南都銀行畝傍支店(橿原市今井町1-3-13)は、明治29(1896)年4月5日、同行の前身銀行である「畝傍銀行」本店として開設され、今年で120年めになる。畝傍銀行は早くに高野山(和歌山県伊都郡高野町)に支店を開設し、金剛峯寺からお礼に弁財天の掛軸をいただいた。以後年1回、地元の講員らよる「弁天講祭」を営んでおり、それも120年近い歴史を誇る。
今回、それらを記念して、本年5月15日に開催された「茶行列」(「今井町並み散歩」のメインイベント)の模様が同行の社内報「なんと」2016年夏号(年4回発行)の表紙を飾った。4枚の写真のうち、トップ写真は私、行員らが写った3枚の写真は同店次長の撮影である。晴天に恵まれ、皆さん生き生きとした表情をしている。同イベントを主催した今井町町並み保存会の若林稔会長には、こんな挨拶文を寄稿していただいた。
南都銀行畝傍支店開設120周年おめでとうございます。明治29年畝傍銀行として今井町の篤志家によって創設、その後合併で南都銀行に発展していきますが、120年の間、一貫して地域と一体となって進んでこられた姿に敬意を表します。いつも町と共にあるという姿勢は今も変わらず、行員の方にいつも町のみんなに声を掛けてもらっています。
町の清掃活動や今年5月の「町並み散歩」においても、支店長に「120周年を今井町と共同で祝いましょう、支店長が率先して取り組んで下さい」と提案し、にぎわいの輪を広めたりしていただきました。私もかつて、南都銀行のコマーシャル番組の制作や、リーマンショック当時にロビー展の企画を持ち込んで行員の方と共同でと展示活動をしたこともありました。
畝傍銀行創設当時の気風をDNAに持つ今井の人たちは、畝傍銀行を立ち上げた当時の気概「おらが銀行」の気持ちを今も捨ててはいません。町をかつての隆盛の時代に戻し、再び巨万の富を築いて南都銀行を存続、協栄していく町づくりを目指していきますので、共に歩けるようにご協力をお願いして120周年のお祝いとさせていただきます。
「茶行列」には、いつも若い行員が茶職人などの役で参加していたが、今回は支店長に織田信長役を割り振っていただいた。支店長が参加するのは初めてであり、しかもこのような大役で、支店長はさぞ驚いたことだろう。町並み散歩の期間中(5/7~15)、支店の窓口係はお祭りのハッピをお借りしてムードを盛り上げた。これらはすべて若林会長の温かいご配慮のたまものである。
「コマーシャル番組の制作」とは、関西テレビの天気予報番組の背景に流れた映像(天気予報フィラー広告)のことで、私が担当した。撮影に際しては、若林さんには全面的に協力していただいた。この映像は、今もYoutubeで見ることができる。京都支店から奈良の本店に戻ってきたばかりの頃で「何か奈良の良いイメージをアピールしたい」と思い、今井町を使うことを提案したものだ。
ひと口に120年というが、この年は日清戦争と日露戦争に挟まれた年、まさに日本が『坂の上の雲』をつかもうともがいていた時代である。その時代から今日まで、合併をくり返しながらも畝傍支店が存続してきたというのは、驚異的なことである。
これからの120年も、ずっとその先も畝傍支店を、そして南都銀行を、どうぞよろしくお願いいたします!
今回、それらを記念して、本年5月15日に開催された「茶行列」(「今井町並み散歩」のメインイベント)の模様が同行の社内報「なんと」2016年夏号(年4回発行)の表紙を飾った。4枚の写真のうち、トップ写真は私、行員らが写った3枚の写真は同店次長の撮影である。晴天に恵まれ、皆さん生き生きとした表情をしている。同イベントを主催した今井町町並み保存会の若林稔会長には、こんな挨拶文を寄稿していただいた。
南都銀行畝傍支店開設120周年おめでとうございます。明治29年畝傍銀行として今井町の篤志家によって創設、その後合併で南都銀行に発展していきますが、120年の間、一貫して地域と一体となって進んでこられた姿に敬意を表します。いつも町と共にあるという姿勢は今も変わらず、行員の方にいつも町のみんなに声を掛けてもらっています。
町の清掃活動や今年5月の「町並み散歩」においても、支店長に「120周年を今井町と共同で祝いましょう、支店長が率先して取り組んで下さい」と提案し、にぎわいの輪を広めたりしていただきました。私もかつて、南都銀行のコマーシャル番組の制作や、リーマンショック当時にロビー展の企画を持ち込んで行員の方と共同でと展示活動をしたこともありました。
畝傍銀行創設当時の気風をDNAに持つ今井の人たちは、畝傍銀行を立ち上げた当時の気概「おらが銀行」の気持ちを今も捨ててはいません。町をかつての隆盛の時代に戻し、再び巨万の富を築いて南都銀行を存続、協栄していく町づくりを目指していきますので、共に歩けるようにご協力をお願いして120周年のお祝いとさせていただきます。
「茶行列」には、いつも若い行員が茶職人などの役で参加していたが、今回は支店長に織田信長役を割り振っていただいた。支店長が参加するのは初めてであり、しかもこのような大役で、支店長はさぞ驚いたことだろう。町並み散歩の期間中(5/7~15)、支店の窓口係はお祭りのハッピをお借りしてムードを盛り上げた。これらはすべて若林会長の温かいご配慮のたまものである。
「コマーシャル番組の制作」とは、関西テレビの天気予報番組の背景に流れた映像(天気予報フィラー広告)のことで、私が担当した。撮影に際しては、若林さんには全面的に協力していただいた。この映像は、今もYoutubeで見ることができる。京都支店から奈良の本店に戻ってきたばかりの頃で「何か奈良の良いイメージをアピールしたい」と思い、今井町を使うことを提案したものだ。
ひと口に120年というが、この年は日清戦争と日露戦争に挟まれた年、まさに日本が『坂の上の雲』をつかもうともがいていた時代である。その時代から今日まで、合併をくり返しながらも畝傍支店が存続してきたというのは、驚異的なことである。
これからの120年も、ずっとその先も畝傍支店を、そして南都銀行を、どうぞよろしくお願いいたします!