こないだの土曜日、行きつけの古本屋に行くと「単行本3冊 1,000円」というセールをやっていた。これは見逃せないと、単行本コーナーを探し回って見つけたのが
後藤哲也著『黒川温泉のドン 後藤哲也の「再生」の法則』朝日新聞社刊(定価1,200円・通常売価650円)という本だ。帯には《
地図にも載っていなかった黒川を超人気温泉地に仕立てあげた男の一代記。地域おこしと会社再建のヒント満載!》とあった。
正直いって、特に期待していたわけではない。文庫本でもなかなか買えない3冊1,000円という安さに惹かれてカゴに放り込んだだけである。ところが家に帰って読み出してみると、これが面白くて止まらない。結局、片っ端から黒鉛筆で傍線を引きながら、その日に全部読んでしまい、翌日曜日には黄色の蛍光ペンで、特に気に入ったところをマークしながら再読した。
Amazonの本書「商品の説明」欄には、《
自然を楽しむには、地域全体での雰囲気作りが必要。著者は旅館組合の執行部に入ってから、温泉地全体の改革を牽引する。雑木の植樹を進め、旅館や店の外壁を黒を基調としたものに変え、旅館の看板を撤去するなど、「日本のふるさと」を存分に味わえる景観作りを進めたのである。こうした経験から、どんな商売も「顧客が何を求めているか」を目を凝らして探し、真心を込めて提供することが重要と指摘。企業経営にも生かせる「再生の法則」をまとめている》とある。
「これは面白い。ぜひブログの『観光地奈良の勝ち残り戦略の』50回記念に紹介しよう」と決意したのだが、何しろマーカー部分があまりにも多い。これをキーボードで再入力するには相当時間がかかるので、当分は書けない。諦めて関連サイトを探しているとき、俣野成敏氏のブログ「
経営パワー研究所∞」を発見した。このブログでは、本書の内容を詳細にわたって紹介していた。そこで、同ブログ記事を引用しながら、本書の要点を紹介する。長くなるが、地域おこしに取り組んでおられる人は、ぜひ最後までお読みいただきたい。御用とお急ぎの方は、太字の部分だけでもどうぞ。
地図にも載ってない田舎のさびれた温泉地であった黒川温泉。それは、高度成長期に各地の温泉街が次々と旅館を大型ビル化する中、外資も相手にしなかった中小旅館の寄せ集めに過ぎない温泉地だった。鬼怒川温泉の鬼怒川ホテルや加賀温泉の加賀屋といったような大規模なホテルや旅館がないので、個々の資本力を活かした大規模な集客活動もできない。そんな黒川温泉が、どうやって競争力を身に付けたのか。それは、全体像を絵にするという発想であった。
地域全体が一つの旅館、道は廊下、各旅館は部屋という「黒川温泉一旅館」のコンセプトである。大規模なホテルでは、囲い込みがなされる。館内から外には出さないで自分の所だけにお金を落としてもらうためだ。大型バス用の駐車場、旅行会社への紹介料、屋内に屋台やゲームセンター、カラオケルーム、お土産屋、果ては朝市まであって、お客は館外には一歩も出ないで済んでしまう。一方、黒川温泉はと言えば、大型の観光バスが入れないので、団体客はこない。中小の旅館がひしめきあっているから、部分最適でしか物事を考えられない。この慣習を打破したのが、後藤哲也氏であった。
町全体を一つの旅館に見立て、旅の楽しさや旅情を満喫してもらうために、町を散歩するときに他の旅館の温泉にも自由に入れる木製の札を出す。この札を持って宿泊客はカランコロンと音を立てながら温泉街の情緒を楽しむ。気に入った露天風呂があったら、判を押して入浴させてもらう。しかも、全部のお風呂に入れなかったら、その札は次に来たときにまた使えるようになっている。お客は、旅館を見比べながら後藤氏が隅々まで工夫を凝らした温泉街全体に溶け込み、また来ようねと誓う。
黒川温泉の成功要因を後藤哲也氏の書籍から読み解くと、固定費に対する限界利益の貢献を最大化したということに行き着く。つまり、旅館同士は競争しているが、風呂は固定費だから、町全体で風呂を融通しあって共通固定費化したわけだ。オープンになることによってネットワーク化したことが町全体としての価値を高め、町全体が看板になった。
全体像があって初めて個々の旅館の繁栄がある。その喜びの声は、黒川の全体像が下敷きになっているから、お互いがひがみ合うことも少ない。大きく話せばこんな戦略だが、この戦略を戦術レベルにまで落とし込むことに、後藤哲也氏の強い信念、並々ならぬ苦労、我々経営者が学ぶべき思想が散りばめられている。
今や年間2,000万人超の来場者数を誇るTDL。このTDLが、日本のエンターテイメント界では他の追随を許さない存在であるということに異を唱える人はいないでしょう。では、そんなTDLと黒川温泉との共通点とは何でしょうか。その一つがリピート率。このリピート率はどこから生まれるかと言うと、探究心です。
後藤氏は、こう言い放ちます。『経営幹部がディズニーランドの運営方針を話すのを聞いとると、めざす方向は違うけれども、やっとることは僕たちとまったく同じなんだ、と本当にそう思いました。簡単なこってす。ディズニーランドも僕たちも、お客さんを喜ばすためには、どげんすればいいか、ちゅうのを常に真剣に考えとるわけです。研究熱心な点も感心ですな。人々に感動を与える温泉地ができたちゅうと、熊本の山奥にまで足を運んでくるのですから。』(P32~33)
TDLの経営幹部は、それが九州の片田舎であろうと、企業の質が向上するためなら、経営幹部以下の社員を送り込み、徹底して他者に学ぶ姿勢ができていると言います。これが、王者が王者であり続けられる所以なのでしょう。後藤氏が、このこと以上に感心したTDLの経営方針とは・・・
『ディズニーランドのシンボルは「シンデレラ城」だそうだが、それを見上げると、その先にはオフィスビルや高層マンションが目に入ってくる。これでは、どうにもなりません。経営幹部が言うには、それを防ぐのに何と周囲に新しい建物が建たんように、周辺の土地を買い進めてしもうたちゅうことです。これぞ最高の景観防衛策ですな。ディズニーランドの周囲には、「ちぐはぐな景色」は出現せんわけです。』(P34)
そう、これが演出です。黒川温泉が作り上げたのが「日本のふるさと」なら、TDLが作り上げたのは「非日常」。そして、どちらも自らのテーマとして作り上げた演出効果を死守しようとしています。守るべき会社経営のポリシーとは何か、また守るためには何をすべきか、こんなことを考えさせられるわけです。
『最初は、「ここはどこか?」ちゅうて自問するところから始まったとですよ。』(P6)と言うように、後藤氏は研究のために、由布院、軽井沢、京都といった観光地に足繁く通い、「黒川温泉とは何ぞや?」との自問自答を続けることから始めた。そして、今から25年ほど前、京都の観光地で大きな変化が起き始めていることに気付く。それは、日本庭園を訪れる人がじわじわ減り始め、その人々が、自然の木が植わっているお寺に向かったという変化だった。
後藤氏は言う。『今にして思えば、この人の流れの変化に気づいたことが、僕の人生に最大の転機をもたらしたとです。こん時何も感じとらんかったら、今の黒川温泉はなかった。(中略)何せ、誰にもわかる急激な変化というものではありませんでしたからなあ。もしも、漠然と京都に通って見過ごしとったら、僕は田舎の一旅館のオヤジで終わっとっただろうと思います。』(P42)
ここで後藤氏から学ぶべきは、外から答えを得ようとする時でさえ、外からの情報は判断材料の一要素に過ぎず、答えは自分の内から湧き出るまで待つという姿勢ではないだろうか。気づきを得るための行動と執念。これらが感じる力を生み出す。見学や視察とは何なのか?
ここで、大いに考えさせられる後藤氏の珠玉の言葉を紹介したい。『些細な変化に気づいたことは、単なる幸運じゃなかったと思うとですよ。ちょこっと自慢話に聞こえるかもしらんけれども、ふだんから「勉強」を怠らずに物事をじーっと観察するのが習慣になっとったから、人の流れの変化がわかったとです。』(P42)
23歳当時の後藤哲也氏には、黒川全体を考えるという余裕はなかった。ただ、「負けたくない、負けちゃちゃいかん」という一心だけだった。交通事情の悪い黒川では、山菜料理だけでは人は呼べない。温泉地の売り物は、温泉に始まり温泉に終わる。ところが、後藤氏の有する「新明館」は、狭い土地にへばりつくように建ってる建物しかなく、敷地を広げるのは物理的に不可能だった。お客さんに喜んでもらうにはどうしたらよいか、それでも後藤氏は必死に考えた。
そして、後藤氏は驚くべき行動をとる。なんと、身内の猛反対を押し切り、一人で裏山を掘り始めたのだ。しかも、彫り始めた当時は、電気ドリルもない時代、岩質が柔らかいので、ツルハシさえも使えなかった。仮オープンまで3年間、今の形になったのは、裏山を掘る決意をしてから10年後の歳月を経た後だった。起死回生の起点となった洞窟風呂の入り口には、約50年前にこの風呂を一人で掘ったことが記された看板が立てられている。そこには、「(哲也は)お客さんに喜んでもらおう」とただひたすらに頑張りました。」とある。
ここで我々が見るべき点はどこか。「与えられた条件」は自分では変えられない。その変えられない条件の中で何かできることはないか、打開策を必死で考える。このことではないだろうか。自分に与えられた環境でできることは、すべてやりつくしているか?この自問自答を忘れないようにしたい。
ブログ(経営パワー研究所∞)からの引用は、以上である。本書には、十津川村長のこんな逸話も紹介されている。《熱心な人は数多いが、最近では、奈良県十津川村の更谷慈禧(さらたに・よしき)村長には感心しましたなあ》《新明館に泊まりに来た村長は、こう言いました。「温泉を観光開発の起爆剤に使いたい。後藤さんの理念を聞かせてほしい」》。
《十津川村は04年6月に「源泉かけ流し宣言」を行って全国的に注目されましたが、宣言を行う前に、僕に心構えを聞きに来たちゅうことでした。深夜までいろいろ話したが、更谷村長は風呂掃除まで手伝いたいと言い出しました。僕は、毎日、露天風呂の掃除をするのが日課になっちょります。別に断る理由もないんで、風呂掃除を手伝ってもらいました。来る人は多いが、風呂掃除までするのは珍しいことです》。
また本書には、黒川温泉の若手たちが感銘を受けたという、長野県野沢温泉の当時の若手リーダー(現在は旅館組合長)森行成氏の言葉も紹介されている。《「
町づくりの原点は、自分の町を好きになることから始まる。まずは、故郷を良く知ることだ。阿蘇の温泉地にも、きっと地域独特のいいものがあるはず。まずは、それを探し出してほしい。そして、自分の旅館を経営するだけでなく、半分のエネルギーを地域のために注ぐくらいの気持ちを持て」》。
「実践と創造のリーダーシップ研究会」のHPには、後藤氏へのインタビュー記事を読んだ藤井美子さんの「黒川温泉を人気温泉に変貌させた後藤哲也氏のリーダーシップ」という文章が紹介されている。
1.明確なビジョンを持つ
後藤氏は、父親から経営を引き継ぐのと時をおなじくして、お客様を満足させるためには、「安らげる雰囲気をつくること」が重要だと考える。安らげる雰囲気を作るためには、自分の旅館の周りだけ自然と同じように木を植えようが、極端な話、旅館から一歩外に出ると周囲が無味乾燥なコンクリートの大型ホテルでは何にもならない。
そこで、後藤氏が考えたことは、温泉街全体が協力して取り組んでこそ、はじめてお客様がくつろげる旅館を実現できる。温泉街全体が「黒川温泉」という一つの旅館、個々の旅館はその一部屋、道は廊下、その廊下を浴衣を着たお客様が自由気ままに、散歩を楽しめるような温泉街にしたいという考えを実現すべく、まずは自分の旅館から始めていった。 下線部の部分が後藤氏の考えているビジョンであり、この熱い思いこそが黒川温泉の再建への機動力であると思う。ビジョンを明確に持ち、変化に対応する事が必要である。 ビジョンを明確に持たなければ、結果も手に入れることは難しい。
2.たゆまない勉強、そして本質を捉える
(後藤)「それが確信となったのは、毎年勉強で訪れていた京都で、観光客の流れの変化に気づいたときです。それまでは綺麗に剪定された松の木や錦鯉の泳ぐ池のある、格調高い日本庭園がある寺が人気だったのですが、25年ほど前からさまざまな木が混じりあった人の手が加わっていない自然そのままの景色の残る寺に人が集まるようなったんですよ。そのときに、いくら美しくても人工的につくられたものではなく、そのままの姿のものを人々は欲しているとわかったんです。」 勉強して(体験学習)変化に気づき、その物事を追う。後藤氏は自分の目で確かめる事が一番大切であると考えている。そして、いつでも変化に気付ける様にアンテナをはる。結果、人は何を本当に欲しているか?と本質を捉える。
3.大きな視点で物事を見る
ある旅館の主人から「後藤さんのやり方を教えて欲しい」と言われ、その人の想いに応えるべく、全て自分の考えている事をアドバイスしていく。
(後藤)「私もその人の思いに応えるべく、風呂のつくり方や木の植え方はもとより、どのような温泉をお客さまが求めていて、どういう雰囲気をつくればリラックスしてもらえるのか、ということまでアドバイスしました。すると、他の旅館の主人も次々と話を聞きに来るようになったという具合に、黒川温泉全体に広がっていったんです。そういう動きさえスタートすれば、黒川温泉をどうにかして成長させたいという思いは全員共通ですから、そのために必要な取り組みを私が考え、すべての旅館で実践していったわけです。」
後藤氏のアドバイス、話し方はその旅館の主人にどう映ったのか、推測するに偉そうではなかった、教えてやるという態度でもなく、見返りを要求するものでもなく、出し惜しみをするようなこともなかったと感じる。それはなぜか、後藤氏の思いは一旅館、新明館の経営ではなく、黒川温泉という大きな旅館の経営にあったからと思われる。そうした視点から、他の旅館の主人は同じ目標に向かって進むメンバーであり、フォロアーであった。
4.先ずは自分から
(後藤)「自分でやってみせるということでしょうね。旅館の周りに木を植えるということについても、最初は「木を植えてお客さまが来るわけないじゃないか」という目で見ていた人たちばかりでしたが、実際にそれで新明館にお客さまが集まるようになれば真剣に考えるようになります。単に口で言っているだけでは説得力がありません。」後藤氏は教えるだけでは説得力がないと考え、自分が黒川温泉を変えると言う強い信念をもって、自らが先頭に立って行動に移す。他の旅館経営者が、後藤氏の行動を見て、自分たちも考え行動するようになる。率先垂範
5.考えを伝えていく
(後藤)「ええ。でも、正直なところまだまだ不十分です。黒川温泉が一体となって心のふるさとを演出しているからこそ、お客さまが満足してくれているのに、自分の旅館だけの力だと勘違いしてしまうことがあります。先日も勝手に公共の駐車場に特定の旅館の幟が立てられていました。そうした行動が続くと、旅館同士の信頼が崩れ、黒川温泉の魅力も失われてしまいます。もっと若い経営者にわたしの考えを伝えていかなければと感じています。」 後藤氏のビジョンである、温泉街全体が協力して「黒川温泉」という一つの旅館ができあがったからこそ、旅館一軒一軒が合わさってチームになり、これからは更に一体となって信頼関係を維持することが求められる。その為に、今後、後藤氏がしていかなければならないことは、自分の考えを伝え続けていくことである。
6.成功を遂げた、リーダーのケースを学ぶ意味―後藤氏のケースから学べること
後藤氏のインタビュー記事を通して学べることは以下のようなことである
(1)熱い明確なビジョンの必要性
(2)毎日が勉強であり、アンテナをいつも広げておくこと
(3)自分の目で確かめ、本質を捉える
(4)大きな視点で物事を見る
(5)率先垂範の実行
(6)自分の想いを素直に伝え、指導していくこと
(7)変化に対応すること
(8)チーム一体となって信頼し維持していく
(9)状況判断が的確に行える事
(10)何より大切なことは状況に応じた行動をとること
成功を遂げたリーダーのケースに学ぶ意味は、その(リーダー)行動、考え方からリーダーシップ(影響を及ぼす行動)の要素を見い出し、それをスキルとして身につけるにはどうすればよいかを整理することであると思う。
奈良県下には、由緒ある温泉町がある。吉野山、洞川、十津川温泉郷などがそれだ。立派な「むかし町」も多い。今井町は別格としても、宇陀松山、五條新町。ならまち、城下町郡山、三輪、御所まち、菟田野、榛原 等々。町おこしのシーズ(種)は至る所にあるのだ。後藤氏に学ぶリーダーが、奈良県に現れることを期待しつつ、「観光地奈良の勝ち残り戦略」の50回目を結ぶことにしたい。