『月刊 事業構想』という雑誌をご存じだろうか。 同誌のHPには《新しい事業を構想する日本中の経営者や新事業を担う若者・行政・NPOが集うメディアです》とある。この雑誌の2016年8月号の「地域未来構想 プロジェクトニッポン」コーナーに登場したのが奈良県だ。
荒井知事へのインタビュー、なら食と農の魅力創造国際大学校や明日香村の紹介、企業紹介(石井物産、中川政七商店、呉竹)のほか、生駒聖天さんどう会による「生駒聖天 参道ご縁市」が4ページにわたって紹介されていた。これまでのさんどう会の取り組みや今後の活動の方向性がうまくまとめられているので以下、全文を紹介する。
※トップの動画は生駒市が制作。以下の写真はすべて『月刊 事業構想』のホームページから拝借
プロジェクトニッポン 奈良県
生駒聖天参道ご縁市 「ご縁」をつなぎ、参道に賑わいを
生駒聖天の参道のかつてのにぎわいを取り戻そうと、住民が主体となって企画された「生駒聖天 参道ご縁市」。大成功を収めたイベントは、どのように生まれたのか。
文・鹿谷 亜希子 奈良民俗文化研究所事務局長
「男はつらいよ」の舞台にもなった生駒聖天(生駒山宝山寺、奈良県生駒市)の風情ある石段の参道で、今年4月、第1回「春の参道ご縁市」が開かれた。参道沿いの商店による出店や、着物を皆で楽しく着て参道を歩く「着物あそび」などのイベントが企画され、住民や観光客に大好評を博した。企画団体の「生駒聖天さんどう会」は、わずか3年で、参道に次々とにぎわいを作り出してきた。そのブレのない活動の源を考えてみたい。
民間人が敷設した百年の参道
最初に、生駒に残る参道の歴史を振り返りたい。生駒駅は今からおよそ百年前の大正3(1914)年、大阪電気軌道(現近畿日本鉄道)が大阪上本町と奈良を結んだ際に開業。県境の生駒山に貫通させた3.4kmに及ぶトンネルの奈良側出口にあり、現世利益で名高い「聖天さん」こと宝山寺の最寄駅として、農村だった場所は瞬く間に発展した。
駅から寺までの急坂に約1.5kmの新参道を作ったのは、信者など有志の民間人。以来新参道には各地から人が押し寄せ、数年のうちに旅館や商店が立ち並び、複数の置屋や検番にカフェや劇場までできた。大正7年には日本初の営業用ケーブルが開通、駅前と宝山寺を結んだ。大正12年に参道沿いの人々が私財を投じて道普請した記念碑も残っており、人の往来を糧にした道が、ぐんぐんと成長した様子が想像できる。
地域住民で「さんどう会」結成 清掃で参道と向き合う
しかし、往時を知る人が口を揃えて「日曜日の心斎橋よりすごい人やった」と言う参道も、徐々に住宅が増えて、かつてのようなにぎわいは消えてしまった。熱心な信者が多い宝山寺だが、車での来訪者が増え、電車客は減ったからだ。門前に残っていた旅館も次々と廃業していった2013年、参道で飲食店や旅館を営む30代から50代の若手経営者や住民が中心となり、新たなにぎわいをつくるために「生駒聖天さんどう会」を立ち上げた。(以下さんどう会)
参道に生まれ育ち、自らも創作エスニック料理店を営む小川雅巳会長は言う。「49歳の僕の記憶にある限りでも、毎月1日と16日のご縁日はすごい人出でした。あんなにぎわいが戻ってほしい。でも単発のイベントのようなまちおこしとは違うと思った。そこでまず、週1回参道の清掃と花壇整備を始めたんです。
突拍子もないようだが、これが近道だった。かつてのご縁日には、商売繁盛など明確な目的を持った人たちが定期的に訪れた。沿道の店で飲食や買い物、宿泊をし、四季折々の参道を感受してきたに違いない。参道としっかり向き合うことで、昔から残っている道標を再確認するなど、目線も変わったという。
昨今のすこし寂しい参道の景色が一変するのが、お彼岸の万燈会だ。境内には無数の燈明が並べられ、市民が描いた紙燈籠約千基が参道をほの明るく照らす。幻想的な光景の裏で寺の青年会や奉賛会は高齢化、燈籠設置が年々難しくなっていた。
そんな中、さんどう会設立の中心メンバーの1人で自然菜食カフェを営む中川恭一さんらが燈籠の設置を手伝い始めたのが会設立の6年ほど前のこと。この経緯もあり、さんどう会が最初に掲げた目標は「お彼岸万燈会の燈籠を、駅前からの全参道に毎年灯す」。車道になっている駅前の参道への毎年設置はまだ実現できていないが、今では市民参加型の行事として楽しみにしている人が多い。
プロセスを大切にする「ご縁市」 女将発案の「参道着物あそび」
次の目標は、毎月2回ある生駒聖天の縁日のにぎわい復活だった。まずは年4回とし、廃業した旅館などの店先に出店者を募った。これは将来的に店を構え住む人が増えてほしいという思いがある。春に初めて行われることになったイベントは、「参道ご縁市」と名付けられた。
ご縁市にビジュアル的インパクトを与えた「参道着物あそび」は、さんどう会のメンバーで、旅館の二代目女将でもある岡田篤子さんが企画。大正時代からタイムスリップしたような和服姿の人たちに、多くの一般客がカメラを向けていた。
「本物感」が漂っていたのには理由がある。数多くの芸妓の髪を結い、今も参道で美容室を営む先生が協力してくれたのだ。着物や小物は自前のものに加え、近所の家々に眠っていたものを集めた。
岡田さんの旅館では「宿泊着付けプラン」も用意した。ご縁市とは関係なく宿泊していた外国人男性に声をかけたところ興味を示し、和服でのそぞろ歩きを満喫してもらった。体験型に移行しつつあるインバウンドへの期待も高まる。
「メンバーや市の職員に、やりたいことはできるだけ具体的に伝えるよう意識しています」と岡田さんは言う。県内でのイベントにもアンテナを張り、「奈良・町家の芸術祭 はならぁと」や「ムジークフェストなら」にも参加。効果的で効率的な広報ができた。
春のご縁市の様子は、生駒市の広報や新聞メディアでても大きく取り上げられ、古い着物や浴衣を使ってほしいという申し出が増えた。2回目の7月16日「夏の参道ご縁市」には、浴衣の貸し出しとともに浴衣での来場を呼び掛けて、多くの参加者と楽しみたいと考えている。
参道の復活に向けて
課題もある。さんどう会のメンバーは現在10名ほど。活動自体が自分たちにとって持続可能であることも重要だ。持ち込まれたにぎわいではなく、町の人たちも自然に受け入れてくれる継続的な取り組みに力を入れたい。
県や市に働きかけたいこともある。小川会長が描く理想図は、生駒駅前にかつてそびえていた大鳥居のようなシンボルを復活させること。「大鳥居は道路拡張で宝山寺の総門前に移設されましたが、新たなシンボルを作れば玄関口として存在感が出ます。将来的には土色舗装や無電柱化にも取り組み、5町をまたぐ長い参道をもっと大切にしたい。数少なくなった昔の建物も重要です。改築の噂を聞くと、現状を維持できるよう説得に行ったりもします。石段改修の際に伐採された桜の切り株は、交渉して市から引き取り、ベンチやオブジェにしたんです」と話は尽きない。
さらには廃業を相談されていた老舗旅館を譲り受けて、複合施設として2014年法人化、4部屋のゲストハウスや貸しスペース、手打ち蕎麦店にも入ってもらい、2015年に「門前おかげ楼」をオープンした。「こんなに大層なことになるとは思ってなかったですけどね」と苦笑いする小川会長だが、かつて盛んだったという「朝参り」にちなんだ「朝活企画」も考案中だ。
生駒聖天さんどう会が安定した活動を続けている原点に、宝山寺と参道という個性的な財産があることは間違いない。ただ、それがお仕着せのまちおこしに陥っていないのは、参道を遺産ではなくある種の生命体だと実感し、ともに成長したいと考えているからではないだろうか。進化する参道とさんどう会を、今後も見守り続けたい。
さんどう会の活動には、大いに期待している。リーダーの小川さんは49歳、他のメンバーも中堅どころの働き盛りの世代である。立派にリニューアルオープンした「門前おかげ楼」を見ても、力の入れ具合が分かる。生駒市も観光パンフレットに写真を載せたり、動画を配信したりと、ずいぶん好意的である。
ぜひこの調子で一歩一歩、着実に活動の幅を広げていただきたいものだ。小川さん、さんどう会の皆さん、応援していますよ、頑張ってください!