始まりました。マグニチュード7.25程度、京都や堺では死者1000人以上を数えたそうです。秀吉は判断能力を失い始めています。漂着したイスパニアの船から秀吉は船の財産を没収します。
そして細川忠興の嫁、ガラシャ(玉)が出てきます。吉蔵は磔になりました。キリシタン吉。の名前で残っているそうです。それを信繁から聞いた大谷吉継は秀吉は行き過ぎたといいました。
家康は秀吉の日常を注視します。本多忠勝から信幸の妻稲に書状がきます。吉野太夫も昌幸に信繁が秀吉の側近だから秀吉の日常を知らないか尋ねます。稲は真田の内情を探るように本多忠勝から言われていたと信幸に話します。信幸は信繁に秀吉の日常を聞きますが、信繁は秀吉は健康だといいます。
昌幸から話を聞いた吉野太夫は中座しようとして、出浦に殺されます。吉野太夫は実際は京都にいました。この女は本多正信の密偵だったようですね。しかし、吉野太夫役の中島亜梨紗さんとてもきれいですね。昌幸は吉野太夫?を失った雰囲気からたそがれました。そこに信幸の妻稲の産んだ百助・側室おこうの子供仙千代が登場しました。
明の使者が来ます。秀吉に日本国王を認める代わりに朝鮮からの撤兵を要請します。秀吉は激怒しますが、それとともに、粗相をしてしまいます。そして加藤清正が秀吉に呼ばれます。石田三成は清正が秀吉の前で感情的になるなと言います。清正はわかったといいます。このころはまだ仲良しだったアピールです。
しかし、秀吉からお拾(ひろい)を頼むといわれ、清正は泣き崩れます…。この後、やがて三成と清正を中心に政権内で文官派と武官派の争いが起こります。真田丸30話は豊臣政権の黄昏が描かれています。
信繁は妻の春に尊敬する二人の人物から同じことを言われたと話します。自分のようになるなと。叔父は家(真田)のために自分を捨てる。吉継は家(豊臣)のために自分を貫く。信幸は沼田城の改修を行うと宣言します。大叔父の矢沢頼綱はまた戦かと躍動しますが享年80歳で亡くなりました。実は、昌幸はこのころ信繁に家督を譲った説があります。信幸は沼田を本拠地にし、頼綱はその後見だったのでしょう。
秀吉は「利休が会いたいと言っている」と茶室を探していた場面がありました。亡霊です…。三成はそんな秀吉を安心させるためにお拾の元服を進め、お拾は秀頼と名乗ります。秀吉は伏見の街を観ます。また黄昏時でした。真田丸30話黄昏はこの黄昏時のシーンばかりです。
秀吉は上杉景勝に越後から会津への転封と伊達・徳川の抑えを懇願します。実はこの時期に蒲生氏郷という希代の名将が亡くなっています。蒲生は秀吉から上記の役割を言われていました。家康の強力なライバルが蒲生氏郷でした。
醍醐の花見が行われます。今回は豊臣政権の諸将の妻、女性が大勢参加します。秀吉は家康の女性、阿茶の局に秀頼の将来を頼むといいました。茶々は秀吉に秀頼が花咲か爺を見たいと伝え、秀吉は木に登り、落ちます。茶々のちょっと自分勝手な要求で秀吉は振り回されます。この日を境に秀吉は床に臥せるようになります。医者はしばらくは立つこともできないと。
三成は信繁に覚悟を促します。秀吉は形見分けを始めます。片桐且元は金子15枚、三成は金子50枚と刀をもらいます。秀吉は信繁を知らないといい、形見をもらえませんでした。豊臣家のために生きる信繁は秀吉をかばいます。信繁は義に生きます。「義」とは正しい道を生きるという意味です。
信繁の日常には優れた倫理観を持つ人が多いですね。上杉景勝・直江兼続・大谷吉継・石田三成。信繁はその倫理観を大事に生きることを決めました。そして信繁はついに信幸に秀吉の容態の悪化を伝えます。信幸は喜び、舅の忠勝に報告します。信幸の周囲は家康や本多忠勝など、あくの強い人物が多いですね。彼らは理想よりも現実社会を追いかけるタイプの武将でした。
真田丸30話黄昏では、信幸・信繁兄弟も永遠の別れへ向かいます。ここにも黄昏が隠れているように思いました。真田丸30回黄昏の感想ですが、ほとんどの場面が夕方、黄昏時でした。豊臣政権の黄昏・秀吉の黄昏・昌幸の黄昏・そして信幸・信繁兄弟の黄昏。30話黄昏の趣旨に乗っかるとすると、豊臣政権も大河ドラマも夜の部分に入っていくのでしょう。