今日の「田中利典師曰く」は「修験道、大峯修行と私」(師のブログ 2015.1.4 付)。これは朝日新聞奈良版に連載された記事「人生あおによし」(2014年11月・全20回)の初回である。
※写真は三重テレビ放送「新・ええじゃないか」(11/13)。僧侶は師のご子息の佑昌さん
この連載は、師がご自身のブログ(山人のあるがままに)に、記事のURLを貼る格好で全回分を紹介されていたが、残念ながら今はすべて「リンク切れ」になっていて、読むことができない。
今日の記事は、たまたま師がお正月にあたって原稿をテキスト(文章)で公開されていたので、読むことができた。もし師が全回のテキストデータをお持ちなら、ぜひ拝読したいし、当ブログで紹介したいものである。では、以下に初回の全文を抜粋する。
「修験道、大峯修行と私」
昨年(2014年)は世界遺産登録10周年ということでさまざまなことに携わりました。また5年ぶりに5冊目となるなる拙著を大手出版社の集英社から、集英社新書として上梓しました。『体を使って心をおさめるー修験道入門』です。そのほか、『修験道の真実と未来』(京阪奈出版刊)や『奈良の紅葉』(淡交社)、『ちょっと良い話』(自由出版)など私の著述のある本も何冊か出ました。
また「開運!なんでも鑑定団」や「新TV見仏記」はじめ、たくさんのテレビ番組にも出、松平健さんや佐野史郎さんなど多くの方々ともご一緒する機会がありました。シンポジウムでは阿木耀子さんや三田村邦彦さんなどともご一緒しています。
そんな中、昨年秋(2014年11月)には今までの自分を総括するような連載となった、朝日新聞奈良総局、「人生あおによし」にも全20回で連載していただきました。お正月にあたり、第1回分を再掲載します。
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「修験道、大峯修行と私」
皆さんは山伏というとどんな人を思い浮かべますか。山野を駆け巡って一生を送る行者でしょうか。あるいは俗人の願いに応じて加持祈禱をする姿でしょうか。実は、そのいずれもが山伏の大切な修行であり実践です。
私はいま金峯山修験本宗で宗務総長という実務を束ねる役職にあり、また京都府下にある自坊でも加持祈禱や信者さんの相談事に携わっています。さらに講演や会議で各地を回ることも多く、いわば典型的な「里山伏」といってよいでしょう。
しかし毎年何回か大峯山中に入って修行をすることは欠かしたことがありません。いや忙しいのを理由に山に入ることが少なくなると体の調子を崩します。若いころは過酷な山修行は体に悪いと思っていましたが、過剰な負荷を掛けることで逆に体が目覚めるのかもしれません。
人々の悩みや願いに対応するには、厳しい山修行で培う法力が必要です。ですが里で悩みを持った人にばかり相対していると、自分自身の気力が奪われ、力がすり減ってきます。だから自ら邪気を払い、気の濁りをリセットして再び法力を高める山修行が必要になるのです。常に山の修行と里の行を循環する、それが山伏の活動なのです。
修験道は一言で言えば山の宗教です。難しく言えば日本古来の山岳信仰に神道や外来の仏教、道教、陰陽道などが混淆して成立した日本固有の民俗宗教です。山を歩く、礼拝する、滝に打たれる、瞑想する、これ全てが山伏の修行であり、体を使った実践修行です。実修実験の道が修験道。理屈ではなく五体を通して実際の感覚を体得し、それによって心を高めて覚りを目指すのです。
吉野から熊野にかけて紀伊半島の中心を背骨のように貫くのが霊峰大峯山脈。修験道の開祖、役行者に開かれた最高にして最大の根本道場といわれています。大峯山山上ケ岳は今も女人禁制を貫いていることで知られます。
その一帯を含む、北端の吉野山から南端の熊野本宮に至るまで1500メートル級の山々が続く山脈を尊称して大峯山と呼びます。修験道の聖地中の聖地です。吉野山から山上ケ岳に至る山々を金峯山と呼びます。吉野金峯山は役行者が金剛蔵王権現を山上ケ岳で祈り出された伝承によって、修験道発祥の地として根本道場となりました。
その修験道は明治初期に徹底的な弾圧を受けました。徐々に復興はしたものの、宗教史の中では未だに異端のように扱われているのがとても残念です。私は、文明社会が行き詰まりを見せている現代にこそ、自然を恐れ敬い、肉体を使って心を整える修験道の出番だと考えています。
10年前、「紀伊山地の霊場と参詣道」がユネスコの世界遺産に登録されました。これは私が提唱する「修験道ルネサンス」の幕開けだと思っています。1300年の歴史をもつ修験道が、文明社会になぜ必要なのか。私の半生を語りながら、皆さんにお伝えしたいと思います。
※写真は三重テレビ放送「新・ええじゃないか」(11/13)。僧侶は師のご子息の佑昌さん
この連載は、師がご自身のブログ(山人のあるがままに)に、記事のURLを貼る格好で全回分を紹介されていたが、残念ながら今はすべて「リンク切れ」になっていて、読むことができない。
今日の記事は、たまたま師がお正月にあたって原稿をテキスト(文章)で公開されていたので、読むことができた。もし師が全回のテキストデータをお持ちなら、ぜひ拝読したいし、当ブログで紹介したいものである。では、以下に初回の全文を抜粋する。
「修験道、大峯修行と私」
昨年(2014年)は世界遺産登録10周年ということでさまざまなことに携わりました。また5年ぶりに5冊目となるなる拙著を大手出版社の集英社から、集英社新書として上梓しました。『体を使って心をおさめるー修験道入門』です。そのほか、『修験道の真実と未来』(京阪奈出版刊)や『奈良の紅葉』(淡交社)、『ちょっと良い話』(自由出版)など私の著述のある本も何冊か出ました。
また「開運!なんでも鑑定団」や「新TV見仏記」はじめ、たくさんのテレビ番組にも出、松平健さんや佐野史郎さんなど多くの方々ともご一緒する機会がありました。シンポジウムでは阿木耀子さんや三田村邦彦さんなどともご一緒しています。
そんな中、昨年秋(2014年11月)には今までの自分を総括するような連載となった、朝日新聞奈良総局、「人生あおによし」にも全20回で連載していただきました。お正月にあたり、第1回分を再掲載します。
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「修験道、大峯修行と私」
皆さんは山伏というとどんな人を思い浮かべますか。山野を駆け巡って一生を送る行者でしょうか。あるいは俗人の願いに応じて加持祈禱をする姿でしょうか。実は、そのいずれもが山伏の大切な修行であり実践です。
私はいま金峯山修験本宗で宗務総長という実務を束ねる役職にあり、また京都府下にある自坊でも加持祈禱や信者さんの相談事に携わっています。さらに講演や会議で各地を回ることも多く、いわば典型的な「里山伏」といってよいでしょう。
しかし毎年何回か大峯山中に入って修行をすることは欠かしたことがありません。いや忙しいのを理由に山に入ることが少なくなると体の調子を崩します。若いころは過酷な山修行は体に悪いと思っていましたが、過剰な負荷を掛けることで逆に体が目覚めるのかもしれません。
人々の悩みや願いに対応するには、厳しい山修行で培う法力が必要です。ですが里で悩みを持った人にばかり相対していると、自分自身の気力が奪われ、力がすり減ってきます。だから自ら邪気を払い、気の濁りをリセットして再び法力を高める山修行が必要になるのです。常に山の修行と里の行を循環する、それが山伏の活動なのです。
修験道は一言で言えば山の宗教です。難しく言えば日本古来の山岳信仰に神道や外来の仏教、道教、陰陽道などが混淆して成立した日本固有の民俗宗教です。山を歩く、礼拝する、滝に打たれる、瞑想する、これ全てが山伏の修行であり、体を使った実践修行です。実修実験の道が修験道。理屈ではなく五体を通して実際の感覚を体得し、それによって心を高めて覚りを目指すのです。
吉野から熊野にかけて紀伊半島の中心を背骨のように貫くのが霊峰大峯山脈。修験道の開祖、役行者に開かれた最高にして最大の根本道場といわれています。大峯山山上ケ岳は今も女人禁制を貫いていることで知られます。
その一帯を含む、北端の吉野山から南端の熊野本宮に至るまで1500メートル級の山々が続く山脈を尊称して大峯山と呼びます。修験道の聖地中の聖地です。吉野山から山上ケ岳に至る山々を金峯山と呼びます。吉野金峯山は役行者が金剛蔵王権現を山上ケ岳で祈り出された伝承によって、修験道発祥の地として根本道場となりました。
その修験道は明治初期に徹底的な弾圧を受けました。徐々に復興はしたものの、宗教史の中では未だに異端のように扱われているのがとても残念です。私は、文明社会が行き詰まりを見せている現代にこそ、自然を恐れ敬い、肉体を使って心を整える修験道の出番だと考えています。
10年前、「紀伊山地の霊場と参詣道」がユネスコの世界遺産に登録されました。これは私が提唱する「修験道ルネサンス」の幕開けだと思っています。1300年の歴史をもつ修験道が、文明社会になぜ必要なのか。私の半生を語りながら、皆さんにお伝えしたいと思います。