tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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田中利典師の「修行と法力」(朝日新聞「人生あおによし」第10回)

2023年12月22日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、「修行と法力(ほうりき)」。2014年の朝日新聞奈良版「人生あおによし」第10回である。師は山伏として厳しい山修行をすることで、自然と法力・験力(げんりき)を身につけられ、それを自坊で加持祈禱や回向法要に活用しているという。これは興味深い話だ。以下、全文を紹介する。
※トップ写真は、吉野山の桜(2022.4.7撮影)

修行と法力
あなたは修験者かと聞かれてたじろぐことがあります。確かに山を行じているので山伏ではありますが、験力(げんりき)、いわゆる不可思議な力を修めた者を修験者と言うなら、大した力のない私は厳密には修験者とは言えないことになります。

とはいえ不可思議な経験をしていない訳ではありません。一千座護摩供の修法中は、行中に何度も金粉が降ったことがありますし、病気平癒の効験も驚くほどありました。

験力の効果ばかりを目指すのは邪道ですが、山修行をしない山伏、験力のない修験者では話になりません。魔や邪気を祓い、護摩を焚き、霊符を使いこなすことも山伏の大切な役割です。何だか怪しい妖術師のように思われるかもしれませんが、山やお堂で厳しい修行をするのは市井の人の願いに応じるためでもあるのです。

私は京都府下の自坊の住職としても、信徒のみなさんの加持祈禱や回向法要、運勢判断や家相の相談に、個別に応じています。悪霊が見えたりはしませんが、人にまつわりつく雰囲気の良し悪しを見分ける程度の力はあります。

占いも当てずっぽうではなく、事情を聴きながら感応を得て相手にふさわしい形で伝えます。いわば霊的なカウンセリングです。まじないや占いが空前のブームですが、こんな時代にこそ、修行で培った力で庶民の願いに向き合ってきた修験道の大いなる可能性を感じます。
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