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田中利典師の「自然の脅威」(朝日新聞「人生あおによし」第11回)

2023年12月25日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、「自然の脅威」。2014年の朝日新聞奈良版「人生あおによし」第11回である。利典師もよくお書きであるが、西洋ではキリスト教的な考え方で、「自然は人の手によって支配するもの」とし、人間中心的な自然観が広がっている。
※トップ写真は、吉野山の桜(2022.4.7撮影)

一方東洋では、「自然は『おのずからある』もの」「自然は神聖なもの」と考え、敬うと同時に恐れながら、常に「自然との調和」を考えてきた。それは、修験道の考え方にも通じるものである。では、全文を以下に紹介する。

自然の脅威
天変地異が続きますね。先日噴火した御嶽山(おんたけさん)は役行者が開山したと伝わっています。火山性の微動が続く東北の蔵王山も金峯山寺の蔵王権現を勧請した由縁による呼称です。蔵王権現が自然の災いを鎮める力があると信じられ、修験道が荒ぶる自然と正面から祈りを通じて対峙してきたことの証左と言えるでしょう。

東日本大震災や福島の原発事故の後、しきりに「想定外」という言葉が使われていたのが気になりました。自然はもとより想定できるものではありません。日本は四季の豊かな国ですが、自然の恩恵と脅威は常に背中合わせです。地震や津波、噴火を人間は止めることができないのです。

災害は脅威ですが、だからといって自然そのものに善悪があるのではなく、自然は常に「おのずからある」ものなののです。自分たちの勝手な物差しで自然を図ろうとせず、人間は自然の前で無力だということを忘れてはならないでしょう。

金峯山寺では東日本大震災後の1年間、地震が発生した午後2時46分に毎日鐘を突いて、これ以上の猛威を振るわないよう祈りを続けました。修験道の教えの根本には常に自然への畏怖の念があります。

神仏に守られているという謙虚な自覚を持ち、発展のあり方を問い直し、自然との付き合いをもう一度見直すために、いまこそ、修験道が1300年にわたって蓄えてきた知恵を活かすときを迎えているといっていいのではないでしょうか。
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