今日の「田中利典師曰く」は、「役行者霊蹟札所(れいせきふだしょ)会」(師のブログ 2014.12.23付)、師と正木晃氏との共著『はじめての修験道』(2004年春秋社刊)「第5章 全国の修験道」に掲載された文章である。師は2000年の「役行者千三百年遠忌(おんき)」を期に、1年限定の「役行者ゆかりの39寺社集印巡り会」を発足させた。
※写真は三重テレビ放送「新・ええじゃないか」(11/13)。僧侶は師のご子息の佑昌さん
その39寺社をもとに2002年からは近畿地方の36寺社による「役行者霊蹟札所会」を発足させ、現在に至っている。いずれも修験道が始まって以来、初めての試みである。全く師の企画力と実行力には、恐れ入る。では、以下に全文を紹介する。
「役行者霊蹟札所会」
久しぶりのプチ著述集。昨日臨時総会を行った役行者霊蹟札所会について10年以上前に書いた文章ですが、再アップします。
**************
「役行者霊蹟札所会」
私はここ数年、修験道再生を意識して、修験道間の横の繋がり、つまりネットワーク作りを実現したいと活動してきた。その取り組みの第一歩となったのは、平成12年(2000)に迎えた役行者千三百年遠忌だった。このとき、修験道はじまって以来、初めて、吉野修験総本山金峯山寺と本山派修験総本山聖護院と当山派修験総本山醍醐寺の、修験三本山の合同を構想したのだ。
この構想は実現し、修験三本山が力をあわせ、遠忌年を一緒に迎えることになった。さらに、互いに手をたずさえて合同事業に取り組むことも合意した。その結果、特別展覧会「役行者と修験道の世界」の開催や役行者シンポジウム、大峯奥駈道楊子ノ宿(ようじのしゅく)小屋復興、そして大峯山寺合同法要など、数多くの共同事業をなし遂げることとなる。
こういう一連の合同事業のなかで、平成12年に一年限定の取り組みとして、近畿日本鉄道株式会社にご協力いただき、主催したのが「役行者ゆかりの39寺社集印巡り会」だった。この「役行者ゆかりの39寺社集印巡り会」は、近鉄沿線を中心に、役行者開基と伝える寺や役行者修行の地など、役行者にまつわる寺歴のあるお寺を集めたものだ。
この企画の目的は、現代に役行者信仰を復興する方法を模索することにあった。企画は大成功し、多くの寺社にご賛同いただいて、広く人々の関心を集めることができた。ただし、本会は平成13年3月に、一年限定という当初の予定どおり、解散することになる。しかし、せっかく広く世間一般にアピールしたものを、そのままやめてしまうのではあまりに惜しい。
そこで、この企画に参加した39寺社をもとに、やめたいというところは削除し、新しく加わりたいというところは入れて、近畿一円の36寺社で再編することにした。こうして出来上がったのが、「役行者霊蹟札所会」なのだ。
本会は、平成14年9月に正式に発足。ここに、修験道関連寺社の新たなネットワークが機能しはじめた。こうして、修験三本山からはじまったネットワークは、近畿一円の新しい修験道の連帯へと発展を遂げた。
この「役行者霊蹟札所会」の目的は、役行者に縁やゆかりのある寺社が、その由緒と歴史を自覚して法灯を護持し、それぞれの霊蹟や札所が互いに連絡をとりあって、親睦と協調を実現することにある。そうすれば、おのずから、役行者信仰を現代にアピールし、霊蹟巡礼を盛んにできるにちがいない。
1300年以上にもおよぶ修験道の歴史から見れば、きわめて不思議な話だが、これまで役行者を中心に据えた修験道霊場は存在していなかった。だから、「役行者霊蹟札所会」は、修験道の歴史はじまって以来、初めて修験道霊場を誕生させたことになる。
考えてみれば、この短い文章のなかに、「史上初めて」という言葉が2回も出てきた。ということは、修験道にはまだまだなすべきことがあり、開発の余地があり、ひいては大いに可能性があるということだ。1300年以上の歴史をもちながら、まだまだ可能性を秘めているとは、なんと素晴らしいことだろうか。
現状では、役行者と書いても「ヤクノギョウジャ」とよばれたりするほどで、一般にはまだまだ認知されていない。しかし、たった今も指摘したとおり、修験道の未来は可能性を秘めている。
本会の興隆とネットワークの連携をとおして、往古以来ながらく世の人々に支持されつづけてきたにもかかわらず、近代化の怒濤のなかで抹殺されてきた役行者信仰を、再び広めていきたい。そして、心身両面において、さまざまな苦難に苛まれている日本の人々、世界の人々に、明るい未来をもたらしたいと念願する。
※『はじめての修験道』(田中利典・正木晃共著2004年春秋社刊)「第5章全国の修験道」より
※写真は三重テレビ放送「新・ええじゃないか」(11/13)。僧侶は師のご子息の佑昌さん
その39寺社をもとに2002年からは近畿地方の36寺社による「役行者霊蹟札所会」を発足させ、現在に至っている。いずれも修験道が始まって以来、初めての試みである。全く師の企画力と実行力には、恐れ入る。では、以下に全文を紹介する。
「役行者霊蹟札所会」
久しぶりのプチ著述集。昨日臨時総会を行った役行者霊蹟札所会について10年以上前に書いた文章ですが、再アップします。
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「役行者霊蹟札所会」
私はここ数年、修験道再生を意識して、修験道間の横の繋がり、つまりネットワーク作りを実現したいと活動してきた。その取り組みの第一歩となったのは、平成12年(2000)に迎えた役行者千三百年遠忌だった。このとき、修験道はじまって以来、初めて、吉野修験総本山金峯山寺と本山派修験総本山聖護院と当山派修験総本山醍醐寺の、修験三本山の合同を構想したのだ。
この構想は実現し、修験三本山が力をあわせ、遠忌年を一緒に迎えることになった。さらに、互いに手をたずさえて合同事業に取り組むことも合意した。その結果、特別展覧会「役行者と修験道の世界」の開催や役行者シンポジウム、大峯奥駈道楊子ノ宿(ようじのしゅく)小屋復興、そして大峯山寺合同法要など、数多くの共同事業をなし遂げることとなる。
こういう一連の合同事業のなかで、平成12年に一年限定の取り組みとして、近畿日本鉄道株式会社にご協力いただき、主催したのが「役行者ゆかりの39寺社集印巡り会」だった。この「役行者ゆかりの39寺社集印巡り会」は、近鉄沿線を中心に、役行者開基と伝える寺や役行者修行の地など、役行者にまつわる寺歴のあるお寺を集めたものだ。
この企画の目的は、現代に役行者信仰を復興する方法を模索することにあった。企画は大成功し、多くの寺社にご賛同いただいて、広く人々の関心を集めることができた。ただし、本会は平成13年3月に、一年限定という当初の予定どおり、解散することになる。しかし、せっかく広く世間一般にアピールしたものを、そのままやめてしまうのではあまりに惜しい。
そこで、この企画に参加した39寺社をもとに、やめたいというところは削除し、新しく加わりたいというところは入れて、近畿一円の36寺社で再編することにした。こうして出来上がったのが、「役行者霊蹟札所会」なのだ。
本会は、平成14年9月に正式に発足。ここに、修験道関連寺社の新たなネットワークが機能しはじめた。こうして、修験三本山からはじまったネットワークは、近畿一円の新しい修験道の連帯へと発展を遂げた。
この「役行者霊蹟札所会」の目的は、役行者に縁やゆかりのある寺社が、その由緒と歴史を自覚して法灯を護持し、それぞれの霊蹟や札所が互いに連絡をとりあって、親睦と協調を実現することにある。そうすれば、おのずから、役行者信仰を現代にアピールし、霊蹟巡礼を盛んにできるにちがいない。
1300年以上にもおよぶ修験道の歴史から見れば、きわめて不思議な話だが、これまで役行者を中心に据えた修験道霊場は存在していなかった。だから、「役行者霊蹟札所会」は、修験道の歴史はじまって以来、初めて修験道霊場を誕生させたことになる。
考えてみれば、この短い文章のなかに、「史上初めて」という言葉が2回も出てきた。ということは、修験道にはまだまだなすべきことがあり、開発の余地があり、ひいては大いに可能性があるということだ。1300年以上の歴史をもちながら、まだまだ可能性を秘めているとは、なんと素晴らしいことだろうか。
現状では、役行者と書いても「ヤクノギョウジャ」とよばれたりするほどで、一般にはまだまだ認知されていない。しかし、たった今も指摘したとおり、修験道の未来は可能性を秘めている。
本会の興隆とネットワークの連携をとおして、往古以来ながらく世の人々に支持されつづけてきたにもかかわらず、近代化の怒濤のなかで抹殺されてきた役行者信仰を、再び広めていきたい。そして、心身両面において、さまざまな苦難に苛まれている日本の人々、世界の人々に、明るい未来をもたらしたいと念願する。
※『はじめての修験道』(田中利典・正木晃共著2004年春秋社刊)「第5章全国の修験道」より